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旅の終わりと始まり

noteを始めてから約2年半です。

はじめは、多くの人とは違っているらしい自分の感覚について個人的な記録を残しているつもりでしたが、途中から、自分がなぜこういう存在でいるのかを探る過去への旅が始まりました。

思いがけない旅が始まったのは、人から投げかけられた言葉でフラッシュバックが起き、カウンセリングを受け、そこで自分の心の中に部屋らしきものがあるのに気づいたのがきっかけでした。部屋なんてものがあるとは、まったく想像もしていませんでした(正直なところ、今でも自分自身で疑っているところがあります)。カウンセリングの間、客観的、第三者的な説明に終始する私に対して部屋に至る道をよくガイドしてもらえたなあと臨床心理士の方には感謝の気持ちでいっぱいです。しかも、そのときが初対面だったのに。

あれから1年半、過去を巡る旅はそろそろ終わりを迎えるような気がします。前回、ハナ(19番)の記事を書いた後、直感的にそう思えました。

そもそもハナの記事自体、書いている本人には直観に満ち溢れたものでした。妙にパーツたちの服装と色が気になると思っていたら、書き進むうちに、突然、音楽の先生と服装を思い出したり。

自分が考えてたんじゃないみたい…ということが突然閃くのは子どもの頃からよくありました。表に出ない世界でパーツたちが考えたり思ったりしていることはあるような気がします。


私の愛するパーツたち

パーツたちの愛する私


過去への旅は終わり、そろそろこれからも続くであろう現在から未来への旅が始まるタイミングだよとパーツたちが促しているのかもしれません。


これからの旅…

そうですね

まずは、自分の「声」を取り戻したい

これはハナの記事を書いていて初めて気づいたことです。

何かを言おうとして、とりわけそれが自分を守るために何かに抵抗するものであるときに、言葉に出すことができないのをやめたい。自分ではない他人にしか思えない声を出したり、喉が締め付けられるような感じがして苦しい思いをするのは、もうごめんです。


noteは続けます。

でも、次第に内容が変わっていくのではないかと思います。


旅のいいところは、いろんなことが変わり続けていくことですよね。

だからとても大好きです