回復
※虐待と自殺に関する記載があります。
※虐待シーンが含まれた配信ドラマに関する記載があります。
※自殺を連想させるシーンが含まれた映像(イギリスの慈善団体であるCampaign Against Living Miserably(CALM)とタイアップしたMV映像)へのリンクがあります。
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体調と感覚がほぼ元に戻った。まずは回復。
初めてのことも多くて、正直なところ今回はちょっと参ってしまった。せっかくの連続した休みに2日ほど寝て過ごすことになったし。
寝て過ごすのは休みの過ごし方としては王道なんだけど、それはリラックスできていればこその話。
だらだらするにしても、安心しているからこその王道。
王の道は遥か遠く、寝ころんでいる間も、子どものころのすっかり忘れていたはずの細かな感情の破片や、(まりたちのようにはまとまっていない)細かなパーツたちのささやきみたいなもの(ごく短い思考のフラグメントみたいなもの)を次々に感じてとても辛かった。しかも、その合間合間に、親による嫌なことの記憶も出てくる始末。
人によるかもしれないが、過去のことをふと思い出して恥ずかしくなったりすることって普通にありますよね。こういう恥ずかしい思い出は、まあいいじゃん昔のことだし、てへへへへへ、と笑って思えることが多いからいいのだけれど、今回出てきた感情の断片は当時のままのような気がしたし、本当に辛かった。
夜、いつもどおり歯を磨きながら唐突に破片の波を受けたときは、もしかしてこれはたくさんの細かなフラッシュバックが連続して起きているじゃないのかなあ、と感じた。そう感じるだけで何事もなく済ませていること自体が解離なのかもしれないが、安心でリラックスできる環境にいるはずなのに、何の理由もなく大昔の細かい不安や悲しみや怒りが湧いてくるのに対応するには、感情から離れるのが適当な気がする。
別に今、嫌なことは何も起きてないんだし。
とはいえ、フラッシュバックを客観視した(無視した)代償からか、その後で酷い腹痛に襲われることになった。特に痛かった場所は、ちょうどひなたさんがいた場所だったけれど、これはまあ偶然かな。多分、例の迷走神経が通っている場所なんだと思う。左わき腹の大腸が下行しているあたり。
子どものころに激しい腹痛でトイレに駆け込むと、そのまま気を失いそうになる(視界が真っ暗になるけど失神しないでギリギリ耐えられるほどの痛さ)ことが何度もあった。あれはもしかして迷走神経反射だったのかもしれない。
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「親による嫌なこと」とか書くと、また親ガチャかそんな話はもう飽きたわなどと、ごく普通の家庭で育った人に呆れられると嫌なので、念のために書いておく。
今回出てきた破片や記憶をもとに、良くないこととは一体何だったのかを思い返してみた(前に記事に書いたかもしれない)。良くないこととは、要するに、生まれてから20年近くにわたって支離滅裂な対応を受け続けてきたことだとしか言えない。支離滅裂という表現が適切かはわからないが。
愛情がないわけではない。
ある意味、愛情のある親だったと思う(というか、少なくともそう思っていたい)。
20年近くもの間、連日、夫婦間の不和(祖母を含めると、家庭内の不和と表現するのがいいかも)に晒され続けた。暴言が日常で、20年の間に2回ほど家族旅行に行ったこともあるが、旅行中もこれがずっと続いた。この種の虐待は、最近は「面前DV」という名前がついているらしい。これをはじめとして、多種多様のことがあった。
その中で最も致命的だったのは、親子間の信頼関係が破壊され続けてきたことだと思う。
例えば、あることをしたとする。これに対して、ある日は優しい態度が返ってきて、別の日は何もリアクションなく、また別の日には怒りを浴びることになる。一度怒りを浴びると、普通、それは何日も続く。一度おさまっても、しばらくすると、下手すると翌月や翌年以降になってから、再燃することもある。同じ強度で。
怒りを浴びることになるか、再燃するかどうか、そしていつ再燃するかなどは全くわからない。その時々の親の一瞬の感情だけで処遇は決まる。家の中をできるだけ明るくしようと思ってした行動だったなどは何も考慮されない。
また、欲しいものができたとしよう。そもそも最初から何も期待していないので、欲しいもの自体がほとんどないのだが。一度怒り始めるとどうしようもなくなることがわかっているので、おどおどしながら言ってみる。運よく、文句を言われるかもしれないが、買ってもいいと決まる。何日かしてそれは反故にされる。反故にされるだけなら構わないが(そもそも期待していないので)、強い怒りを浴びることになる。
何に対して怒られているかはさっぱりわからない。
だって、欲しいものがあるんだけどと言うことってダメなことか?
そんなことがありながら、別の日には頭を撫でてこようとするので混乱する。本当はすごく腹立たしいのだが、その気持ちを少しでも感じさせてはいけない。何倍もの怒りが、おそらくは何日か経った後に、返ってくるかもしれないから。もっとも、怒りは返ってこないかもしれない。親は悲しんで涙を見せるかもしれない。でもそれはただの叶わぬ期待かもしれない。
家の中では面白いことを言って笑っている必要がある。少しでも家庭が崩れないようにするために。それが功を奏するときもあれば、無駄なときもある。怒りを呼びこむこともある。どんな結末になるかは、まったくわからない。
だとしたら…
私はどうすればいいの?
そうやって、まりたちは生まれたのだと思う。
***
これはあくまでも想像だけれど、今回のことには、ひなたさんが見つかったことはもちろんだけど、AppleTVで少しだけ見た"Lady in the Lake”というドラマが影響しているのかもしれない。
このドラマの1話目に、主人公の一人であるマディ(ナタリー・ポートマン)が夫に立て続けに酷いことを言われ、無意識に皿を叩きつけて割ってしまい、左手を負傷するシーンがある。このシーンを見たときに、自分の左手が震えだして止まらなくなった。
そして、マディの家とは別の家庭だけれど、母親からの酷い虐待を受ける息子が描かれたシーンが2話目にあり、その後で具合が本格的に悪くなってしまった。
私にとって、たとえそれが架空のものであっても、映像の影響は大きいみたいだ。
もちろん映像はいい方向にも働くことがある。
回復には音楽やヨガ、ダンスがとてもいいらしく、地道に続けているのだけれど、ヨガ(Youtubeにたくさんあるのでいろいろやると面白いよ)をやった後でこのMVがおすすめに出てきた。
※MVの冒頭にもキャプションが出ますが、自殺を連想させるシーンがあります。
見てみると、最後は涙が止まらなかった。
私も、まりも
これまで自殺は考えたことはないし、死にたいと思ったことはなぜだか一度もない。でも、まりは、10代のある一時期の間、私がいなくなることを本当に心配していた。
その気持ちが反映された涙だった。
ところで、この映像では女性が男性を助けている。
でも、私とまりは、映像を見ながら、お互いがこの女性と男性との間を行き来していた。
私たちは、お互いが助ける側でもあり、助けられる側でもあった。
だって、同じ一つの体だから。
この映像を見終わって、私は回復した。
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ところで、怒りと愛情をバラバラにぶつけてきたのは母だったが、母だけが悪いとは全く思っていない。
父を含めた両親の責任である。たとえ、父が直接的にはほとんど何もしなかったのだとしてもね。
そして、母と父を虐待したそれぞれの親たちの責任。
父方の祖母の父親も祖母を虐待したことはわかっている(アルコール中毒だったらしい)。
私は、同じことは決してしないと子どものときに誓った。
虐待の世代間連鎖は、もしかすると私で止まったのかも。
でも、子どもを作らない選択をした私にそれは証明できないことだ。