「自然と人のダイアローグ」展@国立西洋美術館における気づき
先日、国立西洋美術館の「自然と人のダイアローグ」展を見に行きました。
絵画展ってそんなに行かないんですが、
Instagramの広告に頻繁に出てきたもので。グッズもなんか良いなと思って。(戦略にハマった感はありますが)
あと、最近原田マハさんの「常設展示室」という小説を読んで、美術館に行ってみたくなったのもあります。妙にタイトルに惹かれて思わず買ってしまったんですが、そこで作品から何かを感じることの豊かさを垣間見たような気がしました。
「自然と人のダイアローグ」展の感想は全然一言では表せないけど、予想以上にすごくよかった。すごくよくて2回行きました。1回目は美術に詳しい友人と、2回目は1人で音声ガイドを聴きながら。
数ある作品の中から特に印象に残った2つをピックアップして、そこから感じたことを。
〇ゴッホ「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」
ゴッホがサン=レミの精神療養院にいる時の絵画であり、彼麦の刈り入れに死のイメージを重ねたそうです。作品の背景と彩りのギャップに、興味を惹かれました。
もしかしたら他の絵にも言えることかもしれませんが、私にとってはその時の気分で見え方が異なることに気づいたんです。
1回目はキラキラ輝いていたように見えたけど、2回目の時はトーンが暗くなったような?
なぜでしょう?
混んでて少しストレスを感じてたから?
モヤモヤと考え事をしていたから?
この作品の見え方が心のバロメーターになるような気がしたので、お家に飾ることにしました。
みなさんにはどう見えてますか?
〇オディロン・ルドン「雲を狙うケンタウロス」
この作品はポストカードもなく、音声ガイドでも取り上げられてなかったですが1番心を惹かれました。なぜなら私が目標とする姿に重なったから。
普通に考えて、雲に向けて矢を射ても突き刺さることはないじゃないですか。だから、雲を狙うケンタウロス=とらえどころのないものをつかもうとする・ある意味非常識といえることをやる、つまり夢を追う人の姿に重なったんです。実際に形にできるか・意味があるかはわからないけど、やってみたいことがある。それを楽しむことを大事にして、とりあえず諦めないでおく。私もそうありたいと改めて思えました。
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以前は、絵はよくわからない物でパッと見て通り過ぎちゃうことが多く、なんでみんなこんなに眺めていられるんだろうとか思っていたけど、例えば、完全体じゃなくても悪くないなとか、作者の意図に沿わない解釈があってもいいんだなとか、自分の内側から溢れてくる思考、心の機微がなんか心地よいし面白いなと思いました。これはコロナ禍で自分の内面に目が向いたからこその変化ではないかと私は考えています。
私の感想はこんな感じでしたが、百人いたら百通りの全然違う感性があるんだと思います。どんな異なる捉え方があるのか、ぜひ色々な方に聞いてみたいです☺︎