『神楽遺撰誌』について
宮崎県の民俗研究者、故山口保明先生の資料整理を行っているが、その中に『神楽遺撰誌』という資料がある。
B5版。謄写版。50頁。奥付無し。以下に編集後記を記すが、具体的にこの資料の位置づけに就いては触れられていない。
東臼杵郡門川神楽(延岡地区)神楽式順神歌長ソ歴史と祖先の方々の歩んで来た敬神崇祖のあしあとが延々と続き現在に至り私等神社の儀式として大事にされて来ています
此の意味からも祖先から受継されて来た神楽式神歌を後世に此の資料等にあたりましては、尾末神社宮司奈須日出夫様、今山八幡宮宮司岩切重信様、小山神社宮司岩切栄信様、霧島神社上下伊福形神社伶人黒木寿蔵様、岩切隆様のご協力を頂きました事を衷心より厚く御礼申し上げます
特に岩切隆先生資料編集にあたってご協力御労苦を賜った事厚く御礼申し上げます
編集後記の次頁に「昭和五十九年四月一日」とあり、その左に資料協力者、印刷協力者、書記が列記されている。以下にその目次を掲載する。
一、三番神楽式
(一)鎮守神楽
(二)太刀神楽
①太刀の舞
②扇子の舞
③柴の舞
④抜の舞
(三)幣神随神楽
①舞の手舞
②幣の手舞
(四)三番荒神
二、大神神楽式
御神舎誉正儀
(五)弓矢神楽
①魔鬼除神楽平手舞
弓矢の正儀
②幣の手舞
③矢の舞
④弓の舞
(六)大神神楽
①本舞
大神正儀
②幣の手舞
三、注連口神楽式
(七)注連口
①魔鬼除神楽平手舞
注連正儀
②糸の手舞
③日月の舞
④笠取荒神
四、綱口式神楽式
(八)御笠神楽(御田植神楽)
(九)綱口神楽
①魔鬼除神楽平手舞
②散米神楽(六人)
③綱直し(六人)
(十)問答(二人)
四方門
荒神
神主 柴の儀
綱の儀礼
荒神天孫降臨の儀
水徳の性
三種の神器
高天原の事
(十一)七荒神神楽(闢解)
①風王
②闢解
五、岩戸式神楽
(十二)岩戸神楽、太刀神随
鎮守神楽
天の太玉の神
天の児屋根の命
天の宇豆売の命
天の戸隠の命
天の手力男の命舞い上げ
六、別神楽
(一)剣の神楽(舞嵐)
①先の手舞
②柴の手舞
③剣抜手の舞
(二)沖合神楽(沖恵ともいう)
沖恵の正儀
①魔鬼除神楽平手舞
②幣の手舞
(三)日の神楽
①先の手舞
②幣の手舞
(四)大刀神随
七、綱神楽の節は岩戸式にて終りて綱切りを行う
・神楽作拵らへ要領
・神楽舎又は神座屋の設備
・神楽奉納に就いての注意
神巫?屋用四節所要数概
昭和五年八月八日
神楽研究会門川村神職会研究事項の内より
研修事項
一、神社と氏子との関係(県社以下は直接氏子に関係あるもの)国、村
二、御神楽式の起源の大要(謡曲に就いて)
三、御幣の切り方
延岡地区支部神職名簿
延岡地区日向市神楽保存会名簿
編集後記
一部、3~4頁の頁数が抜けているが、内容としてはつながっているようである。
延岡地区支部神職名簿には、亀井神社、今山八幡宮、春日神社、霧島神社、川島神社、小山神社、熊野江神社、門川神社、三箇瀬神社、川内神社、尾末神社、中山神社、早日渡神社、川内名神社、鴟尾神社、宇納間神社、菅原神社、三川内神社、古江神社、行縢神社の神社名が列記され、昭和五十八年就任宮崎県神社庁庁長黒岩龍彦の名も記されている。
延岡神楽については詳しくないのでこの資料をどのような位置づけで捉えればよいのか解らずにいる。
「岩切隆」で検索したところ、下記のサイトを見つけた。
このサイトによると、
・明治11年(1878)、伊福形・土々呂に小学校が設置された時、伊福形の神職・岩切司氏が子供たちを集め、神楽舞を教授
・大正12年(1923)、神楽伝承者が高齢化したため、地区の事業として後継者を育成。
・昭和41年(1966)、新たに地区事業として青年団のメンバー5人で習得。
・会長の岩切隆氏(1945~2012)が一人継続し、当時存命だった恒富、南方、門川町の各師匠のもとへ日参し、延岡神楽33番と別神楽4番を習得。
・岩切師匠から北川、門川、鹿狩瀬、大野、大峡の各地区に神楽の指導が為された
とあり、岩切隆という人物が関わった資料であることが解る。
現在、松田勝則という方が伊福形神楽保存会代表と聞いていたが、岩切隆の系譜の神楽を引き継いでいることが解った。
更に延岡市及び周辺の神楽については、下記に詳しく整理されている。
このサイトの問い合わせ先は、延岡城山神楽祭実行委員会(内藤記念館・延岡市文化課内)となっていることから、延岡市公認の情報と言うことであろうか。
岩切隆氏は、平成18年度の第57回延岡市文化功労者として表彰されている。表彰部門は「学芸文化」、主な功績は「延岡神楽の調査・研究・伝承」とある。