民主主義では、政治家は言葉がすべてだということについて。財力でも組織力でも、実行力・行動力ですらない、ということに気づこう。という話。



昨日、新型コロナウイルスによる、非常事態宣言対象から漏れた茨城県で、高校の登校再開をしようとした県知事に対し、県立日立一高の三年生有志80人が、県知事に対し、一斉登校継続を求めてストライキを宣言した。その宣言文の内容が、あまりに素晴らしい、と話題になった。宣言文はこのツイートでしばらくは読めるかと思う。

文筆家、政治評論家の菅野完氏は、そのツイッターで、非常事態宣言をした際の安倍首相、記者会見内容と。高校生の宣言文を比較し

「日立一高の文章の構造=判断背景の説明、判断内容の解説、この判断により企図する目標の提示。

安倍のスピーチの構造=感謝して、形容詞ならべて、感謝して終わり。

安倍のスピーチは、町内会のスピーチでしかない。

これは感性の差でもセンスの差でもない。単純に、能力の差。官邸で安倍のスピーチ書いてる、佐伯くんよりも、日立一高の高校生の方が、社会人スキルが高いと言うだけの話。」

と、高校生の文章を絶賛、安倍首相記者会見原稿を書いたと思われる佐伯氏を酷評した。


そんなことがあった日なので、今日は政治家の言葉について、考えてみたい。

以前、日本には、なぜ民主主義が根付かないのかについて、考察したnoteを書いた。


「二院制の起源と歴史を考えることで、(日本の)政治風土、民主主義の在り方をつらつら考える。なぜ、結局、日本人は世襲議員を選んでしまうのか。」もし、よかったら、後で読んでね。下線部クリックすると、飛びます。


政治家というのは、背景にある財力や組織力(結局動因できる暴力の量)なんだ、と思っているのだ、日本人は。財力や暴力をもともと持つ有力者を、承認する手続きが選挙だと思っている。だから、世襲議員しかいないんだよ。与党政治家に。

日本人は民主主義が分かっていない。封建時代の「殿様か庄屋さんかに支配される貧農」という意識から脱していない。バカ殿さまでも殿様は殿様(安倍ちゃんのこと)。腹黒くても庄屋は庄屋(麻生さんのこと)。民主主義と言うのは、殿様や庄屋さんに、「家来になります、お供します」という子分になります、という意志を投じることが出来るようになった制度、と思っているのだと思う。(桃太郎の家来の、犬、サル、キジなのだ、キビダンゴほしいのだ。有力者を選んでおこぼれをもらうのが民主主義と思っているのだ。「ひとつください、お供します」民主主義だ。)

全部、間違っている。本当は、全然、違う。

民主主義は、国民がみんなで出し合う「力とお金」を、みんなのために使う制度だよ。どうやって力とお金を使うかもみんなで決める。(国会で法律と予算を決める)。その行使をする人も、みんなて選ぶ。(大統領や首相 選び方はいろいろあるけれど)

「力と金」は国民みんなが出し合っているのだから、政治家個人がもともとの属性として持っている必要は全くないでしょう。理屈からいって。

政治家に、もともとは「金」も「力」も必要ないって考えたこと、ある?

ないでしょう。

ないとしたら、民主主義を、全然、分かっていなかったんだと思うよ。

なら選ぶ基準は、何?行動力?実行力?

違うよ。

「言葉に力がある人」だよ。
論理的で、具体的な言葉が話せる人、だよ。

え、言葉が上手い人は「巧言令色少なし仁」でしょ。信用できないでしょ。

「雄弁は銀、沈黙は金」でしょ。「不言実行」が人間の理想でしょ

そう思った人も、民主主義について、根本的に分かっていない。

日本人には「言葉より行動」と思い込んでいる人が多い。間違っています。政治家は言葉がすべて。その言葉で、政治家自身ではなく、「みんなが、正義を、正しいことを実行する」のが民主主義の社会だから。みんなが実行したくなる、みんなが実行力のある人になりたくなる言葉の力を持つ人が、民主主義社会の政治家だよ。


なぜ論理的でないといけないかというと、
言葉の中身を、みんなが、その先に実行する必要があるから。
抽象的な気持ちだけだと、実行するときブレブレになる。

(安倍首相のスピーチの言葉は、いつも具体性が無くて、だから行動レベルに落とし込もうとすると、ブレブレになるわけだ。)

実行するときブレブレにならない、明確な言葉を話せる人が、政治家の条件なんだよ。

もともと有力者か、もともと財力があるか、もともと何かの組織の背景を持っているか、なんていうのは、政治家を選ぶ基準じゃないんだよ。

そんなもの、ひとかけらも必要ないんだよ。

本人が、ばたばた、いろんなところをかけまわってパフォーマンスすることも、本質的なことでは無いんだよ。「みんなの声を聴く、国民の実態を見る」ことには意味があるけれど、そうするからといって、言葉に力がなかったら、そんなのは人気取りのパフォーマンスに過ぎないんだよ。

言葉の力には、男性も女性も無いんだよ。年齢も、関係ないんだよ。若くても言葉と意志の力があれば、国のトップになる資格はあるし、どんな偉そうなじいさんでも、言葉に力がなければ、政治家の資格は無いんだよ。逆にどんなじいさんでも、言葉に力があったら、現役政治家でいいんだよ。

だから、選挙演説を見て、国会を見て、誰が、本当に人を動かす言葉の力があるかを、見極めることが、国民がやるべき、いちばん大切な政治活動なんだよ。だれか有力者の子分になって、お手伝いに動員されることじゃないんだよ。どこかの組織に属して、なんていうのも、必要ないんだよ。

言葉より行動っていうのが、なんか、正論だと思っていたでしょう。

違います。政治は言葉。それが民主主義。言葉があって、それがいちばん説得力があって、それにみんなが納得したら、それに沿って、みんなが行動するの。言葉が先で、行動は後。政治家は言葉。正義を実行するのは、みんなでするのが、民主主義。

「不言実行がいい」っていう間違った価値観があるから、
日本にはいつまでも民主主義が根付かないのである。

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