どっちでもいいという生き方

どっちでもいいよ
という言葉は通常無責任と取られる場合が多い。
しかし他者に対して言うのではなく自分に対して言うのでは意味がまるで違ってくるだろう。

自分に対して悪事を働かれた→どうでもいいよ
騙された→どっちでもいいよ
貴方は正義なのか悪なのか?→どっちでもいいよ

この様に全てを許すことに直結する。
最早そこには善も悪も無く優劣も成功も失敗も無い。勿論不安もなければ怒りもない。

私はずっと自分には怒りというものがない、欠落した人格だ。と考えていたのだが単純に全てを許していただけだったことに気付いた。
前に許しについて書いたがあれを完璧に実践すると最早どっちでも良くなるのだと実感した。

過ぎたことに対して怒っても仕方ない、やられたらやり返すを続けていては争いが止まらない。
(やられてもやり返すなと言っているのではない、許せるところは許すのもありだと言っているだけだ)

個人レベルで見ればこの生き方は非常に楽だと感じる。怒りも悲しみもなく恐怖もない。受け手として「どっちでもいい」という態度を持つことはそういうことである。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集