日記を書くということ

毎日、日記を書いています。

もう丸6年くらいになるようです(指折り数えました)。

今日はその話を。


まず、日記を書き始めたきっかけについて。

高校2年生の秋。

当時、うつ病になり、学校に行かなくなり、……いえ、部屋から家からもほとんど出ない日々を送っていました。

通院はしていたのですが、ほとんど外の景色を見た記憶がありません。

何の変哲もない日々。しかし、何もやる気の起きない日々。

うつ病の自覚がきちんとあったことが不幸中の幸いで、その後、おそらくわたしはその重症度にたいしてかなり早いペースで回復していくのですが、はじめの数か月はなかなかそうはいきませんでした。

Twitterには、楽しそうに日々を過ごす、同じ趣味の仲間たち。

わたしはどうして生きているのだろう。

ただ、息が続いているだけで、昨日と今日は何が違うのだろう。感情は一体どこにあるのだろう。

毎日の、些細な変化を、記してみよう。

そう思ったのが、今まで続く日記のはじまりでした。


書き始めた当時から、ずっと心がけていることがあります。

それは、行動ではなく、感情を記すこと。

たとえば、「今日は○○へ行った」ではなく、「○○へ行けて、嬉しかった」まで書く。

まあ、実際はそんなものではなく、その日その日の感じたこと、考えていることを書いていることが多いです。行動なんておまけなのです。


うつ病になって、まるで感情がわからなくなってしまって、それをなんとか取り戻そう、と始めたことが、こんなにも続くとは……。

はじめは、手帳に一言、一文、一行、二行、三行……と増えていき、気がつけば、それだけでは書き留められないほどの感情を、取り戻していたのです。


さて、最近はどういう風に日記が続いているのか。

あくまで感情を中心に、なので、正直、今でも「全然書くことない!」みたいな日もあります。そういう日は、素直に「今日は何もなかった」で終わらせることもあります。「何もなかった」という記録を残す。

反対に、感情が溢れて溢れて仕方がない日もありますよね。

もう、日によっては、日記を何十分も書いていることもあります。笑

ですから、毎日書くことのできる量が決まっている日記帳は使わずに、ただ罫線のあるノートに書き続けています。


そこまでして毎日続けることに意味があるのか、と訊かれると、わからないのですが、もうわたしにとっては、毎日歯を磨くように日課になっているので、もしかしたら、あまり意味はないのかもしれません。

でも、わたしはよく日記を読み返すんです。

何かに行き詰ったとき、ふと過去のある日を思い出したとき、大切な人を想うとき、……よくあるのは、日記帳を一冊使い切ったとき。

ときどき、「過去を振り返りすぎだよ」と言われるのですが、それでも書き続け、時に読み返すのは、過去の自分に励まされることが多々あるからです。

忘れかけていた夢や、しまい込んでいた想い。

それを、過去の自分は、その時々の等身大の自分で、日記に残している。

今の「わたし」が忘れても、日記の中の「わたし」はずっと覚えていてくれる。

どうしようもなく悩んでいたことが、いつの間にか解決していることに気がついたり、反対に、まったく同じようなことに悩んでいたり。

うれしかったことも、楽しかったことも。

すべてが、今の自分の背中を押してくれる。前に進めてくれる。

かけがえのない宝物です。


普段、こんなふうに「日記とは」と考えることはあまりないのですが、おかげさまで、多少は文章を書く力(とくに自分の考えを文章にする力)はついたのかなあと思います。

そして、そんなわたしを見て、別の人に日記を勧めていることを、あとから知ったりしたことも何度かあります。笑

日記を書き始めた頃を思うと、今は、日々のささいな変化にもよく気がつくし、感情の豊かさも取り戻して、ずいぶんと大きくまるくなったんじゃないかなあと思います。

こんな風に、日記を続けられていること。

その話を、色々なところでできること。

何気ない日々が、何気ない日々も、幸せだということ。

忘れないように、忘れても、また思い出せるように。


わたしは今日も、日記を書きます。


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