楢木範行年譜25 楢木範行と澤田四郎作
楢木範行の長男茂行の手記と柳田国男の書簡を対比させてみたが、そこに登場してきた澤田四郎作から生前の楢木範行への書簡が遺されているので紹介する。
書簡は、全部で3通遺されている。
一通目は、昭和12年の年賀状。二通目は、昭和12年5月9日。三通目は、昭和12年7月3日である。
二通目
拝呈
新緑の候 貴家益々御健祥奉賀存候 扨て去日は 郷土に於ける交易の研究御恵与に接し 厚く御礼申上候 ゆるゆる拝見させて戴くべく候 大阪の日本民俗学講習会も 漸く二十五回終了仕り ほっと致しました 会報揃へられる分だけまとめ御目にかけ申候
楢木は昭和12年2月11日に『郷土に於ける交易の研究』を刊行しており、その寄贈を受けた澤田が礼状を送っている。『柳田国男全集 別巻1』には、昭和12年2月20日「大阪で開かれている日本民俗学講習会第20講」とある。※最後の一行が読めないので御教示下さい
岩倉市郎君鬼界島から上京の途 二泊致し 鹿児島□□□□□□を承り、うらやましく存じ候 御尊台の御噂など致し候 先此御礼かたがた 近況まで 草々 五月八日 澤田四郎作 楢木範行様
三通目
拝呈
向暑の候 貴下益々 御健祥奉賀存上候 扨て先日は薩藩年中行事御恵与下され 厚く御礼申上候 早速お礼状を出さねばならぬところ、家妻病臥一時危篤の域にまで至りおり 雑事多忙いたし 延引仕り候 幸ひにも昨今漸く快方に向候 安心致しおり候
先は御礼かたがたお詫びまで 草々 七月三日 澤田四郎作 楢木範行様
『薩藩年中行事』については、楢木範行の著書ではなく、伊地知竣によるものであるが、楢木範行の資料のなかに切り抜きが遺されている。もしかしたら楢木が無記名で、復刻作業を行ったのかも知れない。伊地知峻(いじちい
しゅん)は昭和10年に亡くなっており、没後、昭和12年に『薩藩年中行事』が刊行されている。
とりいそぎ、楢木茂行の進学相談に乗ったであろう澤田四郎作と楢木範行との書簡を紹介した。
※isobe様よりご教示頂きました。ありがとうございます。