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文化人類学がおもしろい

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わたくしコミュニケーションを専門とする博士(学術)の筆者が”複数の他者のあいだのコミュニケーションを記述すること”という切り口から文化人類学の文献を読んで行きます。 わたしは文…
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2018年11月の記事一覧

記述することが、対象をそれとして生み出し、可視化する ー読書メモ:内田隆三著『柳田国男と事件の記録』

 内田隆三氏の『国土論』を読み直している。恩師にそのことを伝えたところ、内田隆三氏といえば、『柳田国男と事件の記録』は必読であると教えていただいた。そういうわけで早速Amazon経由で入手を試みた。 この本は、柳田国男がその著書『山の人生』の冒頭「山に埋もれたる人生あること」で行ったある事件についての「記述」を、その記述するということが、いかなることであるのかを問う。  「山に埋もれたる人生あること」。この一節を含む『山の人生』は青空文庫にも収録されているし、国会図書館デ

りんごの芯へ沈み込む凹みは中なのか外なのかー読書メモ:見田宗介著『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』

目に見える光景よりもスマホの画面を「通して」みる世界の方がリアルという経験 多摩の夜は暗い。  深夜の京王線に揺られながら、ふと窓の外に目を向けても、ここがどこだか識別できるような視覚情報は飛び込んでこない。ただ暗く、まばらな電灯たちが同じ方向に、同じ速度で飛び去る。  それを見ていると、こちらが動いているのか、あちらが動いているのか、分からなくなりそうだ。  乗り慣れた路線である。昼間であれば、外の景色を見れば、どの駅とどの駅の間を走行中かすぐに分かるというのに。不意

来訪神は「この世」というバーチャルリアリティをつくる古代のメディア技術

来訪神が世界遺産に登録された。 来訪神を英語ではどう言うのだろう、と興味本位でユネスコのサイトをのぞいてみたところ、なんとそのまま「Raiho-shin」である。 来訪神は、一年のうちの決まった時期に邑を訪れては、村人を追いかけ回したり、脅かしたり、泥を塗ってみたりする。そうして、放っておけば何気ない日常の時間がいつもと同じように過ぎていくはずの集落を、束の間「大騒ぎ」に引き込む。 来訪神は、異形の面と箕の神である。 来訪神に直面して、その姿をみて、「仮面だ」と、言え