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しんゆう

私には、これまで「しんゆう」と呼んできた人が3人いました。

一人目は、幼稚園の頃の友人。
共通点がたくさんあって、「わたしたち気が合うね!」みたいな、それ以上でも以下でもない、幼稚園児らしい、かわいらしい絆みたいなもの。
けれど、仲が悪くなることこそなかったものの、成長するにつれ、そこまで価値観が合わなかったのか、「同級生」のひとりになっていました。

二人目は、小中学校の友人。
とくに小学生の頃は、お互いの家に遊びに行ったり、同じ習い事をしたり、好きなものを共有したり、何をするにも一緒。
けれど、些細なことが大きなことに変わって、中学生の頃に、絶交状態に。

三人目は、高校の友人。
はじめは「友だちの友だち」だったのが、一対一の付き合いになり、本当にどんなことも話せる間柄になっていたものです。


今日は、その三人目の「しんゆう」の話を。


「しんゆう」って、いろんな漢字が当てはめられると思っていて。
「親友」、「心友」、「真友」、「信友」、……他にもあるかな、ぱっと思いつくのはこれくらいなんですけど。

彼女はいつも、私に対して「心友」と言ってくれていた。
私は、あえて「親友」と言うことが多かった。
どんな字でも当てはまると思っているよ、だからあえてシンプルに「親友」と呼ばせてね、と。


「友だちの友だち」だった彼女は、いつも少し離れたところから、私にも素敵な笑顔を向けてくれていた。
いや、私にだけじゃなく、誰にでもそうする、描いたような「いい子」だった。「いい子」を演じていたのだ。

仲良く慣れたらいいな、とひっそり思っていた私は、人見知りの引っ込み思案なので、やはりひっそり思うことしかできず、そんな私に気がついて、彼女は私に声をかけてくれた。連絡をくれた。

高校2年生のとき、私はかなり重度のうつ病になった。
(この話はまた別にじっくり書きたいなあと思っています。なんならその前の中学生の頃から、順を追って。)

「行きたくない」じゃなく、「行けない」という状態を、結局、親には本当の意味で理解されないままだったけれど、今思い返しても、当時の同級生には恵まれていたな、と思う。

恵まれていた、なんて言っておきながら、今でも連絡を取るような人は、ほんのほんのひと握りなのだけど、無理矢理登校させられ、何もできない私を、同級生は誰も責めなかったし、むしろ「久し振り!大丈夫?無理しないでね」と、色んなことを助けてくれた。

その中の、ほんのほんのひと握りの、その後も連絡をとり続けていた同級生の中に、「親友」はいた。



学校に行けなかった間、連絡をくれた人もいれば、あえてそっとしておいてくれた人もいたのだけど、「親友」はこまめに連絡をくれた人だった。


正直、苦しかった。


いや、そもそもうつ病なのだから、苦しいどころではない。ほとんど無気力だったし、思考もまともじゃなかったし、体力も落ちていた。

それでも、どうしても人に気を遣ってしまう性分の私は、LINEのやりとりひとつとっても、相手が傷つかないように、丁寧にメッセージやスタンプを考えてしまうのだ。

それどころではない。自分の目で見てもわからないくらい、常に手が震えていて、思うようなスピードでフリック入力ができず、そんな自分に嫌気がさし、また落ち込んだりしていたのだ。

送られてきたメッセージを読むことはできても、それを「返そう」と思うことも、大きな決断力が必要だったし、実際に「返す」ことはもっと大変だった。

当時、まだまだLINEは普及したばかりである。メールでのやりとりだって、今よりずっと残っていた頃だ。

私はLINEが苦手だった。うつ病になる前から。
何度も何度もアカウントを作り直して、いちから繋がっている「友だち」を一掃した。

でも、うつ病になっては、そんな気力もない。

連絡を貰えることが、決して嫌だった訳ではないし、むしろ嬉しかった。嬉しかったけれど、既読をつけて、ちょうどいいスピードで返信することが、どうしてもできなかった。したくても、できなかった。

彼女は、既読がついてからはすぐに返信をくれる人だったから、それはそれは気にしたものだ。
私は既読をつけても、すぐに返すことができない、ということを。

そして、やっとの思いで「返す」ことができても、決して上手に言葉を紡ぐことができなかった。


ああもう、こうやってまた飽きられて、離れていくのかな、って。


気を遣わせてしまっているようで、それもまた苦しかった。だから、その先のことを考えてしまっていた。当然のように、ネガティブに。

私は、そのとき小さな、でも当時の自分にとっては大きな覚悟を決めた。

きちんと、自分の現状を伝えよう。思うように、文字が打てないこと。既読をつけて、読むことはできても、すぐに返信ができないこと。
面倒なら、もういいよ、って。


「親友」は、なにひとつ顔色を変えていないような返信をくれた。

全然嫌な思いなんてしないし、えるのタイミングで、えるが返せるときに返してくれればいいんだよ、って。
(実際は絵文字や顔文字が多様された、キラッキラの文章である。あえて再現しないけれど。「親友」はいつもそういう文章なのだ。)


その言葉が。その気持ちが。

当時の私にとって、どれだけ嬉しかったか。心強かったか。


それからも、「親友」は連絡をし続けてくれた。
私も少しずつ、自分の現状や気持ちを、話せるようになっていった。


まだ暑さの残る、高2の秋のはじまり。


引きこもっていた私は、実りの秋を見ずに、いつの間にか枯れ果てた冬を見た。


そんな冬を越え、私は転学をすることになった。
「親友」と、別の道を歩むことになったのである。


私が転学をしても、うつ病を抜けたあとも、大学進学とともに地元を離れるときも、そのあとも、ずっとずっと「親友」との関係は続いた。

むしろ、離れたことで、お互いの本音をより話せるようになっていた。

学校でこんなことがあったとか、今こういう友人がいるとか、この人のことが好きかもしれないとか。その人と付き合うことになったよ、とか。
些細なことも、他の誰にも言えないようなことも、いくら仲が良いからって普通そこまで話さなくない?というくらいのことも。
「親友」のことなら、どんなことだって、知っている自信があった。



「親友」は、私がどんな道を選んでも、どんな決断をしても、いつだって味方でいてくれて、私の良い所をたくさん教えてくれた。

時に、私が迷ったときや、間違ったことをしそうになったときは、きちんと叱ってくれ、諭してくれた。

私も、「親友」にはなんだって話せたし、「親友」が悩みをぶつけてきてくれたときは、自分のことのように全力で考えて、嬉しい話を聞かせてくれたときには、自分のことのように喜んだ。


そんな「親友」のことを、心から尊敬していた。

ただの仲良しではない、良いところも悪いところもわかちあえて、お互いに尊敬しあえて。

私は、今までもこれからも、「友人」に順位をつけるつもりはないのだけど、1番とか2番とかじゃなく、彼女は「特別」だと思っていた。「特別」だから、「親友」と呼んでいたのだ。
ずっとずっと、続いていく関係だと思っていた。



そう、全部、「思っていた」のだ。



2021年12月。つまり数ヶ月前である。

ちょうど前回のnoteの記事を更新した頃、私はちょっとした出来事から、急に幸福度が高くなり、落ちていた自己肯定感も改めて爆上がり、めちゃめちゃメンタル安定してる!という時期に突入した。

(主に仕事が)いそがしくはあったのだけど、かえってそれがちょうど良いほど、心身ともに元気に過ごすことができていた。

不思議なもので、そんな時期に出会った人には、今までにはない、縁とか運命とか、見ることもできない、下手をしたら信じることすらできないような、客観的に見れば危ういものを感じてしまうほどの人もいた。でも蓋を開けてみたら、まっすぐな心で信じることができる人だったり。
そんな出会いがあったりもしたのだ。


ああ私、幸せだな、と思って過ごす日々。

私今、こんな風に幸せに生きてるよ、って。


まず伝えたいと思ったのが、「親友」だった。



けれど、「親友」からの返信はこなかった。


いや、今もこない。


はじめに送ったメッセージに既読はついたものの、十日ほど経っても返信がこない。

大丈夫かな、と思って送ったスタンプには、もう既読すらつかない。

あまり気にしてはいなかったのだけど、プロフィールの画像などは、時折変化を見せていた。

生きてはいる?

でも、返信はこない。既読はつかない。


今までやったことがなかったのだけど、インターネット上から得た知識で確認してみたところ、杞憂が現実であるらしかった。


ああ、ブロックされているのか、と。


正直、理由はわからない。

メッセージを送る前に、お互いの間で別段何かあった訳でもなかったのだ。

何もなかったのが、逆によくなかったのだろうか。

私が幸せに、安定したメンタルで生きているのがよくなかったのだろうか。


わからない、わからない。



考えたって、わからないのだ。どうしようもない。見えないものは。


でも、さすがに「かなしい」と思った。

悲しかった。


ただただ、心の中を「かなしい」という感情だけが支配して、静かに涙が流れた。


「かなしい」、それ以上でも以下でもない。


「かなしい」と思いながら、それ以上落ち込むわけでもなく、悲観しすぎることもなく、どこかで、ああもう前を向いていくしかないんだな、とも思った。

そのぶん、きっとこれから、最高に素敵な出会いが待っているのかもしれないな、って。



とはいえ、唯一無二だと思っていた「親友」の穴は、そんなに簡単には埋まらないし、そんなに簡単に癒える傷ではなさそうなのだ。

いくら、かつての自分よりポジティブになったって。

前を向くしかないとわかっていたって。

これからの出会いに期待を寄せることができたって。

それでも、穴は穴だし、傷は傷だ。



「親友」ってなんだ?

私にとっての模範解答を、きちんと自分で出していたはずなのに。わからない。考えて、わかるものでもない。わかってる。考えたってしょうがない。

わかってるから、考えすぎないようにして、そのまま流れていく。

穴が空いたまま。傷が付いたまま。

それがここ数日の話。
今も、正直あまり変わらない。新しい模範解答は、しばらく出せそうにない。

考えすぎないようにしている自分は、昔と比べて楽観的になってきたのか、それとも、ただ現実から目を背けようとしているだけなのか。それすらもわからない。



「しんゆう」ってなんだ?

どんな漢字を当てはめたって、人と人の関わりの数だけの無数の答えが散らばっていたって、その中から、掴んだと思っていたものが、こぼれていく。

かつての「しんゆう」たちを、今私はなんと呼んだら良いのだろう。
続いても、続いていなくても、私の心の中には、消えないで残っているのに。

忘れることなんて、きっとなくて。


よく、色んなことにつけて「愛情が深い」とか、「一途だ」とか、言ってもらえることがある。

たしかに私は、そういう人間だ。

一度好きになったものは、ずっと好きなのだと思う。ただ、私の中での優先順位や、ブームみたいなものが変化するだけで。好きなことは、ずっと好きなのだ。

好きだと思ったことを、私はずっと忘れない。

傷つけて、傷ついて、呆れられても、嫌われても、「好き」に虜になったかのように、静かにでも、心の奥底にでも、たしかに息づいている。


たとえ、穴が空いたままでも。傷付いたままでも。


どうか、全部春のせいにして。

どうか、前を向かせてほしい。

どうか、これからに期待させてほしい。

きっとこれからこの先、想像を超えるくらいの、最高の出会いが待っているんだって。

そう、信じさせてほしい。


今はただ、ひとり、ささやかに祈るだけ。


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