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バイアス

ノンバイナリーについて自分と似た状況にある人の記事がないかnoteの中をぐるぐる探し回ったのですが、誕生時に割り当てられた性別(assigned at birth)が男性である人の記事は少なくて、どうやらほとんどの記事が、割り当ての性別が女性である人の記事のようです。

何故でしょうか?

  1. noteという場所に特有の事情がある(登録されているアカウントに割り当ての性別の偏りがあるなど)

  2. 文章を書くこと自体に対する興味の持ち方に、割り当てられた性別による偏りがある。

  3. 割り当てられた性別が女性である場合に、現実にノンバイナリーの割合が高い。

  4. 記事の絶対数自体が少なくて、そもそも判断することが難しい。

などを考えたのですが、下の記事を見てふと気付きました。

割り当てられた性別が男性である人は、自分自身の体や心への自覚に乏しい傾向にあるのでは?

真実は不明ですが、自覚に乏しいという要素は確実にありそうです。そういえば、私は、とても自覚が高いと眼科のお医者さんに言われたことがあります。普通なら気づかないような視覚の僅かな変化に気づいたためです(結果、網膜に小さな孔があることが検査で見つかりました)。自覚に乏しければ、自分自身の違和感に気づかなかったかもしれず、こうして記事も書かなかったかもしれません。とはいえ、違和感が根源的というか、どうしようもなく強く自分の中から湧き上がってくることがあって、いくら自覚に乏しくてもさすがに気づくだろうともちょっと思ってることは、一応言っておきます。

注釈1)割り当てられた性別が男性である人は、他者の体や心への感覚にも乏しい傾向があるように思います。そこが、いわゆる男女間の軋轢を生む理由の一つでもあるように思いますし、ある種の男性を自分が全く信用しない理由でもあります。

注釈2)ジェンダーの話では、よく「ホモソーシャル」について議論されますよね。私は、性自認は女性ではありませんし(anoneの判定はトランスジェンダーですが)、一般的な男性として長年社会に接し続けていますが、多分、上の理由で、10代の頃からホモソーシャル的集団や言動が大嫌いです(その同類でもある、ある種のいわゆる女性的集団行動や考え方も嫌いですが)。
ただ、理由不明ですが、おそらくは外見や雰囲気や言動からか、そもそもホモソーシャルに組み込まれずに何故か圏外に留め置かれるという、自分にとってはラッキーな状況が10代の頃から長く続いています。