ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」②p101~200
p101
・視床が料理人の役割:外の世界についての感覚情報は、目や鼻、耳、肌を通して入ってくる。こうした感覚は視床に集まる。視床というのは、大脳辺縁系内にある領域で、脳の中で「料理人」の役割を果たす。視床は近くからの入力を全てかき回して、すっかり混ざり合った自伝的スープ、すなわち「これが私に起こっていることだ」という、統合され、首尾一貫した経験に変える。
・次に感覚は二手に分かれ、一方は下に向かって、大脳辺縁系の無意識の脳の奥深くにある、扁桃体(アーモンド形をした二つの小さな組織)へ伝えられ、もう一方は上へ向かって前頭葉へ伝えられ、そこで私たちの意識的自覚に達する。-中略-扁桃体への道筋を「低い道」、前頭皮質への道筋を「高い道」と呼んでいる。前者は非常に速く、後者は圧倒的な脅威を与える体験のさなかで、数ミリ秒長くかかる。だが、視床での処理は破綻を来しうる。その場合、光景や音、声、匂い、触感は、それぞれ孤立し、解離した断片としてコード化され、正常な記憶処理が崩壊する。時間が凍り付くので、現在の危険が永遠に続くように感じられる。
→解離の仕組み
5感の刺激
↓
視床に集まる
↓
→一瞬で下方の扁桃体へ
→ちょっと遅れて上方の前頭皮質へ:ここでの処理でバグが発生することによって、解離(5感の刺激がバラバラに保存され統合された記憶にならない状態)が引き起こされる
p103
・扁桃体の中心的な機能:入ってくる情報が生命の維持に関係があるかどうかを識別すること。扁桃体を脳の「探知機」の役割を果たす。
・入ってくる情報が生命の維持に関係あるかどうかの識別は、迅速かつ自動的に行われ、それを助けるのが海馬からのフィードバック。海馬は扁桃体の近くにある組織で、新しい情報を過去の経験と関連付ける。扁桃体は、迫ってくる自動車との衝突の可能性や、恐ろし気な通りがかりの人といった脅威を感知すると、視床下部と脳幹へただちにメッセージを送り、ストレスホルモン系と自律神経系を動員して、全身の反応をまとめ上げる。
・扁桃体は前頭葉よりも速く視床からの情報を処理するので、私たちが危険について意識的に自覚しないうちに、入ってくる情報が生命の維持にとって脅威になるかどうかを判断する。何が起こっているかに私たちが気付いた時には、体がすべて動き出している場合がある。
・扁桃体が危険信号を発すると、コルチゾールやアドレナリンなど、強力なストレスホルモンの分泌が引き起こされ、それによって心拍数と呼吸数が増え、血圧が上がり、反撃したり逃げ出したりする準備が整う。危険が過ぎ去ると、体はかなり素早く通常の状態に戻る。だが、この回復が妨げられると、そのせいで身体は自らを防御する体制に入り、人は興奮や覚醒を感じる。
・煙探知機は普通、危険の手がかりをとらえるのが非常に得意だが、トラウマを負うと、状況が危険か安全かの解釈を誤る可能性が増す。人は、相手の意図が親切なものか危険なものかを正確に判断できて初めて、他者と仲良くやっていける。少しでも解釈を誤れば、家庭や職場の人間関係における不快な誤解につながりうる。複雑な職場環境ややんちゃな子どもだらけの家庭でてきぱきと物事を処理するには、人がどのように感じているかをすばやく評価し、それに即して絶えず自分の行動を調節する能力が必要とされる。だが、警報システムに欠陥があると、何でもない言葉や表情に反応して感情を爆発させたり、機能停止に陥ったりしてしまう。
→私の煙探知機はどうなんだろう…
≪1年前≫
電車で斜め前に男性が立つことへの息切れは誤作動
本屋の狭い空間での息切れも誤作動
宿屋の威圧的な男性での息切れは誤作動なんだろうか…
行こうと思っていた地域での性被害投稿での息切れは誤作動なんだろうか…
≪最近≫
民泊オーナーが同意なく触ってきたのは正常運転
→6/29追記:
・宿屋の威圧的な男性について:私が関わりたくない暴力との親和性の高い価値観だから、嫌な感じがするのも、遠ざけようとするのも正常な判断。そして、宿泊人に対して攻撃的な表現をしていた時点で、彼は商売人としての境界線を越えていたから、情動反応が強く出るのは正常な判断だな。私の内臓感覚が強く出でしばらく落ち着かなかったのは、記憶がトラウマの断片的な形で処理されたままだったから。多分今だったら、もう少し落ち着かせるスピードは速いと思う。
・ジョージアでの性被害投稿:当時性被害の記憶がトラウマ的な記録のされ方のままだったから、情動反応が強く出た。今はもう少しましなはず。
・民泊のオーナーが同意なく触ってきたこと:これは犯罪。商売人としてアウト。境界線への侵入。情動反応が強く出るのは正常な判断。実際危険だった。
p104
前頭葉はストレス反応を制御する監視塔の役割を果たす
・扁桃体は煙探知機。ザックリ危険か危険じゃないかを判断する
・前頭葉は高い場所から現場の眺めを提供してくれる監視塔。その危険が家が火事になってさっさと逃げだす必要があるのか、コンロの火が強すぎて肉が焦げているだけなのかといった、判断をする。
・あまりに気が動転していない限り、前頭葉の助けで、扁桃体の誤報に気が付いてストレス反応を中止し、均衡を取り戻すことができる。
・トラウマを負った状態だと、煙探知機である扁桃体は、状況が危険か安全かの解釈を誤る可能性が増す。ここの判断がきちんとできると、複雑な職場環境・家庭環境でてきぱきと物事を処理し、人がどのように感じているかを素早く評価し、それに即して絶えず自分の行動を調節することができる。他者と仲良くやっていける状態だ。扁桃体の警報システムに欠陥があると、何でもない言葉や表情に反応して感情を爆発させたり、機能停止に陥ってしまう。
→6/29追記:今は、だいぶトラウマの手当てが進んでいるから、煙探知機である扁桃体の誤作動は少なくなっているはず。実際に危険なことに扁桃体が反応している。
・人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているかを観察し、ある行動をとれば何が起こるかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し(マインドフルネス)、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプログラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。私たちは前頭葉が適切に機能しているかぎり、ウェイターがなかなか注文した品をもってこないときや、保険会社の代理人に電話でまたされたときに、毎回腹を立てる可能性は低い。そのシステムが故障すると、私たちは条件付けされた動物のようになり、危険を感知した途端に、自動的に闘争/迷走モードに入る。
→コンビニや電車で急にキレ散らかす人は前頭葉が適切に機能していないってことか。マインドフルネスの状態がゴールってことか。理性脳の機能停止が無い状態で、情動脳を理性脳のコントロール下に置けていればOK。
p105
・PTSDでは、扁桃体(煙探知機)と内側前頭前皮質(監視塔)との間のきわめて重要な均衡が根本的に変化し、その結果、情動と衝動の制御がはるかに難しくなる。非常に情動的な状態にある人間の神経画像研究から分かったのだが、強烈な恐れや悲しみ、怒りはみな、情動に関与する大脳皮質下の脳領域をより活性化させ、前頭葉の様々な領域、特に内側前頭前皮質の活動を大幅に低下させる。そうなると、前頭葉の抑制能力が損なわれ、人は正気を失う。なんであれ、大きな音に反応して驚いたり、些細な欲求不満で激怒したり、誰かに触られて凍り付いたりする。
→強烈な恐れ、悲しみ、怒りの感覚があると、前頭葉が機能しなくなる。
p106
・ストレスに効果的に対処するためには、煙探知機(扁桃体)と監視塔(前頭前皮質)との間の均衡を達成する必要がある。情動をうまく管理したければ、方法は2つ。
①トップダウン:監視塔(前頭前皮質)の能力を強化する(マインドフルネス・瞑想・ヨーガ)
②ボトムアップ:脳幹に端を発する自律神経系の再調整を、呼吸・動き・接触を通して行う。
→とりあえずヨガと呼吸をやってればいいのかな
→6/29追記:
トップダウン:ヨガ、朝アファメーションと瞑想、
ボトムアップ:呼吸と動きはヨガ、接触はマッサージ(フェルデンクライス?)と浅井咲子さんの安心のタネの育て方を1日1個はやる
p107
騎手と馬
情動と理性は対立するものではない。情動は経験に価値を割り当て、理性の土台ともいえる。自己の経験は、理性脳と情動脳の均衡から生まれる。これら二つのシステムが均衡していると、私たちは「本来の自分である気がする」。だが、命がかかっているときには、両システムはかなり独立して機能しうる。
・理性脳と情動脳の関係は、おおむね有能な騎手と荒馬の関係と同じだ。天気が穏やかで道が平坦である限り、騎手は見事に馬を御していると感じられる。だが、予想もしていなかった音がしたり、他の動物に脅かされたりしたら、馬が駆け出し騎手は必死でしがみつく羽目になる。同様に、人は自分の生命がかかっていると感じたり、憤激や熱望、恐れ、性的欲望などの虜となったりしたときには、理性の声に耳を傾けるのをやめるので、そういう人と議論しても無駄だ。
→私は職場で暴力を受けた時に、相手が理性の声に耳を傾けるのをやめた状態であることを見誤っていた。でもそれは多分、しょっぱなに相手が怒り狂って侵入してきて私の扁桃体が危険を察知して前頭前皮質が機能停止に陥っていたからか。あと、私が基本的に解離して理性過剰優位な状態だったから、他者が職場で感情的に暴力をふるってくるって可能性を理解できなかったのもある。その時の私の扁桃体の反応は正解。相手は電車で刃物を振り回す人となんら変わりなかったから。で、カウンセリングで、私のこの行動をとがめられたことがあったけど、この本を読むと、脳が刺激に適切に反応していたということが理解できる。
何かが生死の問題であると大脳辺縁系が判断したときにはいつも、前頭葉と大脳辺縁系の間の経路ははなはだか細くなってしまう。
・問題の大半は、知覚と注意を司る、脳のもっと奥の領域からのプレッシャーに端を発する。危険な状態にあることを知らせる情動脳の警報ベルが鳴り続けると、どれほどの洞察をもってしてもそれを黙らせることはできない。
・情動脳と理性脳が対立しているときには、激しい主導権争いがおこる。この争いは主に、消化管や心臓、肺など、内臓を舞台にして行われ、身体的な不快感や精神的な苦痛につながる。
p111
解離こそがトラウマの核心を成す。圧倒的なトラウマ体験は、ばらばらになり、断片化するので、トラウマに関連した情動や音、声、イメージ、思考、身体的感覚がそれぞれ独り歩きをはじめる。-中略-トラウマが解消しない限り、体が自らを守るために分泌するストレスホルモンが循環し続け、防衛の動作や情動的な反応が反復され続ける。
→この一連の不快な反応を自覚していない人の方が多いのかもしれない
フラッシュバックに苦しむ人は、フラッシュバックから身を守ることを最優先にした生活を送ることが多い。
→取りつかれたように筋トレをしたり、薬物やアルコールで自分を麻痺させたり、危険な状況(バイクレース・バンジー・救急車の運転手等)に身を投じることで、自分に主導権があるという自己制御感覚の幻想を持とうとしたりする場合がある。
→私が虐待の現場にいたのも、高校の現場で翻弄されてたのも、自分を麻痺させるものを本能的に欲してという可能性もなくもないのか…
目に見えない危険と常に闘っていると心身が消耗するので、彼らは疲れ切り、抑うつ状態に陥り、うんざりする。トラウマの様々な要素が何度となく再生されると、それに伴うストレスホルモンが、そうした要素の記憶をますます深く心に刻み付ける。ありきたりの日常の出来事は、しだいに魅力を失う。彼らの身の回りで起こっていることをしっかり把握できないため、思う存分生きているように思えない。普通の生活の喜びや苛立ちを感じたり、目の前の課題に集中したりするのが難しくなる。現在を思う存分生きていないので、過去になおさらしっかり囚われたままになってしまう。
→確かに、暴力のトラウマと常に闘っていて、疲れ切ってうんざりしていた。現在を生きている感覚がなかった。もうすでに消化試合の感覚。過去の恐怖にとらわれていた。
彼らが自分の疎外の起源を自覚していることは、まずない。そこでセラピーの出番となる。それが、トラウマによって生じた情動を感じられるようになる第一歩、自己を観察する能力を稼働させる第一歩だ。だが、結局のところ、脳の脅威知覚系が変化してしまったのであり、身体的な反応は過去の痕跡の言いなりになっているのだ。
→脳の脅威知覚系が変化してしまったって何?自らの内部感覚や情動の主導権の獲得の仕方を学ぶこと、それが、回復への第一歩となるということか。
p114
・扁桃体は、フラッシュバックでめちゃくちゃ反応する。過去と現在の区別はしておらず、強力なストレスホルモンの分泌と神経系の反応を引き起こしていた。
p115
時間管理者の機能停止
・フラッシュバックがおこっているMRI画像では、脳の前側の左右の後外側前頭前皮質が白くなっており、活動停止していることがわかる。ここが機能しないと、人は時間の感覚を失い、過去、現在、未来の感覚がないまま、今の瞬間に閉じ込められてしまう。
→どゆこと?
・トラウマの精神的処理には、脳の二つのシステムが関与している。情動の強さに関わるものと、前後関係の関わるもの。情動の強さは、煙探知機(扁桃体)と、それと拮抗する監視塔(内側前頭前皮質)によって定められる。ある体験の前後関係と意味は、背外側前頭前皮質と海馬を含むシステムが判断する。背外側前頭前皮質は脳の前部の側面にあり、内側前頭前皮質は中央にある。脳の正中線沿いの組織は、自己の内部経験をもっぱら司り、側面の組織は、環境との関係により深くかかわっている
・背外側前頭前皮質の仕事は、現在の経験が過去とどう関係しているか、小らにどう影響するかがわかる、脳の時間管理者である。トラウマは「これが永遠に続く」という究極の体験と言える。
・元々の体験の間に機能停止に追い込まれた脳の組織が完全に稼働するようになって初めてトラウマから回復できる。脳の監視塔(前頭前皮質)、料理人(視床)、時間管理者(背外側前頭前皮質)が稼働していて初めて、その恐ろしい出来事が過去のものであることを心の底から知る可能性が開ける。
→この流れを始めのカウンセリングで説明しようよ。
→6/29追記:職場で受けた暴力によって、私の前頭前皮質が機能停止して、つい最近ほぼ完全に稼働するようになった。この状態になって初めてトラウマから回復できるのか…。長かった。まだあんのか。もう少しだ。がんばれ。
p117
視床の機能停止
・視床は「料理人」の役割を果たす。5感からの情報を集め、それらを統合して 「自伝的記憶」というスープをつくる中継基地。
・通常の記憶で視床が機能している時は、起承転結のある物語として本人が語れる仕上がり(スープ)になる。
・トラウマ体験時・フラッシュバック時に視床は機能停止する。トラウマの記憶は恐怖・無力感という強烈な情動が伴い、光景、音、音声、身体的感覚などの、孤立した感覚的痕跡として記憶される。
・視床の平常時の他の役割:フィルター・門番の役割も果たす。集中・注意・新しい学習にとって重要な構成要素でもある。注意・集中・新しい学習はみなトラウマによって損なわれる。
・このページに意識を集中し続けられるとしたら、関係のある情報と安心して無視できる情報を区別するのを視床が手伝ってくれている証拠。PTSDの人は、門が全開になっている。フィルターがないので、彼らはたえず感覚過負荷の状態にある。それになんとか対処するために、自らの機能を停止させ、視野狭窄や過集中を起こす。もし自然に機能を停止できない場合、薬物やアルコールの力を借りて、周りの世界を締め出そうとすることもある。自分の中に閉じこもる場合、代償として楽しさや喜びの源泉まで排除されてしまう。
→大学の時、哲学の先生がトラウマと犯罪について研究していた時に、「どんな経験も自分の口で語れるようになればだいぶいい」と言ってたのか、これのことか。ジュディス・L・ハーマンの本買って読んだけど、あんときは自分が重度のトラウマ抱えてる実感なかったし、気が付かないように抑圧しまくってたから、きちんと読みとれなかったんだろうな。
→職場で暴力を受けて、マークシートテストの採点処理で自分で認識できないミスをした。それまで、テストとか成績関係は絶対ミスしない自信があったから、ミスした自分が信じられなかった。テストづくりでも踏ん張り切れない自分がいて、難易度とか問題数とか調整しきれなかった。IELTSの勉強も長文が全然覚えられなかった時、本の虫だった私が活字を追えなくなった時、ウェブデザインの講座を申し込んで説明受けただけで「できない」と限界を迎えた時も、本当に怖かった。
これらは、トラウマによる視床の機能停止が原因だったのか。脳の知識が無さ過ぎて、自分に何が起こっていたのか、全くわからなかった。視床が機能しなくなってから脳の勉強ってハードル高すぎるし。
・離人症-自己から分離する
マヒ状態:頭はからっぽ、脳のほぼ全領域で活動が著しく低下した。心拍数も血圧も上がらなかった。何も感じない状態。診察室では、患者は全く何も感じることなく、身の毛もよだつような話をする。
・トラウマ治療にとっての難題
過去に取り組むこと以上に日々の経験の質を高めることが大切。今ここに思う存分存在できていない時には、自分が現に生きていると感じたところに行く。その場所がぞっとするような恐怖と苦悩に満ちているとしても。
・トラウマ治療は、フラッシュバックを単に減らすことだけではなく、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けないといけない。そのために、トラウマ体験に圧倒された時に患者を見放した脳の組織が働きを取り戻すように支援する必要がある。
・フラッシュバックが減っても、散歩・食事・子どもと遊ぶなど日常のごく当たり前のことに満足を感じられなければ、人生に置き去りにされてしまう。
→私がトラウマを負ったときに私を見放した脳の組織はどの部位だ?今の生活の質を高めるなら、オンラインの仕事にさっさと切り替えて、家を家具付きの状態で貸し出して、地中海の国で生活したらいいか。
→6/29追記:私がトラウマを負ったときに私を見放した脳の組織は、前頭前皮質。
・体と脳のつながり
生物がサバイバルモードにはまり込むと、目に見えない相手を撃退することに精力が注がれ、養育や世話、愛のための余裕がなくなってしまう。心が目に見えない攻撃から自らを防御している限り、私たちの最も緊密な絆も脅かされるとともに、想像したり、計画を立てたり、遊んだり、学んだり、他者の欲求に注意を払ったりする能力も損なわれてしまう。
・神経系基礎知識
自律神経系
→交感神経系(アクセル、エネルギー消費、情動とセットで機能、深く息を吸い込むと活性化し鼓動が速くなる、素早い動きが必要→筋肉に血液を送る→副腎刺激してアドレナリンを分泌→心拍数アップ→血圧上がる)
→副交感神経系(ブレーキ、エネルギー保存、情動に反する、深く息を吐きだすと活性化し鼓動が遅くなる)
・ヨガや瞑想の呼吸
息を吐く時間が長いはず。時間をかけてすっかり意気を吐き出すと、心が落ち着くから。
・心拍変動
心拍変動を測定すれば、交感神経と副交感神経の柔軟性が検査できる。心拍変動の値が大きければ大きいほど良好である。覚醒系のブレーキとアクセルが適切に機能し均衡がとれている表れ。
→これほしいな
p131
・安全と相互作用
他者といっしょにいて安全だと感じられることが、メンタルヘルスの最も重要な一面。安全なつながりは、有意義で満足のいく生活の土台だ。
・災害時の研究から、ストレスとトラウマに圧倒されるのを防ぐ最も強力な保護手段は社会的支援だということはわかっている。社会的支援というのは、「相互作用」であり、身の回りの人々に、本当に聞いてもらえている、目を向けてもらえていること、誰かの頭や心の中に自分がしっかり位置を占めていると感じられることだ。
・トラウマを負った人は四六時中、身の回りの人と同調できずにいる。
・人間が難しい時は、哺乳動物でよい。いるか、犬、馬
→ここが私弱いんだよな…
友人たちはOKなんだけど、血縁がほぼ全滅なんだよなぁ
父母はあきらめた方がいいし、子は回復の途中
職場で暴力を受けた時、私の親と絶縁状態で、子との関係が断ち切られていて、壊滅的だったんだよなぁ。だから、よりトラウマに圧倒されたってことか。ワーカウェイで馬の世話しにいこうかな。
・安全を守る3段階:周りの関与を求める→闘争/逃走→凍結
脅威
→身の回りの人に声をかけ、助け・支援・慰めを求める
→助けなし、危険が差し迫る
→生存のためのより原始的な方法「闘争/逃走」に立ち戻り、攻撃者を撃退するか安全な場所に逃げる。
→逃げ出せない、押さえつけられた李、閉じ込められたり
→生体は機能停止「凍結/虚脱」の状態になり、エネルギーの消耗をできる限り少なくして、自らを守ろうとする。
・社会的関与/闘争逃走/凍結虚脱の対応は、迷走神経が担当する。
社会的関与を司る系は、脳幹の調節中枢と、隣接する腹側迷走神経複合体(顔・喉・中耳・咽頭の筋肉を活性化させる神経に端を発する)が主導権を握っている時は、誰かに微笑みかけられれば微笑み、同意するとうなずき、友人が不運な出来事を語れば眉をひそめる。腹側迷走神経が稼働していると、心臓と肺にも信号が送られ、心拍数が落ち、呼吸が深くなる。結果、落ち着いてくつろいだ気分になったり、精神的に安定した感じを抱いたり、心地よい覚醒を覚えたりする。
・安全や社会的つながりに対する脅威は、腹側迷走神経複合体が通っている領域で変化を引き起こす。苦悩をもたらすことが起こると、自分が動転していることを表情や声の調子で自動的に他者に伝える。そのような表情や声の調子の変化は助けに来てくれるようにという合図だ。
→誰も応えてくれないと脅威が増し、もっと古い大脳辺縁系が急いで加勢する。交感神経系が主導権を奪い、闘争逃走のために、筋肉や心臓、肺を動員する。早口になり、声は耳障りになり、心臓も鼓動を速める。
→最後に、逃れる術がなく、来るべき脅威を防ぎようがないと、究極の緊急系である背側迷走神経複合体を活性化させる。この系は横隔膜を越えて、胃、腎臓、腸に達しており、全身の代謝を徹底的に減らす。心拍数急落、遺棄ができなくなり、消化管が動きをやめたり排便がおこったりする。物事に積極的に関与することをやめ虚脱様態に陥り凍り付く。
・背側迷走神経複合体が主導権を握ると…
動きの自由が奪われることが、ほとんどのトラウマの根底にある。鼓動を遅くする、呼吸を浅くする、他人のことも自分のこともどうでもよくなる、自覚がなくなり身体的苦痛をもはや認識しなくなることもある
・腹側迷走神経複合体が喜ぶこと…
甘くささやきかけ、微笑み、関心を向ける→喜びや安全の感覚が伴うので、将来のあらゆる社会的行動のための土台作りに役立つ。
・哺乳動物は、多少用心しているのが自然な状態である。しかし、遊んだり、配偶者と交わったり、子どもを養育するには、脳の生来の警戒心を解く必要がある。
・トラウマを負った人の多くは、過剰に警戒し人生がもたらす本当の喜びを楽しめない。逆に、あまりに感覚がマヒしていて、本物の危険の兆候を警戒できない人もいる。脳の煙探知機(扁桃体)が正しく作動しないと、人は逃げるべき時に逃げなかったり、身を守るべき時に反撃しなかったりする。他者との接触を表面的なものにとどめている場合は安全に感じらても身体的接触は強烈な反応をひきおこしかねない。親密な身体接触を伴う時には、身動きがとれない状態を恐れることなく経験できなくてはならない。トラウマを負った人にとっては、自分がいつ本当に安全なのかを見極めたり、危険に直面したときに防御態勢をとったりできるようになるのは、非常に難しい。それには、身体的に安全であるという感覚を取り戻せる経験をするう必要がある。
・効果的な情動調節法
ヨーガ、空手、遊戯療法、感覚刺激のような身体療法、呼吸法、詠唱、気功、武道、ドラム演奏や合唱、ダンス
人と人との間のリズム、内臓感覚の自覚、声や表情による意思疎通に依存している。それらは、闘争逃走状態を脱し、危険の知覚を立て直し、人間関係を管理する能力を増進するのを助ける。
・深刻なトラウマを抱える慢性的なPTSDを抱える人の脳とそれ以外の人の脳の脳のデフォルトの働きの違い
内臓で経験する感覚と情動を伝える領域である内側前頭前皮質、前帯状皮質、頭頂皮質、島が全く活性化せず、居場所についての身体的感覚を与えてくれる後帯状皮質だけ活性化していた。つまり、私たちの自己認識、自分は誰なのかという感覚の土台を形作り一切の情動と感覚の認識を司っている部分が機能停止しているということだ。恐ろしい感覚を遮断しようとして、思う存分生きていると感じる能力まで弱めてしまったのだ。
トラウマを負った人の多くが、目的意識や方向性を失う理由も、内側前頭前皮質が活性化しなくなったことで説明がつくのか、体内の感覚が自分に何を語ろうとしているのかをはっきりさせられないのであれば、決定も計画を実行に移すこともできない。
→私は何がしたいかは比較的明確になっていて、それを実行する能力、お金の計算とか、マルチタスクをこなす力が戻ってなくてなかなか実行に移せない。となると、私は前頭前皮質があともう一息ってことなのかな…
p158
人が生命を脅かされると、脳幹と大脳辺縁系の基本的な事故システムは著しく活性化し、強烈な生理的覚醒を伴う圧倒的な恐れや身がすくむような思いが引き起こされる。人は自分の動物脳が生存のための闘いにはまり込んでいる時に、どうやって主導権を取り戻すのか。
p160
主体性:自分の人生を自ら取り仕切っているという感じを指す
これを取り戻すには、内受容感覚(体に基づく感情である微妙な感覚の自覚でその自覚が大きいほど自分の人生を制御する潜在能力が増す)を自覚すること、つまり、内側前頭前皮質の働きを高めるマインドフルネスの練習が有効だ。
身体療法の目的3つ
①トラウマによって遮断され、凍り付いていた感覚の情報を引き出す
②その内部経験によって解放されたエネルギーを、患者が抑え込むのではなく味方にするのを助ける。
③彼らが恐怖に閉じ込められたり、拘束されたり、動きの自由を奪われたりしたときに妨げられた、自己保存のための身体的行動をやり遂げる。
人は自分の内部感覚と快適なつながりをもっていて、それらが正確な情報を提供してくれると信頼できる場合には、自分の体や感情や自己を取り仕切っていると感じる。
「怖くて体が硬直する」「恐怖で凍りつく」といった表現は、恐怖やトラウマがどのように感じられるかをじつに正確に言い当てている。トラウマは、内臓を土台とするそうした感覚から生じる。内臓の経験が変わらない限り、その人の人生は恐れに人質にとられたままとなる。
・トラウマの犠牲者は、自分の体内の感覚になじみ、その感覚と仲良くなって初めて回復が可能になる。おびえているというのは、いつも警戒している体の中でくらすことを意味する。人は、変わるためには、自分の感覚や自分の体が周りの世界とどのように相互作用するかを自覚する必要がある。
・教員や看護師、警察官は、逆上したり痛ましいほど混乱したりした人と、毎日のように向かい合っている人が多いので、驚愕反射を鎮めるのに非常に長けていることがよくある。
p182
自愛の最初の手がかりは、自分がどのように面倒をみてもらうかから得られる。自己調節技能の習得は、幼少期の養育者とどれだけ睦まじい交流があったかに大きく左右される。親が快適さと力の信頼できる源泉になってくれている子どもは、一生にわたる強みをもっている。それが、過酷な試練に対する一種の盾になるのだ。
→私の母が私を育てた環境は、想像を絶するワンオペだから、ここの情報が彼女から得られれば、また一つ整理ができるな。
子どもはある特定の大人を選び、本来備えている意思疎通のシステムをその人を相手に発達させるようプログラムされている。そのおかげで、最初の愛着の絆が結ばれる。その大人がその子どもに対して敏感に反応すればするほど、愛着は深まり、赤ん坊は周囲の人々に健全な形で反応できるようになる。
→やっぱ、多分私は母との関係でめちゃくちゃ躓いてるよな。母はほぼ私の訴え無視してたからな。私と子どもとの関係ではここはクリアしている。本能的にほっておけなかった。私の直観ナイス。私えらい。
虐待やネグレクトを経験した子どもは、恐怖を覚えようが、懇願しようが、泣こうが、養育者には認識されないことを学ぶ。彼らが何をしようと、何を言おうと、殴打は止まないし、注意を向けられることも、救いの手が差し伸べられることもない。彼らは事実上、後の人生で難題に直面したとき、諦めるように条件づけられているわけだ。
→やっぱ、これだな。私は泣いていても母から放っておかれた。母は子どもを放っておくことができずに翻弄されている私を不思議そうに眺めていた。私の中に、「私は愛されない。私は選ばれない。欲しい物は得られない。」と言う思い込みがあるのは、ここが原因か。子どもに翻弄されつつも要求に応えたのは、子どもに一生にわたる強みを持たせることができたということか。よくやった私。
p190
子どもたちには、誰かに愛着を感じたいという生物学的な本能がある。選択の余地はない。養育者がよそよそしかったり、鈍感、あるいは拒絶的だったり、虐待しようと、子どもは自分の欲求の少なくとも一部を満たしてもらおうという試みに基づいた対処様式を発達させる。
親の最近の死といった、自分自身のトラウマで頭がいっぱいの親も、情動的にあまりに不安定で一貫せず、ろくに慰めや保護を提供できない。親は精神的に安定した子どもを育てるためには、得られる限りの助けを必要とするが、トラウマを負った親は特に、子どもたちの欲求と同調するための助けが必要だ。
→母は本気のワンオペだったんだよな。北海道から幼児と胎児連れて関東にきて、夫は警察学校入ってるから育児は自分ひとりで、近所に仲良しの人がいたから大丈夫だったって言ってたけど、そう思い込むしかない状況だったっていうか、想像を絶する。私が小学生の時に母方の祖母が亡くなっていて、近所に親戚もいなかった。精神的に安定した子どもを育てられる条件が揃っていない土台の上で、母がどれだけ良いパフォーマンスをしようとしても、どれだけ頑張っても、液状化しているところに立つ家は歪むんだよな。
「正常」な中産階級の環境で2000人以上の赤ん坊の愛着パターンを調べたある研究では、62%が安定型、15%が回避型、9%が不安型、15%が無秩序型であることがわかった。子どもの性別と基本的な気質が愛着の方にほとんど何の影響も持たないことを示している。気難しい気質の子どもは無秩序型になりやすいわけではなく、社会経済的に低い改装では、親が経済的にも家庭的にも不安定であるために深刻なストレスを受けていることが多く、子どもが無秩序型になる率が高い。
→私は気難しい気質の子どもだった。そして、親は仕事を得るために幼児と胎児を連れて関東に来たくらいだから、経済的に不安定な層だ。そして、父は非常に不安定な家庭で育ち、愛情深く育てられた母の家庭的な背景に惹かれた父にとっては上昇婚だったため、彼が築いた家庭も当然家庭的な不安定さを内包していた。私は無秩序型か?ただ、母はひどい環境の中で、私を全く理解できなくても一生懸命面倒をみていた。どれだけ母親が頑張っても、太刀打ちできない環境で、結果が制限されるって、やってらんないよな。父のPTSDは、母を不安定にさせ、その母の不安定さが子どもに悪影響を及ぼすって、恐ろしいわ。第一養育者がどれだけ誠意をつくしたところで、第一養育者の家族、置かれている環境の子どもへの影響が甚大すぎるてほんと恐ろしい。
赤ん坊の頃に安心感がえられなかった子どもは、成長しても情動的反応を調節するのに苦労する。
夜泣きする子どもや過剰な活発な子どもを育てたことがある人ならだれもが知っている通り、何をやっても効き目がない時には、ストレスがたちまち増大する。赤ん坊を落ち着かせて、面と向かっての楽しい相互作用を確立するのをしくじってばかりいると、赤ん坊のことを手の焼ける母親失格だと感じさせる子どもだと認識し、この子を慰めようとするのをやめてしまう可能性が高い。
→母は私といると自信をうしない、私には「私は理解されない、見てもらえない、選ばれない」気持ちがデフォルト設定され、思春期には恋愛依存になっていった。
・身体的虐待の経験はなく、親を亡くした経験をもつ母親は依存心が強い割合が大きかった。
→私の母は、20代後半から30代前半で母親を亡くしていたはず。母の依存心が強いのは、これもあるのか。
・健全な子どもを育てるというのは、人間の目的意識や存在意義のまさに核心にある。
・子どもたちは次第に慰めようがなくなったり、むっつりしたり、同調しそこなった母親に対して反抗的になったりしていった。一方母親の方も、子どもとの相互作用の中で徐々に苛立ち、打ちのめされ、無力になっていった。いったん母親が子供のことを同調した関係におけるパートナーとしてではなく、癇に障る、腹立たしい、心の通わない他者として見るようになると、その後の虐待の舞台が整う。
→母、まさにこれ。愛せない子どもを育てた人の手記を読んで、もう少し情報がほしいな。
・18年後、子どもたちが20歳前後の時に追跡調査が行われた。生後1歳半のときに母親との情動的意思疎通のパターンが深刻なまでに混乱していた子どもは、自己感覚が不安定で、自己破壊的な衝動(浪費、性的逸脱、薬物乱用、無謀運転、過食などの衝動)をもち、不適切で強烈な怒りを抱き、頻繁な自殺関連行動を見せる若者になっていった。
→私の場合は性的逸脱か。モンテッソーリの赤ちゃんの頃からの子どもへの教育が世界の平和につながるっていうのも、わかる気がするな。
・敵対的、押し付けがましい母親の行動は、子どもが精神的に不安定な大人に成長すると思われたが、結果は違った。親が情動的に自分の殻に閉じこもることが、最も深刻で長期わたる影響をもたらしたのだ。情動的な隔たり×役割の逆転は、子どもが若者になった時に自分や他者に対する攻撃性と明確に結びついていた。
→母は情動的に自分の殻に閉じこもることはしなかった。すべてを外に出す人だったから彼女のストレスは主に私が吸収していた。一方で私は性暴力を受けてから情動的に自分の殻に閉じこもった。(自分の殻に閉じこもるって具体的に何をさすのか?)役割の逆転は無かった。私の情動的な隔たりが、子どもにどう影響したんだろう…。私の情動的な隔たりは、元夫が引き起こしたこと。あいつ本当に死ねばいいのにな。彼の暴力性をはぐくんだ男性中心の価値観に対して、私はもうおなか一杯でアレルギー反応が出る。これはどうにかなるようなものなんだろうか…?
・解離は幼少期に学習される。解離の特徴は、当惑したり、圧倒されたり、見捨てられたり、世の中から隔絶したりしているという感覚や、自分は愛されておらず、空虚で、無力で、八方ふさがりで、重苦しいという思いだ。
・生後2年の間で、母親が関与も同調もしないことと、その子どもが成人したときに解離の症状を見せることとの間に関係がある。関与と同調どちらも無しの子どもは、他者に関心を向けた理解したりできない少年に育つ危険が大きい。
→母は関与はしていて、同調ができなかった。私は他者に関心があるし、理解もできる。相性が合わない養育者に育てられたというマッチングの問題か。
・幼少期の養育の質は、メンタルヘルス上の問題を防ぐのに決定的に重要で、児童虐待以外のトラウマとも別個に考えなければならない。治療では、トラウマを引き起こした特定の出来事の痕跡と、第一養育者から関与されていたか、同調されていたか、一貫した世話や愛情を与えられたかをみていく必要がある。つまり、解離と自己調節機能の喪失を扱っていくことになる。
→母の兄への偏愛というトラウマがあった、家庭環境的に移民のしんどさがあった、世話はされていた、同調と理解がなかった。
→6/29追記:幼少期の養育の質が非常の悪かった
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