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亥の子行事

旧暦10月の初亥の日は、亥の子、あるいは亥の子行事が行われる日とされており、令和3年の初亥の日は、旧暦10月7日、新暦11月11日(木)である。現在でも亥の子行事が行われているか、しばらく宮崎を離れていたために把握していないが、20年以上前に調査した資料を紹介しておきたい。

亥の子行事について、ウィキペディアには次のようにある。

武田久吉『農村の年中行事』(昭和18年)には、次のように説明されている。

亥の子
十月(旧)の亥の子を祝ふ習俗は、平安朝の初期に支那から輪入されたものと謂はれ(『民族』4-1、一六五頁)、この行事は中国から九州に掛けて殊に弘く行はれる。この日殊に中の亥の子には子供が藁の棒とか、又は竹の棒に藁を巻いたものなどで地面を打つて歩くこと、丁度十日夜の藁鉄砲の如きものである。
そしてこの日に餅を搗くのが一般的である。「亥の子の晩に餅搗かぬ者は、鬼になれ蛇になれ」などの言ひ事がある。
 だが関東以北の国々では、亥の子に関する行事は、少くとも現今では知られてゐない。然し甲州ではもと初・二・三の亥の日、殊に初の日に、牡丹餅を作ることが盛であったが、現今でも農家では、亥の子餅の行事をやるといふ(『甲斐志料集成』十二、二四一頁)。乗京にも亥の子餅が江戸時代には行はれてゐたし、明治大正頃迄は、炬燵開を亥の子にやる家もあつた。『佐渡年中行事』によると旧十月中に亥の日が三回あると、初のを旦那様方の亥ノ子、大名、殿様祝、役人又は武士の祝、中の亥ノ子を町人、百姓祝などゝいふ。そして終のをほいとの亥ノ子といふ所が多く、五十里村では終りを百姓の亥ノ子といふといふ。そしてこの日餅を搗くことも何処も同じで、往々俵形の餅に黄粉をつけ、一升枡に一杯入れて俵に手向けるといふ。

宮崎県の民俗事例については、宮崎民俗学会のホームページに紹介した。

https://mz1.mzfolklore.net/2021/10/06/%e4%b9%9d%e6%9c%88%e4%b9%9d%e6%97%a5%e3%81%a8%e5%8f%8e%e7%a9%ab%e6%84%9f%e8%ac%9d/

また、宮崎民俗学会会長、前田博仁氏がmitenというサイトに寄稿している。

また、手元にある清武町沓掛のメモ「亥の子餅の由来」を紹介する。

「亥の子餅の由来」
 昔から陰暦10月の上の亥の日の亥の刻に、もちをたべると万病を除くという風習がありました。そしてその夜少年が集まって、わらをたばねた棒状のものなどで、各戸の門前の地を打ちながら「いのこ、いのこ」と厄よけの文句を唱えて行く風習がありました。また亥をイノシシのことにとり、イノシシは多産なので子孫繁栄の行事とも云われてきました。とにかく、そのようなことから亥の子餅は男の子の祝いの行事として各地で行なわれてきました。
 清武地方での起源はさだかでありませんが、今でも亥の子餅は各区で行なわれています。
 沓掛の亥の子餅は丸い石にかずらをしっかりまわし、固く結んで、それに男の子の持ち寄った縄をゆわえ、次のような唄に合わせ、一軒一軒亥の子餅をついてまわります。

”上げまっしゅ!今日(きゅう)の亥の日の亥の子餅は(ちゃ)
つかんか、つかん者(もん)な鬼になれ蛇(じゃ)になれ
角が生(は)えた子餅、
一の木、二の木、三の木、桜、五葉松、柳、柳の末に 
とんびも止まる からすも止まる
からすの首をひねり切ってうっせた!”

ついてもらった家では子ども達に祝儀をやります。その年、男の子の生まれた家では普通の家より祝儀をはずみます。もらった祝儀は終ってから、みんなで分配します。

以上、筆者不明であるが、地元でこの行事の由来を説明した上で、行事が伝えられていたことが解る。こうした伝統行事がどのような由来があるのかを説明することが重要であろう。

以下には、その資料と共に残されていた亥の子数え歌を紹介する

「亥の子数え歌」
いーのこ、いのこ
今夜は亥の子の晩じゃげな
大黒さんという人は
一で俵をふんまえて
二でにっこり笑わして
産で盃さしおって
四つ世の中よいように
五ついつもの如くなり
六つ無病息災で
七つ何事ないように
八つ屋敷をふみひろげ
九つここに倉を建て
十でとっくり祝わんせ

以上、宮崎での亥の子行事の資料として、紹介しておく。今後、この資料の情報については補足してきたい。

昨日、選挙報道の裏で、渋谷ではハロウィン騒動が相変わらずのようだった。亥の子行事がどの程度行われているのかこれから確認したいと考えているが、十五夜行事もそうだが、子供組による行事が急速に、海外からのフォーマットにすり替わっている。来訪神がサンタクロースに取り変わったように、亥の子行事自体が忘れ去られ、新たにビジネスイベント、消費文化として、画一的なイベントが作られていく。

地域毎の伝統行事が廃れていく理由の一つに、地域毎にマニュアル化できていないことがあるのではないか。インターネットで簡単に拾える情報に、保育園や幼稚園、小学校が気軽に飛びつくのは、避けられない。それに対抗するためには、伝統行事を解りやすく紹介する工夫が必要なのではないか。

写真:『宮崎県史 民俗2』

令和3年11月13日(土)に行われた宮崎県宮崎市清武町松の木田地区の「いんのこもち」の映像を紹介する。


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