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それでも僕は死にたい

ここ半年は非常に充実した日々を送っている。2018年の6月頃は絶賛ひきこもり生活中であり、大変闇の深いnoteを書いていた。このころは常に死にたいと思っており、これからの人生は絶望しかないと思っていた。金はないし身体も動かない、友達はいないし、楽しみもない。ただツイッターを眺めてベッドに横になり、糞をたれながら心臓を動かしているだけの日々を送っていた。ところが最近は週に3日程度バイトをこなし、家にいるときはVRChatで友だちに囲まれて楽しい時間を過ごし、酒も美味しく感じるようになった。障害年金+バイト代で金に困ることはなくなり、趣味に費やせる時間がたっぷりある。おまけに最近は恋人のような人もできて女にも困っていない。客観的に見ればこれだけ充実していれば何も悩むことはなく、バラ色の人生を送っているように見えるはずだ。

しかし、これだけ恵まれているのに、何故か死にたいのだ。とにかく死にたくてたまらない。以前ほど希死念慮に苦しまされることはなくなったが、「死にたくないか」と問われれば迷うことなく「死にたい」と思うし、先日発生した18歳の少年が拳銃自殺をした事件のニュースを見ても、純粋に「羨ましい」と感じ、死に対する強いあこがれは常に僕の心のなかにある。

これは今の生活はかりそめのものであり、1年後、2年後も今と同じように生活できるとは考えられないことに起因していると思う。もしかしたら2018年の6月にまた逆戻りしてしまうであろうということが容易に想像できてしまう。あのときの苦しみをもう一度味わうくらいだったら、死んでしまったほうがどれほど楽だろうかといつも考えてしまう。

繰り返しになるが、今僕を取り巻く環境には全く不満はない。この生活が一生続くと保証されれば、もしかしたら死にたいとは思わなくなるかもしれない。どうにもならない将来の不安に押しつぶされてしまいそうになっていて、「明日のことは悲観的に、数年後のことは楽観的に考えるべし」を全く実践できていない今日このごろなのである。

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わとりん
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