3000円ブックオフ青春小説 その②
「これ見てよ」
東が印刷してある紙を見せてきた。 そこにはこう書いてある。
「Ben Jaxmanって誰だ?」僕の第一声はこれだった。
「俺はすぐにわかった」と宮台。
「私も!」と浅田さん。
どうやら東と僕だけがわかってないらしかった。宮台と浅田さんはさっさと鍋の準備に取り掛かり始めている。何分か二人で机の前で考えてみたが全くわからない。
「おいおいもやもやするよ。頼むからヒントくれ」とプライドをかなぐり捨てて宮台にヒントを乞うた。白菜を切りながら「アナグラムだよ。早く解いてさっさと手伝え」と宮台。
「なるほど、アナグラムか」
「アナグラムって?」と東。
「アナグラムは言葉遊びの一種で言葉を並び替えて違う言葉にする遊びだよ。例えばevil(悪)を並び替えるとlive(生、生きる)になるみたいな」 「なるほど」
何がおかしいのか宮台が笑っている。 気にせず続ける。
「そんなわけでI’m Ben Jaxmanを並び替えると…… Max Benjamin!ベンヤミン教授だ!」
ベンヤミン教授というのはわが英米文学科の教授でイギリス文学者である。ルイス・キャロルの研究をしており、なるほどこんな悪戯が好きそうだ。東が入ってるゼミの教官でもある。
「でも誰がこのことしゃべったんだ?」
「あ、私だ」とちょっと間を置いて東がいった。彼女によるとゼミの後で教授と立ち話をした時にポロッとこの話をしてしまったそうだ。
そうして追加参加者の謎も解け、鍋の準備を完了させると、僕らはいつもの様にダラダラと食べ始めた。普段なら酒を好きに飲みながら会食は進むが今日は皆遠慮がちだ。そう、戦いはもう始まっていた。ただ浅田さんだけは異常に酒が強いので気にせずグビグビ飲んでいた。
「そういえば、みんなどこのブックオフで3000円分買った?」
「大学近くの例のブックオフさ。実はこの話をする日に事前に買っておいた」と宮台が答える。なんと抜け目のない奴だ。我々が食いつくことを見越していたとは。
「私もそこのブックオフだよ」と梅酒をあおりながら浅田さん。
「私も」と東。
「っておい!なんでお前もそこで買ってんだよ!」
僕は東と例のブックオフで鉢合わせて折角選んでたものを諦めた話をした。 「心の狭い奴だな」と宮台。
「島田君、そんな人だったんだ……」 浅田さんまで……何故……。
「ごめんごめん、他の所に行こうと思ったんだけど、面倒だったから」と笑ってごまかそうとする東。
買った場所で本の偏りで出そうなので、特定のヒントになると思ったが、むしろ僕だけ町田で敵に塩を送る事になってしまった。やれやれ。
〆の雑炊を食べ終わっていい感じに腹が膨れた所でいよいよメインイベントである。それぞれの紙袋にAからEまで番号をふる。おいた場所で自分のものが分かると興醒めなので、今日までに何回か位置をシャッフルさせている。 どの紙袋を取るかはあみだくじで決めた。あみだくじの結果はこうだ。
という事で浅田さんから包みを開けてみる事になった。 なおこれから作品と共に書く価格は税抜き。合計で税込3000円弱、3000円強と言える範囲ならありとした。
皆反応を抑え気味にしている。ふーんなるほどという顔つきだ。知らない本もあるから、それぞれ手にとってどういう本か見て推理の参考にする。浅田さんは早速CDプレイヤーで、Steely Danを流してみる。 「ピローン」と間抜けなエレピの音が出てきてゆったりとそれは始まった。『Aja』をBGMにそれぞれ無言で本を調べている。このうち誰か一人は、もう中身について知り尽くしているかもしれない。大体わかったという顔を皆がして浅田さんがCDを止めた。
「しゃべったっていいんだぜ」と宮台。 そうだよねと皆が笑った。
「『月と六ペンス』読みたかったからちょっと嬉しいな」と浅田さん。
「イギリス文学ばかりだね」と宮台。
他にもいくつか感想が出て落ち着いた所で次のBの包みを宮台が開け始めた。
「むう、これはなんとも…」と宮台。 皆それぞれ本やDVDを手に取る。Aはなんとなく察しがついたがBは今のところわからない。東では無さそうな気がする。宮台が自分で選んだやつを引き当ててしまった可能性も充分あり得る。そんな反応だった気もする。
次はCの紙袋を東が開けた。
今までの中で一番統一感がないチョイスだ。とりあえず東がCDをかける。うーん。これは難しい。とりあえず宮台では無い気がする。ベンヤミン教授でも無いだろう。怪しいのは浅田さんか東だ。なんか浅田さんぽいんだよな。そう思わせて宮台かもしれない。
Dの3000円ブックオフはあみだくじで誰も引き当てなかったので最後にみんなで開封する事になった。次は僕の番である。今まで僕のものは出ていない。嫌な予感がした。残っているのは二つで一つは絶対に僕のである。僕が僕のを引くのも白けるし、残っている一つの包みが僕で、貰い手がいないもの嫌である。色んな意味で緊張が走る。
とりあえず僕が僕のを引き当てるという痛々しい事態は回避されたようである。しかし、これは一体誰のだろうか。何となく宮台っぽい気はする。浅田さんもありうるな。東じゃないと思う。あいつの好きそうな要素が殆どない。という事で最終的に残ったDの包み(僕の3000円ブックオフ)を開ける時が来た。
その時学生室の扉が開いて見知らぬ学生が入ってきた。彼はシーリーマッシュの髪型で耳にはピアス、off-whiteのパーカーを着てBALENCIAGAのスニーカーでキメており、スタイルに似合わず顔には緊張した表情で息をきらせていた。
宮台が言った。
「紹介しよう。彼が3000円ブックオフの発明者の♨君だ」
宮台によると♨君は最初から参加する予定だったがバイトが予想外に長引いた為、この時間になってしまったらしい。何も食べてないらしかったので東が鍋の残りで雑炊を作ってあげていたら、やけに喜んでいた。♨君はメルロ=ポンティの現象学、ソシュールの言語学に取り組んでいるとの事だった。
「♨君に今回の事を話したら是非見たいって言うんだ。だからサプライズで来てもらおうと思ってたのさ」と宮台。
という事で♨君は東と浅田さんの間に座った。♨君はハイブランドを着こなしている割には意外とシャイボーイで東とぎこちなさそうに少し会話していた。
流れが途切れてしまったが、残りの包み、つまり僕の3000円ブックオフを開ける時が来た。
僕のチョイスは前に書いた通りだ。
皆の感想は「漫画多いね」とか「ドラえもん、なんで6巻だけ?」とかだった。色々と説明したいのを堪えて初めて見たような素振りを続けた。東がチャゲアスのベストをかけ、「なんでチャゲアス?古いね」と言った。
「表へ出ろや」と言いかけたがぐっとこらえた。
「SAY YES聴こう」とか浅田さんも言い出すから「確かに有名だけどチャゲアスの真骨頂はSAY YESじゃ無いんすよ〜」と説明したくてうずうずした。
「YAH YAH YAHが入ってない。これ本当にベスト盤?」と東。
なるほどこういう煽りで炙り出しをやっておけば良かったのか……。
とにかく全ての包みを開け終わったわけだ。ということで、それぞれ記入用紙にAからEまでの袋がそれぞれ誰のかを書いていくことになった。基本的に自分の袋以外の四つについて予想することになる。それぞれの記入用紙を見て♨君がAからEまでの袋の購入者を把握し、Aから順番に正解を発表していく。宮台は♨君にベンヤミン教授の事を教えた。
全員が用紙に記入し終わり、♨君の元に紙が集まった。♨君は集まった紙を開封し、その結果を元に誰がどの包みを買ったかを把握し終わると、手元の紙にみんなに見えない様にしながら正解を書き出していった。
いよいよAから順番に発表である。
「それでは発表します、Aの3000円ブックオフは……
ベンヤミン教授です!」
「よしっ!」 正解だ。これは簡単だった。Aの3000円ブックオフはかなり教育的内容だ。文学理論の導入的なイーグルトンと唯野教授。そして文庫本はイギリス文学のラインナップで教授の教えている内容とも合致する。Steely Danだけアメリカだがコレはただの趣味だろう。
正解者は僕と浅田さんだった。簡単だと思ったが、得意そうな宮台は東だと予想してハズレ、東は宮台だと予想して外していた。 Aを引いたのは浅田さんだったので、「教授の贈り物だと思って頑張って読む」と言っていた。僕は後々共通の話題になりそうだったのでそれらの本を読むと決めた。
次はBの発表だ。
「Bの3000円ブックオフは……浅田さんです!」
ショックだった。浅田さんのを外すとは…僕は宮台だと思っていた。その宮台は見事正答し、東はベンヤミン教授だと予想して外していた。
浅田さんからそれぞれの本について説明が入る。
「日本文学の話はあんまりしてないと思って好きな作家の代表作がたまたま売ってたのでそれにしました! ファインマンさんは最近カレシに教えてもらったやつですごく面白いです。『バートン・フィンク』はフォークナーがモデルになってる人物が出てきます!」
例の彼氏の話が出てきて僕は更にダメージを受けた。とりあえずファインマンさん以外はすぐに全部読まなくてはならない。膨れ上がる課題図書。
次はCの発表だ。
「Cの3000円ブックオフは……あ、東さんです!」
「よしっ」これは正解した。東の好みは大体把握していたからなんとなくわかった。決定的なのは『コジコジ』で、さくらももこの最高傑作は『ちびまる子ちゃん』ではなく『コジコジ』という点で僕らは一致していた。 しかし東は自分で自分のを引いてしまったわけだ。これはなんとも気の毒である。
「あの、東さんのチョイス凄く気になります!良かったら3000円で買い取らせてください!」と♨君。
「えっ。本当?」
さっきまでちょっとテンションの低かった東だったが、それを聞いて機嫌が治った様だ。饒舌に自分のチョイスについて語り始めた。
「『五重塔』も『春琴抄』も本当に文章が美しいの! 『若い人』は戦後の青春文学でとにかく才気に溢れてるけど影のあるヒロインが魅力的で、『コジコジ』はさくらももこの最高傑作!」
♨君は急に怒涛のごとく東に話しかけられて、困惑しているような、それでいて凄く嬉しそうな複雑な表情をした。
「『ファイト・クラブ』なんて好きだったんだ。」と僕が突っ込んだ。
「えー酷い! 島田君がすすめてくれたんじゃん!」
「え。そうだっけ? ごめん」
「『やまだかつてないCD』確かにブックオフでよく見るけど好きなの?」と宮台。
「コレはこんな機会じゃないと絶対買わないから買ってみた」
「そんないいかもわからないもの入れるな!」と僕が突っ込んでひと笑いおきた。
で、♨君が払ってくれようとしている3000円だが、東だけ受け取るのも不公平なので、それぞれ600円ずつ受け取ろうとか、そもそも要らないとか、色々あったが、宮台の提案によって次回またこのメンツで鍋をやり、その時の軍資金にしよう、ということで落ち着いた。
そしてこのCの3000円ブックオフであるが正解者は僕だけだった。宮台はベンヤミン、浅田さんは僕だと予想していた。明らかにベンヤミン教授のセレクションでは無さそうなのに宮台がそう予想して外したのは本当に意外だった。
東は引き取り手のいないD(僕のチョイス)の3000円ブックオフをもらうことになった。漫画が多いので東は喜んでいた。全てが丸く収まった所で、結果的に東の物になったDの包みの発表が始まった。
「Dの3000円ブックオフは……島田君です!」
これは僕は当然正解していて、宮台と東が正解。浅田さんが東にしていて不正解だった。浅田さんは「漫画とCD多いから浩子(東の名前)かなと思ったんだけどなー」と言って笑っていた。「でもなんでドラえもんは6巻なんだ?」と宮台。
「よくぞ聞いてくれました! 6巻はあの名作『さようなら、ドラえもん』が収録されており、それだけでなく『台風のフー子』という名作やしずかちゃんとのび太の結婚について言及されてるお話などなど重要作品がおさめられている巻なのだ!」僕は捲し立てるように言った。
そして僕が引いたEは自動的に宮台の物だとわかった。 これは浅田さんのみが正解で、東も僕も浅田さんのチョイスだと思い込んでいた。
という事で結局全問正解者はおらず、三つ当てた僕と宮台が同点だった。実際には自分のは正解して当たり前なので二つ正当である。Aがベンヤミン教授なのは明白だと思っていたので、宮台がそれを外したのはつくづく惜しかった。そこが正解していれば自ずと全問正解になったはずだからだ。
「しかしAがベンヤミン教授だと当ててれば全問正解だったのに惜しかったな」と宮台に言った。
「いやね、僕はAは絶対東さんだと思ってたんだよね」
宮台は悔しがる様子も見せず東の方を見ながら言った。東はなんとも言えない表情で改めてそれを否定していた。
ということで、メインイベントは終わって♨君も含めてみんなでそのあとそれぞれの本やCDを眺めたり聴いたりしながらダラダラと夜中まで宴会は続き、守衛が見回りに来る前にお開きとなった。
3000円ブックオフ青春小説 その③に続く
Text by JMX
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