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「小泉今日子40周年」NHK特番を見て「優しい雨」が最高傑作と再確認感動して、作曲者鈴木祥子さん歌唱のYouTube動画見たら、一か所コードと旋律が小泉版と違うの発見しての考察。

2024年10月23日Facebook投稿をコピペ。

NHKBSで小泉今日子40周年スペシャルの再放送をたまたま見ている。やはり「優しい雨」がいちばん好き。小泉今日子本人作詞の歌詞も鈴木祥子の曲も完璧。緒形直人との「愛するということ」というドラマの主題歌だったわけだが、今ならストーカー?みたいなストーリーのドラマだったがあの時代らしくてなんか好きだった。

そして、YouTubeでまず小泉今日子の正式PVを鑑賞。

続いて作曲者、鈴木祥子さんが、アコギ名手吉川忠英氏の伴奏で歌う動画を鑑賞。

おや。なんか、一か所、当たっているコードが違うぞ。旋律も違うぞ。

サビ直前、歌詞で言えば1番なら「駅に向かって」の
「むかあーって」のあー、のところ。

曲の調は、小泉さんも鈴木さんも一緒、基音G#、アコギでなら吉川氏もカポ1でGで弾いている。のでここから先はト長調に変換して音程やコードは書いていく。本当の音やコードは全部半音高いと理解してくださいね。

鈴木さんの動画を見ると、ここのコードと旋律がとても印象的に聞こえる。聞きなれた小泉バージョンと違うからだな。

コードと旋律解析

鈴木さんバージョンだと、当たっているコードはE7-9→E7だと思うのだな。このコード、構成音的には1~4弦だとディミニッシュ7である。旋律はそのコードの特徴的な音、「あー」のところは、E7-9の「-9」つまりファである。

これが小泉バージョンだと、当たっているコードはEsus4で、旋律はファ#である。半音高い。

当たっているコードが違う、というのは編曲者で違うというのはよくあることだが、旋律自体が違うというのは結構珍しいので、「おや、あれ、どっちがいいかなあ」と何度も何度も聞き直して、ギター伴奏を自分でもつけてみて、いろいろ比較してしまった。

歌詞の展開と、旋律、コードのの関係。

鈴木バージョンだと、ディミニッシュ7の響きだから、ここにすごく切ない響き、情緒が入る。

小泉バージョンだとSUS4なので、明るくサラッと過ぎていく。

この二つ、どっちがいいかというと、この部分だけに注目すると、印象的なのは、鈴木バージョンである。

しかし、ここに印象が行き過ぎて、次のサビへの効く側の集中がちょっと削がれるところがある。歌詞への集中力が落ちるのである。

駅前の雨の風景を淡々と描写する導入部分から、切ない心情のサビへ、歌詞は展開していくのである。問題部分は風景描写の最後であって、まだ心情吐露にはなっていない。まだ曲が切なくならないほうが、歌詞と旋律の関係でいうと合っているのである。

そういう意味では、小泉バージョンの方が、歌詞と旋律、コードのマッチングとしては正しい感じがする。

というのが「歌詞の展開と旋律とコードの関係」を考えての評価。

小泉今日子の歌唱力、発声特性を編曲者が考慮した、とも考えられる

「小泉今日子40周年」の番組では、デビュー直後の小泉今日子が歌っている映像がたくさん流れたが、これがもう強烈に「音程が無い」感じがする。音が外れているとかではなくて、「音程が無い」のである。

 けなしているのではない。「音程感が無い発声から音程感のある音へ移行していくスリリングな感じ」というのが、小泉今日子の歌の魅力にはあるのである。

 年数を経るうちに「音程が無い発声」の比率はだんだん低くなり、歌唱力はぐんぐん上がっていく。上がってはいくけれど、「音程のない音の含有率」が高いというのは、小泉今日子らしい魅力の源泉なのである。貶しているのではない。ほめているのである。

 なんでもかんでも正確な音程100%が魅力的なわけではない。例えば、前に玉置浩二さん歌唱力分析noteで書いたけれど、ミスチルの櫻井さんは「音程のない発声」含有率が、実力派歌手の中では際立って高い。(全息のうち、正解周波数に乗っている比率が低い。外れてるんじゃなくて、関係ない息の音比率が高いのだと思う。)そのための、不安定な感じがすることが魅力の源泉になっている。ap フェスでの浜田省吾さんとか秦くんとの共演なんかで、安定感マックスな彼らと一緒に歌うと、櫻井さん発声の不安定魅力というのがはっきり分かると思うのだな。日本で一番、不安定さが魅力的なのが櫻井さんだと思う。

 この「優しい雨」を歌っている1992年にはもうデビュー10年目で、歌唱力は飛躍的に上がっているが、それでも「音程感が無い不思議な発声」というのは小泉今日子の歌い方の魅力的な特徴として残っている。

 この、小泉不思議な音程感レス発声に対して、鈴木祥子オリジナルバージョンの、ここだけ半音低い「ファ」を噛ませる、その一音の劇的効果を狙うというのは、リスクが高い。と編曲者とかディレクターが判断したのではないか。そんなことも、ちょっと考えてしまった。

まとめ

 これだけ有名な楽曲、名曲中の名曲で、作曲者がもともと作ったのと、歌手の歌った旋律が、ここまではっきり違うというのは珍しいと思ったので、いろいろ考察をしてみたのだが、とにかく素晴らしい名曲です。どちらバージョンも、何回聞いても、聞けば聞くほど素敵。というのが結論かしら。

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