イチローさんが、2020年1月に智辯和歌山・野球部員に、三日間の指導の後に、伝えた「ちゃんとやってよ」の一言。から「大切な一言」はあくまで「豊かな体験・時間」を思い出すためにあるということを考える。(政治の、選挙の季節に)
イチローさん 野球人生第2章 高校球児に伝えたかったこと【news23】
TBSのニュース23の映像での、イチローさんの言葉。
2020年1月、智辯和歌山高校の野球部に、三日間、イチローさんが指導をするのを取材したVTR、YouTubeで見ることができる。
結局、この夏、智辯和歌山が全国制覇した時点から見返すと、イチローさん、スゲーな、という思いを禁じ得ない。が、今日、これから書くことは野球の、スポーツの話ではなく、「言葉」について考えたことである。
一日目は練習を見る。
二日目は、それで欠けていると思ったことを伝える。あまりに密度の濃い練習のために、無意識に力をセーブしてしまっていると見たイチローさんは、キャッチボールで、限界まで強い球を投げる。バッティング練習では、思いきり振って、強い打球を遠くに飛ばすこと。練習で全力で振れなければ、試合では強く振れるはずがない。イチローさんの打球が次々フェンスを越えていくのを見て、選手たちの目の色が変わる。
カラダで、その目で体験すると、
そもそも意識も技量も高い智辯和歌山の部員たちは、積極的に質問に行く。名前を名乗ってから質問すると「知ってるわ」と、一人一人の名前を憶えていてくれることにも感動する部員たち。その上、アドバイスが独特。スローイングについて「胸を見せると、力が伝わらなくなる」。取材VTRではそれだけだが、質問に来た選手それぞれに、そういう、「何か、いままで考えたこともないけれど大切なこと」を伝えたのだと思う。言葉でも、技術を見せる事でも。
三日間の指導が終わって、部員から感謝の言葉とともに、花束をもらったイチローさんの言葉。
「期待してます。がんばって。」「ちゃんとやってよ。」
「ずっと、僕、見てるから。ちゃんとやってよ。」
その後の、記者のインタビュー。取材記者
「ちゃんとやってねー」って、「ちゃんと」ってどんな思いを込めたんですか。
イチローさん。ちょっとムッとして(記者のくせに、言葉へのデリカシーがないな。という怒りだと思う。)
いやいや、「ちゃんとやってねー」なんて言っていない。「ちゃんとやってよ」
そう、それもね。あれも、時間、三日間ないと、できないですよ。あれ、一日目で出てこないですよ。「ちゃんとやってよ」って。
一日で終わってたら、まあ、できるだけ、そこに最後、詰め込んで、硬いーい挨拶して、「じゃあがんばね」って、それで終わりですよ。
「この一言で、あの時間が思い出せる」っていうワードなんですよ。「ちゃんとやってよ」って、見たら、もし、何かで。じゃあ、それこそ、Tシャツ作りました。「ちゃんとやってよ」Tシャツ作ったら、思い出すじゃないですか。
それが、長ったらしい文章で、⑴になに、とか。いや、そういう話じゃないから。
あの一言で、三日間が思い出せるんですよ。そういうことです。
さて、ここから、かつての僕の仕事、広告の言葉の話と、今の僕の関心事、政治家の言葉についての話。
以前に、田中康夫氏の横浜市長選の戦い方「大事なことを全部伝える」を、対立候補の「ワンフレーズ型」「政党ブランドに頼った戦い方」と比較して書いた。政治家は、言葉で、大切なことを、全部まるごと伝えないといけない。時間がかかっても構わない。そこからしか、民主主義はスタートしないのだということを書いた。
それよりさらにずっと前、noteを書き始めの頃、広告の戦略プランナーとして働いてきた経験について「広告では、印象的な一言しか残らない」という広告クリエーターに対して、「その商品、企業にとって大切なことは、いくつかの文脈が組み合わさって出来上がっている。それを伝えないと、消費者の行動変容まで起こせない」という、文脈(コンテクスト)プランニングという考え方をで、働いてきた、ということを書いた。
イチローさんが「三日間という時間がなければ」というのが、すなわち。「大切なことは、豊富な、複数のコンテクストで出来上がっている」ということだ。それは、イチローさんが「⑴なんとか、とか」として否定している、箇条書きでまとめられるような貧弱なことではない。そう、私は「ワンメッセージ」と「コンテクスト」の中間にある、「箇条書き」というものが、いちばん嫌いなのだ。あれは、頭の悪いやつが、何かを覚えようとして、あるいは頭の悪い指導者が、何かを伝えようとして、結局、大切なことを全部まるごと伝え損ねる。最低の手法だと思っている。「パワーポイントに1 なんとか 2なんとかって、箇条書きで要点を書きなさい」っていうのは、最低最悪なんだ、ということは、ここで言っておきたい。
イチローさんの一言、ワンフレーズ「ちゃんとやってよ」が機能するのは、それ以前に、三日間をともに過ごした、豊かな、言葉も体験も全部含めた大切で豊かな時間があるからだ。それをまるごと、思い出すために「ちゃんとやってよ」があるわけだ。
広告商品の場合も、そこに、何か、思い出すにたる価値がありそうだ、と言う感覚が伝わって、とてもじゃないけれど15秒や30秒では語り切れそうにない内容や企業の自信が感じられて、それを購買現場で思い出すための「把手(とって)としての一言」ワンフレーズがいる、ということなのだ。
政治家は、野球選手と違って、「豊かな中身」も、これは基本、言葉である。借り物ではない、語りたい、伝えたい、知識とアイデアと思いが、その政治家の中にぎっしりと詰まっていることが、まず大前提である。
そして、立候補表明演説や選挙に向けての演説で大切なのは、聞こえのいいワンフレーズを連呼することではなく、まずは、その、ぎっしりと詰まった思いと知識と実現したいアイデアを、もれなく全部、自分の言葉で伝えることだ。それができることが政治家としての最低限のスタートラインだ。
イチローさんが、全力で投げるボールで、全力でスイングしてどこまでも遠くまでボールを飛ばしたことで、大切な何かを高校生に伝えたように、全力で投げる、力いっぱい振る、そういう言葉を、政治家は語らなければならない。
その全力のボール、全力のスイングがあって、それを聞いた人の心のなかに、この人に託してみたい、という思いを、心に灯さないといけない。
全力の言葉のボール、全力の言葉のスイング、それを見て、政治家の実力を判断するのだ、有権者は。
聞こえのいいワンフレーズや、箇条書きでしか政策を語れない人間は政治家として不適格である。
そこがスタートライン。あくまでスタートライン。その全力のボールと全力のスイングを見て、それをいろいろな政党、いろいろな候補者で比較して、誰に投票するか、どの政党に投票するかを選ぶのが選挙で、有権者がすべきことだ。
政治家の持つ「豊かな文脈」=「思いとアイデアと知識と経験と人柄とがまずあること、それを余すところなく時間をかけて伝えたうえで、そのうえで、投票の瞬間に思い出してもらえるキャッチーな一言があれば、さらにいいね。そういうことである。初めからキャッチーな一言を作って、それを連呼するようなやつは最低の政治家である。
これは、自民党総裁選についても、その後の総選挙でも、地方自治体の首長選挙でも、全部一緒だと思う。特定の政党や候補者を応援支援するために書いているのではない。ただ、スタートラインに立てていない候補者にダメ出しするためには書いている。スタートラインに立った政治家や政党の中から、誰をどう選ぶかは、それは、有権者それぞれの権利であり義務でもあると思う。
浮動層をつかみたい、政治に関心の低い人の評も欲しい、そう思えば思うほど、空疎なキャッチフレーズ連呼頼りの選挙運動になるのは、与野党問わずである。そういう傾向全体を与野党問わず批判したつもりである。
全力で、大事なことを全部伝える、剛速球とフルスイングの政治家に増えてほしい。それを聞いて選ぶ有権者が増えてほしい。そういう思いから書いたのである。