二院制の起源と歴史を考えることで、(日本の)政治風土、民主主義の在り方をつらつら考える。なぜ、結局、日本人は世襲議員を選んでしまうのか。
小泉進次郎くんと滝川クリステルの結婚、その二人を、安倍首相が官邸に招いて祝福、国民も、もう次の次くらいには、小泉進次郎くんに総理大臣を禅譲、つなぎに菅のじいさんがはさまっても、まあいいか、みたいな雰囲気に、メディアがなっていること。驚くことに、安倍、麻生コンビに対しては批判的な気分の人も、「菅じい」経由で進次郎、クリステル王朝へ、は歓迎、みたいな気分になる人が多い。菅じいはダメっていう人も、進次郎はイイネってなってしまう。僕の周囲にも、そういう人はいる。さて、なんでだろうね。
あの「進次郎、クリステル、官邸祝福」事件以来、どうして日本国民のマジョリティは、そんなことを嬉々として受け入れるのだろう、ということについてあれこれ考えてきた。安倍を、麻生を批判して、もし、うまいこと、彼らを政権から追い出せても、その先に進次郎くんがいるのでは、日本支配の基本構図は、何一つ変わらない。これは、彼ら自民党清和会系の政治家側の問題ではなく、嬉々として選んでしまう、国民マジョリティの問題なのではないか。(マジョリティ、と書くと、選挙での自民党の得票はせいぜい有権者全体の3割弱に過ぎない、という意見が必ず出てくるが、投票しない5割も含め、「まあいいんじゃないの」と思っているから、政権は続いているわけだ。)
ここ数年間の安倍政権下で、「なぜ麻生副総理の地元の選挙民は、あんな底意地の悪い、いやなじいさんを、選挙で選び続けるのか」「なぜ安倍総理の地元選挙民は、あのような愚昧な男を選挙で選び続けるのか」と、悶々と考え続けてきたことの先に、「なぜ、みんな進次郎は許してしまうのか」がある。
まだ。明確な結論は出ていないのだが、本論を通じて、ひとまず、ざっくりと、考えを文章として定着しておきたい。
その論考のスタートは、上記の問題とは、一見、関係ないところから、スタートする。
二院制について、なぜ衆議院と参議院があるの、っていうことは、小学校の社会科あたりから、中学、高校の公民だの現代社会だので、習うたびに、なんとなく、納得できないなあ、と思い続けてきた。
なぜだろう。そう考えて、思い当たったのは、公民や現代社会では、二院制が成立した、歴史的経緯をすっ飛ばして、今の制度のことだけを説明しようとするからではないのか。
二院制がどう意味があるか、ではなく、なぜ二院制になったのか。こう考えることが、二院制の問題については必要なのではないか。
これは、そもそも、その起源につい考えた方がよい。二院制ができた経緯、理由って、なんだ。
ざっくりと、イギリスの歴史と、フランスの歴史のふたつの理由から考えると、割と納得できる。
イギリスの二院制を見てみれば、これははっきりと「貴族院」と「庶民院」である。貴族院は、かつては、そのものずばり、世襲貴族か、高位聖職者しかなれなかったのである。というか、昔は、貴族は全員貴族院議員だったのだ。つまり、身分制度があって、貴族にしか政治に関わる権利がなくて、後から、民衆の代表も政治に参加するということで、後から、庶民院が出来たのだ。初めのうちは、庶民院も、貴族院議員のコントロール下にあって、名ばかりのものだった。時代が下るにつれ、民主主義の原則が、より強く政治制度に反映されるようになり、現在では庶民院が優先し、貴族院は、それを補完する、あまり力のない議会、となっていったわけ。これが、イギリス流、二院制のある理由。政治はまずは貴族のすること。後から、民衆の代表が加わった、そして徐々に、庶民院が優越に、変わっていった。
次に、フランスの二院制。フランスは、フランス革命で、王様も貴族もやっつけちゃったから、フランス革命以降の議会は、初め、一院制だった。ところが、その一院制で多数派を占めた人たちが、恐怖政治を敷いて、反対派をどんどん粛清・処刑しちゃう、という事態が起きた。一院制だと、そこでの多数派が暴走しちゃう。初めは「民衆の代表だ」といって権力を取った勢力が、暴走して反対派を粛清しまくる、というのは、人類の歴史で繰り返されてきたことなわけ。だから、短期的に、民衆のある勢力代表が圧倒的に政権を取ったとしても、その暴走で酷い政治が行われないように、選ばれ方の制度の違う、もうひとつの議会が、それを抑制する仕組みが必要。だから、二院制が必要。貴族がいない社会でも、二院制は必要。
フランスは、そのために、議員が(下院と地方議員が)、上院の議員を選ぶという、不思議な二院制を取っている。上院も下院も国民の直接選挙をしたら、上下院に質的違いが出ない。上院は、政治意識の高い議員によって選ばれるという制度。なるほどね。これがフランスで二院制が出来た経緯。
この、イギリスの理由(身分制度の反映)→フランスの理由(多数派暴走の抑止)という二段階の理由を、まず、しっかり押さえておく。そして、日本のことを、考える。
日本も、明治期、大日本帝国憲法では、「貴族院」と「衆議院」だった。つまり、イギリスの理由、身分制度の反映が先行している。明治維新以降の、明治初期は議会自体がなくて、建前上は律令制の復活、太政官制とかいう大時代的な名前がついていたが、実質は、いわば元老制の形で、皇族と維新の元勲だけで大事なことは全部決まる政治形態であった。そこに自由民権運動(といっても、本当の下々民衆の運動というより、薩長閥からはじき飛ばれた士族の権利獲得運動の色彩が濃い)の結果として大日本帝国議会ができることになったときに、公選の衆議院とともに、貴族院も同時に作られた、貴族院は公選ではなく、貴族華族の互選によるものと、勅撰の有識者からなるものだった。順序や構成はイギリスとちょっと違うけれど、身分制度を反映した、二院制である。
第二次世界大戦後の、現在の日本国憲法では、身分制度は廃止されてしまったから、フランス型の理由しか残っていない。ということになる。名前が貴族院か参議院になっただけでなく、出自を区別して選ぶことができなくなったから、衆議院と参議院の質的区別は、日本の場合、ほとんどない。選挙区に全国区があるとか、選ばれた後の、任期とか、解散があるないとか、どっちが優先権があるとかいうことは公民現代社会でごちゃごちゃ習うが、どういう異なる資質の人が選ばれるかの差は、制度設計上ない。イギリスのような身分の違いも無ければ、フランスのような「議員が議員を選ぶ」というようなシステムもない。分かりにくくて当然なのだ。
さて、ここで、日本の二院制だとわかりにくくなっている二院制の意味を、イギリスやフランスの二院制理解をベースに、いったん、もうすこし普遍的意味として、考察を続けてみたい。
日本のことというより、人類普遍の原理として、実は「長く支配的階級にあった人が、元老院的に、政治に関わる」という貴族院という制度は、(民主主義が正義だとすると、そんな馬鹿なことはない、となりそうだが)、なんらかの合理性があるのではないか、というのがひとつの問題提起。この辺は、プラトンとアリストテレスを勉強していると出てくる話だから、それらを復習してもいいのだけれど、どちらにしても民主制の欠点と、専制君主の横暴の欠点を相互補完し合う、なんらか中間的な「混合政体」が、現実的にはいちばんいいよね、ということをプラトンもアリストテレスも、まあ、言うわけだ。(ざっくりすぎてごめんなさいね。)
アメリカの上院もSENATERというが、あれも語源としては「元老院」ということ。富裕で支配階級に長くあった人が、必ず「強欲な私利私益で行動するか」というと、そんなことは無い。富裕であり、生活に困っていないので、長期的視野だったり、世界的な大きな視野でものを考えられる、という利点もある。長い政治的経験と、広い視野、長期的視野から政治を考えられる少数の賢者によってなされる政治が、最も理想的だ、という考え方は、古来、ある。
民主主義というものが、貧しく、個別的具体的問題を抱える庶民の代表のみが集まって意思決定をするシステムだとすると、そこに欠けてくるものはないのか。過去の歴史に学ぶ、とか、自分達とは全く違う困難に直面している他国との関係を、そうした他国の立場も勘案して判断するとか。長期的な、大局的な視野で、国家の大問題を正しく判断はできないのではないか。そういう問題点は、たしかにある。
そうだとすると、個別的、具体的問題に立ち向かう庶民の代表の集まりである衆議院と、富裕で生活にゆとりがあり、長く政治に関わってきた貴族の代表、貴族院、それぞれが個別の議会をもち、ふたつの議会で、国家に関わる大問題は決議される。こういう二院制というのは、なにがしかの合理性を持つのではないか。
もちろん、貧しい民衆の代表で個別の困難に対する意見代表者であっても、同時に大局的、長期的判断ができる人もいるだろうし、富裕でゆとりがあって、長く支配階級にあるがゆえに、その自分たちの利益のためにしか行動しない、けしからん貴族院議員もいるだろう。(こうなりそうな人なら、容易に想像できる。)。この辺の類別と善悪のパターンわけは、アリストテレスがかなり厳密にやってくれている。興味ある人は調べてみてね、
いずれにせよ、「貴族」と「(貧しい)民衆」という、いわば身分・経済的立場の違いで、それぞれ代表議会を作るという二院制のアイデアは、「長期的大局的な視点」と「個別切実な問題の当事者」という、政治的判断をするにあたっての大きく異なるスタンスをどちらも取り込むという意味で、有効な政治形態だと思う。(混在させると、議論になりにくいでしょう。)
とはいえ、フランスや日本や、またアメリカ合衆国のように、「貴族」という階級を制度的に持たなくなった国で、この二院制の長所を取り入れようとすると、どうしたらよいか。フランスの、上院は下院と地方議会議員の選挙で選ばれる、というのはなかなかよくできていると思う。日本やアメリカのように、どちらも直接選挙で選ばれるのだと、どうも制度的には、うまくできていない。「個別的な課題に対する利益を代表し、その意見、意志を国政に反映させる議員」と、「大局的、長期的問題を私利私欲抜きで判断できる議員」を弁別する方法というのは、残念ながら、直接選挙に頼る限り、無理だと思う。
(アメリカの上下院がどう違うのか、という質問が出そうなので、説明しておくと、上院は、50州、各2名ずつで100人。下院は人口比で割り当てられた単純小選挙区で435人。州単位で見れば、人口の多い州にたくさんの議員がいることになる。
つまり、州をひとつの国と考え、人口が多くても少なくても、ひとつの国として平等な投票権を持つとしたときの、州の集合体としての意志を示すのが上院。
下院は、アメリカ全体をひとつの国として、その国民の意志を直接反映したのが下院、ということになる。
上下院の違いは「州が国を作っている」と「衆が国を作っている」の違いということ。アメリカ合衆国は、誤字が定着したわけで、直訳すればアメリカ合州国が正しい。合衆国議会が下院、合州国議会が上院ということである。上院議員は、州知事とは別の、国政に対する「州代表」。やや「州の貴族支配階級」的、特権階級的色彩が、下院議員より強い。)
さて、ここまでが、前提。前提が長かった。
二院制、貴族の代表のもつ一定のメリット、そういうことをいったんこのように整理した上で、日本において「世襲議員」が好まれる理由を考える。単に「地盤看板カバンがあって有利」という言い古された理由だけでなく、選ぶ国民の、政治意識の深層の問題として、世襲議員が、いわば「貴族」として選好されるのではないか、ということを考察していきたい。貴族院はなくなったけれど、日本人は、貴族こそが政治をするべき、と本当は思っているのではないか。という漠とした仮説を念頭に置きつつ、考察を進めていきたい。
僕が考える、日本人の政治意識の仮説。
そもそも歴史的に、日本では、というか世界どこでも「庶民とは違う偉い人」(王様とか貴族とか、武士軍人階級の大将とか)が政治をしていた。他の俗事(農業や商工業)から離れて、軍事力を背景にもちつつ、普段は政治だけをしている支配階級のことを貴族とか殿様とか呼ぶわけで。貴族や武家、殿様が、政治をするというのは、トートロジーになってしまう。
つまり、政治の在り方としては、「貴族院」の方が、自然なんじゃないの。「衆議院」は、貴族院の補完機能なんじゃないの。というのが、そもそも人間の、深層心理での、原初的政治イメージなのじゃないかしら。ここから、衆議院優位に変化していくには、結構、激しい民衆側の権利獲得闘争の歴史を経ないと、そうならない。
では、日本には、そもそも、そういう「貴族ではない、民衆代表が政治の権利を獲得しようという激しい闘争の歴史があったのか?」ということなのね。もし、無いのだとすると、「貴族・殿様が政治をする」ことを自然と感じる心が、いまだ優勢なのではないかしら。
貴族と対立概念である「一般民衆の代表が政治を行う」という感覚が、日本人の多数派には、腑に落ちていないのではないか。少なくとも、「貴族・殿様が政治を行っている。それに追加して、庶民も、政治に参加させてもらう」までは飲み込めるとして。
「貴族・殿様がいなくて、庶民の代表だけで政治をする」ということが、飲み込めていないと思う。そうすると、疑似的に「貴族・殿様として政治をしてくれる人を求める」という意識が働く。それが、「世襲政治家を求める心」の真相・深層なのではないかしら。
ということで、江戸時代まで、政治意識の源流を遡って考えます。
「江戸時代には、日本人の庶民の多くが農民だったので、農民にとっての「えらい人」というのイメージを、大きく三タイプに分けてみる。
「年貢を取り立てる、お殿様から役人までの武家官僚機構」と「庄屋さん(豪農)」と「貧農のリーダー」。
年貢を取り立てる人の頂点には「殿様」が本当はいるのだけれど、農民から殿様はあまりに遠い。
藩の役人=武家の末端がそれをするのだが、これすら、まだ遠い。
年貢の取り立て、藩からの様々な命令の伝達は、庄屋さん(豪農・富農、地域農家の代表)が請け負っていた。この庄屋さんというのは、時には武家機能の代役として、農民を圧迫もしたし、逆に、貧農たちの声をまとめて、武家機能に対峙する「農民代表」の役割もした。
庄屋さんが悪い人、悪徳庄屋、という場合も時にはあり、その場合、貧農は、貧農仲間の代表を選んで、庄屋の悪行を、そこをまたいで、殿様、領主に直に訴えて、庄屋を懲らしめたり交代させたりしなければならないという場合もあり得た。しかし、こうして訴える先の殿様は、貧農からは遠い存在であり、どんな人なのかは、実際は知ることはできなかった。
こういう政治権力風土に長く(江戸時代)に置かれていた農民意識が、日本人の政治風土の根幹に根付いている、とすると。
政治家というのは三タイプに分けられる。
① 「殿様」。
自分からの距離は遠いが、そこまで声が届けば、もしかすると、善政、慈悲を期待できるかもしれない存在。ただし、そこに至るまでの武家・官僚機構の壁が厚い。貧農からは距離があり過ぎて、本当はどういう存在なのか、よくわからない。
② 「庄屋さん」
② -1「悪徳だが力のある庄屋さん」強欲だが力のある地元の庄屋、的な存在。地元の声を吸い上げ、官僚機構に働きかける力があるが、強権的、強欲であり、自分たちを圧迫する存在でもある。
②-2「善良な庄屋さん」有力なうえに善意があり、貧しい農民の声を拾い上げてくれる庄屋さん。自分たちの味方だが、あくまで貧農から見ると、ちょっと身分的には上の存在。
②-3 「善良だが無力な庄屋さん」 貧農の味方になってはくれるが、役人に対して無力で、頼りにならない庄屋さん。
③「貧農仲間のリーダー」
貧しく困窮した仲間の声を集め、悪徳庄屋と戦ったり、殿様に直訴したりしてくれる存在。
庄屋さんが、「悪徳」なのか「善良」なのか、というのは、どういう付き合いをしているかによって、人によっても評価は変わるのだろうから、この2タイプは、くっきりと分けることはできないのかもしれない。
令和の世の中になっても、こういう江戸自体の百姓根性から日本人の政治意識は脱却できていないではないか、というのが、本論の基本的立場。
さて、まず、政治家というのは、自分達より偉い人であって、自分たちと同じ地平にいる人ではない、という感覚が、日本人のマジョリティなのだと思う。
だから「③貧しい人のリーダー=自分たちと同じ地平にいる仲間のリーダーを政治家に選ぶ」という感覚を持つ人自体が、少数派なのだと思う。→現在でいえば共産党や、社民党、「市民ネットワークで、主婦代表、みたいな候補を立てる。最新型として「れいわ新選組」は、こういう人を候補に立てようとしている。いずれにせよ、少数派である。
日本人の政治意識のマジョリティは、「政治家というのは、①殿様から②庄屋の範囲の、自分より上の立場のえらい人」だ、という感覚。
① その中の「浮世離れしているかもしれないが、善良な、名君としての殿様が、もし地元にいれば、選びたい」という気持ちがある。良い殿様・待望派。こういう気持ちが人の中にはある。殿様の息子は「若様」である。
戦前から世襲の政治家の中には、こういう人がいる。細川護熙さんや、鳩山由紀夫さんなんかは、こういうイメージで選ばれているのだと思う。
小泉純一郎→小泉進次郎、というのも、こんなイメージのではないか。
安倍晋三という人は、地元選挙民から見て、立派な爺様、父殿様の三代目、可哀そうなことに「バカな若殿」なのだと思う。地元利益誘導型の庄屋型ではなく、あくまで殿様なのだろう。彼が英邁な殿様でないことはみな分かっているが、殿様の跡継ぎとして、なんとか体裁を保つくらいのことはできる人だ。殿様である以上は、選ばねばならないのだ、という意識なのではないか。(若バカ殿は、馬鹿だと言われた悔しさから、なんとか偉くなろう見返してやろうと能力以上に見せようとするわけだ。
② -1 悪徳庄屋だが、地元利益にはなる。
人生とは、生活とは、いろいろな利権の複合体。仕事も生活も、清濁併せのんだ、汚れた中で、いかに力を持つ人と良好な関係を持つかだ。だから「悪徳でも有力な庄屋」をリーダーに持つのが得だ。もしかすると、殿様だって、大金持ちの庄屋さんには頭が上がらないのだ。そういう「たとえ悪でも、有力な庄屋を選ぶのが大人だ。」という意識。
麻生太郎というのは、自分は「殿様」だと思っているのかもしれないが、こういう「汚い庄屋」と思われて、選ばれている。
② -2 うちの地元の庄屋さんはいい人だ。
小沢一郎さんのことを悪くいう人は「②-1悪徳庄屋」だと思っているのだと思うが、私は、②-2善良で有力な庄屋だと思っている。庄屋の②-1タイプと②-2タイプは、見る人による、というのはそういうことだ。
細川内閣でも、鳩山内閣でも、小沢さんが自ら総理にならなかったのは、日本人が総理に求めているのは「殿様」であって、庄屋ではない。庄屋が総理になろうとすると、実態がどうであろうと、「悪徳庄屋」のイメージをどうしても人は重ねる。そのことを、田中角栄のことを見て、学んだのではないか。
①浮世離れした殿様
無能であっても、周囲が支える。少しでも有能に見えると、みんな大喜びする。浮世離れしているがゆえに無能だ、となると、短命、失脚することも多い。
②-1悪徳で剛腕な庄屋。世の中を動かすのは、このタイプだと思われ、多少のダーティさには目をつぶって投票する多くの平均的日本人によって選ばれ続ける。
②-2善良で有能な庄屋。この人は、力を持つうちに、②-1のダーティイメージを付与されていき、有力者にはなれても、トップとしては短命だったり、トップにたどり着けなかったりする。田中角栄や、小沢一郎というのは、こういうタイプなのだろう。
大坂維新の政治家は、地元の支持者は、このように見えているのだろう。(私からは②-1のように見えるのだが。)
②-3 善良で無力な庄屋 貧農のことを考えて、やさしい、正しいことを言ってくれるが、無力で、殿様を動かすことができない。民主党のリーダー層彼らは自分のことを③貧農と同水準の存在と思っているが、貧農から見ると、彼らもある種のエリートである。民主党議員に弁護士出身が多い、というのは、この辺の「貧者の味方だが、経済的にやや富裕なエリート層である」ということ。善良でもあり、知的には優秀であっても、民衆からも若干浮いているし、政治的な実行力も弱い。
③貧農・平民のリーダー。既存政党では、共産党と、公明党がこのポジションを獲得している。つまり、日本では、このタイプが単独で政権までたどり着いたことは、無い。あくまでも少数派野党のリーダーになるだけである。共産党と公明党が一定の得票を常に獲得するのは、地方議会から、地元の弱者の声を直接吸い上げて支援する組織と機能をもって活動するから。
最新型としては、れいわ新選組の山本太郎が「当事者を国会に」と言ったのは、こういうことである。貧しく具体的な問題に苦しんでいる当事者の代表をこそ、国会議員になるべきだと。しかし、れいわ新選組に反発する人が多いのは、「殿様や庄屋でもない人が、国会議員とか、ましてや総理になろうなんていうことは、ありえない。おこがましい」という、もう生理的としかいいようのない反感である。自民党支持者、つまり、封建時代の農民的メンタリティ、「殿様か悪徳だが有能有力な庄屋様が政治家であるべき」感覚の人からすると、山本太郎、れいわ新選組は、政治秩序を乱す、分を弁えない、ならず者にしか見えないのである。
長くなったので、とりあえず、本論はここまで。
次には、では、そんな封建時代の貧農根性が深層意識に根付き、殿様か、でなければ悪徳庄屋を政治家に望んでしまうこの日本で、どうやって民主主義を機能させていったらいいのかについて、考えて行こうと思う。(といっても、明確なビジョンが今はまだ見えていないので、次作がいつになるかは、わかりません。)