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ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」③p200~300

p202
同調を取り戻す
・幼少期の愛着パターンによって、私たちが一生にわたって人間関係を図示することになる心の地図が作りだされる。
・親密な人間関係を恐れる人は、その恐れが母親の産後鬱、あるいは母親自身が子どもの時に性的虐待を受けた事実と関連しているのに気づく場合もあるだろうが、それだけでは、幸せに満ちた他者との関わりができるようにはならない。気が付くことは、負の連鎖を引き継がせない方法を探すきっかけにはなる。
・リズミカルな行為と相互作用を訓練して、損なわれた同調システムを修復する取り組み方がある。

p207
大切なのは、患者自身が自分の感じている物を感じ、知っていることを知るのに耐えられるようになることだ。

p211
・私たちは子どもの頃、自分自身の宇宙の中心として人生を歩み始め、あらゆる出来事を自己中心的な視点から解釈する。親や祖父母が、おまえは世界で一番かわいい、一番素敵だと言い続ければ、その言葉を疑うことはなく、まさにその通りに違いないと思い込む。そして、自分について他に何を知ろうと、心の奥底ではその感覚を抱き続ける。自分は本質的にほれぼれするような存在なのだと思い続ける。その結果、後に付き合っている人にひどい扱いをうけると激怒する。そのような扱いはしっくりこない。なじみがない。勝手が違う。

→私の心の地図はこうじゃない。子どもにはこの地図を与えられたと思う。

・一方で、子ども時代に虐待されたり、無視されたり、性的事柄が嫌悪に満ちた扱いを受ける家庭に育ったりすると、心の中の地図は、軽蔑や屈辱を特徴とする自己感覚を抱くようになり、あの人の方が一枚上手だとかんがえ、後にひどい扱いを受けても抵抗できない可能性がある。

・マリリンは、「男性は他者の気持ちなどおかまいなしで、何でも思い通りにする、女性は弱すぎて自分を守れず、養ってもらうためなら男性に体を売り、人が何か面倒なことになっても指をくわえてみているだけで助けようとしない」と確信していた。これが彼女の心の中の地図、世界観だった。
→多分私も似たようなこと思ってる。
これまで、付き合ってきたのは8人(7人日本人、1人中国人)くらい。
下駄履いて自分勝手にふるまっていると感じたのが7人(日本人)、始終フラットな関係でいられたのは1人(中国人)
下駄履いたまま境界線を侵入してきたサイコパスは2人(日本人)、境界線を守っていたのが5人(日本人)
それとは別に、一方的に好かれて怖い思いをしたのが、2人(日本人)。
親しくない人からの性被害は、クラスメートから2回(一人日本人、一人韓国人)、電車で3回(日本人)
親しい人からの性被害は、2.5回(日本人)、3回目はやり返したから未遂で0.5カウント。
実際に、恋愛や性欲を絡めた経験で、嫌な思いをする方が圧倒的に多かったから、そういう世界観になるのは自然。生息する池を間違えていたってことでもある。

p213
・自信のない大人の男たちの欲求を満たしてあげるようにしこまれたんですから。

→「女子力」「家庭的」という言葉が「奴隷力」を意味するのとおんなじだよね。

・最幼少期の養育者は、授乳を含む身の回りの世話、動揺している時の精神的な慰めに加え、急速に発達する脳が現実をどう認識するかを定めもする。養育者と接するうちに、何が安全で何が危険か、誰が頼りになって誰が失望をもたらすか、欲求を満たしてもらうには何をする必要があるのかを学ぶ。その情報は、脳の回路網の基盤に組み込まれ、私たちが自分や周りの世界をどう考えるのかのひな型を形成する。こうした心の中の地図は、時間が経過しても驚くほど変化が少ない。
→ここが、本当に恐ろしい。「私は選ばれない、愛されない、理解されない」が私のデフォルトだから、ほんとここ困ってる。

・とはいえ、心の地図は、その後経験する深い愛情に満ちた人間関係で変わりうる。例えば、脳がすさまじい変化の時期を再び経る少年期(13~18歳)、子どもの誕生だ。赤ん坊は人の愛しかたを教えてくれることが多い。また、それとは逆に、長じて受けたレイプや暴行によって、それまで汚点のなかった子ども時代の地図がゆがめられることもある。
→恋愛依存ですり減っていたし、性的な暴力の末妊娠したけど、子どもは私が欲しかった形の愛情を私に与えてくれた。どんな私でも、必要として愛してくれた。親からもらいたかった愛情を、子どもが私にくれた。子どもが私に人の愛し方を教えてくれた。親の子どもへの愛が無償であるって、本当に難しいんだと思う。子どもから無償の愛を与えてもらって初めて、これが本当の無償の愛なんだって気が付くんじゃないかな。

・私たちの世界の地図は情動脳にコード化されており、それを変えるには、中枢神経系のその部位を再編成する必要がある。

・私たちが恐れに乗っ取られていない限り、理性脳は大抵情動脳よりも優位に立っていられる。だが、ぬきさしならなくなったと感じたり、激怒したり、拒絶されたと感じた瞬間、古い地図を起動してその指示に従う危険がある。変化が始まるのは、私たちが自分の情動脳を「支配する」ことを学んだ時だ。それは、みじめさや屈辱をとらえる胸の張り裂けるような感覚やはらわたがよじれるような思いを観察し、それに耐える術を学ぶことを意味する。自分の中で起こっていることに、耐えられるようになって初めて私たちは自分の地図を固定して不変にしている情動を拭い去る代わりに、それと仲良くできるのだ。
→これからも恐れる事態はおこるし、古い地図が自動的に起動もされる。でも、私が内臓の嫌な感覚に乗っ取られるのではなく、観察して耐えられるようになることが、自分自身をコントロールできているという状態。

・マリリンはセラピーで家族の絵を描いた時、虐待されている女の子の絵を描いた。ピアカウンセリングの際、別の参加者の13歳の時兄とその友人たちにレイプをされたという話を聞いて、マリリンは「私も性的虐待を受けたかもしれない」と語りだした。マリリンは、絵、免疫系、筋肉、恐怖系で明らかに性的虐待を表現しているのに、彼女の認知的・言語的な自己は自分の身に実際何が起こったのか、見当もついていなかった。その後、個人セラピーで、過去と取り組みだし、気持ちを静める技法(呼吸とタッピング)を自分のモノにしていくにつれ、感情に圧倒されずにすむようになった。心を鋭敏な状態に保ちつつ、自分がひどく恐れるようになった感覚を身体が感じるのを許すことを学ぶと、マリリンは自分の感情に乗っ取られる代わりに、一歩引いて自分の経験を観察することができるようになった。以前は、そうした感覚を鈍らせるためにアルコールや運動を用いていたが、今では子供の頃の自分に何が起こったのかを思い出そうとしても安心だと感じ始めていた。自分の身体的感覚の所有権を把握すると、過去と現在を区別することもできるようになってきた。-中略-彼女は自分が34歳の女性であり小さな女の子ではないのを知る〝完全に身体で知る”ことができた。
→ここ読んで、私は中3の時にクラスの男子生徒にスカートの中に頭を入れられたこと、電車で胸を触られていたり、ペニスを擦り付けられていたこと、教育実習の一環で障がい者施設に行ったときに私を見ながらマスターベーションをされていたのに施設職員が止めなかったことを思い出した。誰にも話したことはないし、話したとしても嫌な感覚も湧き起らないで淡々と話せる自信があった。治療者が、「こいつおかしい」って記述してくれてたから、「ああそうか、これはおかしいのか」とわかった。感覚もすぐにシャットダウンして、以来無感覚で写真のような断片的な記憶として処理されていたから、ここは多分トラウマ処理がされていて、脳のむだなエネルギー消費になっていると思った。原宿カウンセリングセンターへ行って、ブレインスポッティングをしてもらったら、案の定ものすごい嫌な感覚がよみがえってきた。当日は疲れて、翌日も疲れが抜けず、今日ようやく書き起こせるまで復活した。
→6/29追記:自分の記憶の中で、写真のようなイメージで思い出せる記憶は、大抵ヤバいトラウマの記憶。
処理済:性暴力の記憶たち

未処理:自殺しようとした記憶、母が犬を蹴り上げている記憶、家の外に力づくで出されて必死に懇願して中に入れてもらおうとしている記憶、家の中で銃を見た時の記憶、父のトイレの記憶、介護と兄を理由に進路を固定された記憶、母に「あんたたちがいるから私は自由になれない」と言われた時の記憶、父と母に私の大学進学費用は用意していないと言われた時の記憶

・父親による性的虐待で彼女は耐えきれないほど怯えてしまったので、その体験を思い出の中から締め出す必要があった。なにしろ、自分を襲ったこの男性、つまり自分の父親と、その後もいっしょに暮らし続けなければならなかったのだから。
→ここを読んでいる時に、「私を自分のモノにするために計画的に妊娠させた」サイコパスな元夫が思い浮かんだ。私は、このサイコパスを父親として機能させるために20年近く何らかの関係を維持してきた。本音では死ねばいいと思っていたけど、子どもにとっては父親だから、追い詰めるわけにもいかず色々難しかった。

p220
自分の家を忌み嫌う
子どもは親を選べないし、親があまりに落ち込んだり、腹を立てたり、ぼうっとしたりしていて力になってもらえない場合があることや、親の行動が自分とはほとんど無関係かもしれないということを理解できない。彼らは、大人と違い、外部の権威に頼って助けを得ることができない。親こそが絶対的な権威なのだ。アパートを借りることもできないし、誰かのところに転がり込むこともできない。生存そのものが養育者にかかっている。

・子どもは、たとえあからさまに脅迫されてはいなくても、自分が受けている殴打や性的虐待について教師に話したら罰せられることに感づいている。そこで、なにがおこったかについて考えないように、全力を傾ける。体の中に残っている恐怖とパニックを感じないように努める。自分が体験したことを知るのには耐えられないため、自分の怒りや恐怖、あるいは虚脱感がその体験と関係していることも理解できない。彼らは語る代わりに行動に訴え、憤激したり、機能停止に陥ったり、卑屈になったり、反抗したりすることで、自分の感情に対処する。子どもはたとえ養育者に虐待されたとしても、その養育者に基本的には忠実であるようにプログラムされてもいる。
→子どもが弱った原因は何なんだろう…。引っ越しのトラウマが想起されて機能停止になったのもある気がするんだよな…

・私たちは自分が何者かを知るため―自己同一性をもつため―には、何が「現実」か、何が「現実」だったかを知る(あるいは、少なくとも知っていると感じる)必要がある。自分の周りで目に入るものを観察し、それに正しいレッテルを貼らなければならない。また、自分の記憶を信頼でき、空想と区別できなくてはならない。そのような区別をする能力を失うのは、「魂の殺害」だ。自覚を消しさり、否認を強めるのは、生存に不可欠だからこそ行われることが多いが、その代償として、人は自分が何者かや、自分が何を感じているか、何や誰を信頼できるかがわからなくなる。
→親に私を育てていた時の環境聞かないとな。あと、子どもにいずれ話さないといけないんだろうけど、今じゃないな。

・トラウマの記憶は整然とした起承転結のある物語として保存されてはいない。はじめは恐れとパニックを伴うばかりの、トラウマ体験の断片や、脈絡のない光景、音、声、身体感覚として、戻ってくる。

p223
私たちは自分が何者かを知るため-自己同一性を持つため-には、何が「現実」か、何が「現実」だったかを知る(あるいは、少なくとも知っていると感じる)必要がある。自分の周りで目に入るものを観察し、それに正しいレッテルを貼らなければならない。そのような区別をする能力を失うのは、精神分析医のウィリアム・ニーダーランドが「魂の殺害」と呼ぶものの一つの表れだ。自覚を消し去り、否認を強めるのは、生存に不可欠だからこそ行われることが多いが、その代償として、人は自分が何者かや、自分が何を感じているか、何や誰を信頼できるのかがわからなくなる。

→中学生の時の性被害、専門学校通学時の性被害、専門の時の彼氏から受けた性被害、大学入学してすぐに受けた性被害…
これらを、私は無かったことにしていた。子どもの誕生と性被害が関連していることもあって、自分の中で最大限の力をもって抑圧した。人に話すこともできなかった。だから、私自身が何者か、何を感じているのか、何や誰を信頼できるのかといったことがあやふやになっていたのかもしれない。

p237
子どもの頃虐待された大人は、集中するのにに苦労し、絶えず緊張していると不平を言い、自己嫌悪の念に満ちていた。彼らは親密な人間関係を築いて維持するのが非常に苦手で、見境がなくて危険が大きく不満足な性的関係から、性的活動の完全な停止へと転じることが多かった。
→私は、親から得たかった愛情を異性に求めていて、自分がえらぶ基準があるわけではなくなんとなくで選んでた。でたくさん嫌な思いをして、完全停止している。

・逆境的児童期体験(ACS)の得点は0点~10点の範囲をとる。言葉による虐待をしばしば経験した(1点)、母親がアルコール依存症だった(1点)、両親が離婚した(1点)と言う具合だ。

https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2019/192011/201907005B_upload/201907005B0011.pdf

→私のACEスコアはどうだろう
母と言葉が通じず疎まれる(1点)
母と父はアルコール依存だった(1点~2点)
母は途中鬱になっていた(1点)
母は経済的にコントロールされ過重労働だった(1点)
父と母はずっとケンカをしていて板挟みだった(1点)
って感じかな…
5~6点

全回答者の1/6人が4点以上だってから、まずますヤバい環境だったっておもってていいか。

子どものACEスコアはどうだろう
父親が結構ずっと鬱で不安定だった(1点)
母親がずっと解離していた(1点)
両親が離婚したものの共同親権的な感じで機能していた(1点)
祖父がアルコール依存症(1点)
で3~4点ってとこかな。祖父の影響は大きくならないようにブロックしてたけど、どんなもんかな。共同親権自体が悪く作用した気もするけど、どんなもんだろうか…。
私由来のものってほぼないんだよね。元夫のもつマイナス、私の父が持つマイナスの結果なんだよな。

・ACE得点の高さは、職場での常習的欠勤、金銭的問題、生涯収入の低さと相関している。

・各人の苦しみに焦点をあてると、ACE得点が上がるにつれて、成人期の慢性うつ病の割合も増える。ACE得点が4点以上の場合、女性の66%、男性の35%が慢性の鬱だった。ACE得点が0の人は全体の12%だった。

p249
幼少期の虐待は、脳の発達に永続的な負の影響を及ぼす。私たちの脳は、幼少期の体験によって形作られる。虐待は鑿(のみ)であり、不和に対処するように脳を彫刻するが、それには、深く永続的な傷が伴う。児童虐待は、人が「乗り越える」ようなものではない。

→虐待は鑿で脳を彫刻する。「乗り越える」なんて甘っちょろいものではない。深く永続的な傷と共に生きる。

p256
・緊張した不安なメスは他のサルとうまく遊ばないので、出産したときに社会的支援を欠くことが多く、第一子をネグレクトしたり虐待したりする危険が大きい。だが、安定した社会集団に所属していると、まめな母親になることが多く、念入りに子どもの面倒をみる。状況によっては、不安定な母親は子どもの成長に必要不可欠の保護を与えることができる。

→社会的環境が私も母も悪かった。出産子育てと引っ越しの相性は良くない。社会的支援を一から探らないといけないことが多いので、大抵母親にとって厳しい環境になる。子どもの脳に鑿で刻む回数が増える可能性が高い。

p268
・母親の性格も、誕生時の赤ん坊の神経学的な異常や、IQ,気質(活動レベルやストレスへの反応性も含む)も、子どもが少年期に深刻な行動上の問題を見せるかどうかを予想する手がかりとはならなかった。肝心なのはむしろ、親子関係の性質で、親がわが子についてどう感じ、そのことどう接し合ったか、だった。
・安定的な養育を受ければ精神的に安定した子どもが育ち、気まぐれな養育を受けると、絶えず生理的に覚醒した子どもが育った。
・スルーフは、成人後のレジリエンスは、子どもが2歳の時に母親がその子をどれだけ愛らしいと評価するかで予想できると考えているそうだ。

→第一養育者が、その子をどう感じ、どう接するかで、その子の中の地図が形作られていくって、ほんとこわいわー。母親の予測が及ばない子どもが生まれた場合、母親の自信を失わせる特徴を持っていた場合、母親は子どもを自分の自信を失わせる疎ましい存在だと思うようになる。

p278
・人生そのものによってプログラムされてしまった人々の脳を配線しなおし、心を再編成することだ。

→「人生の初期、脳幹以外の脳が急速に発達していくときに、第一養育者が経済的・精神的に安定しているか、社会的支援を得られる状況か、第一養育者との相性がよいかによって、その子どもの脳のデフォルトの設定がなされる。」これって、本当に怖いことだよー。私の母は、経済的な余裕がなく、引っ越してばかりで社会支援へのアクセスは無い。私と母の相性も悪く、私は彼女に自信を無くさせるタイプのこどもだった。結果、私の脳のデフォルト設定は「私は愛されない、私は選ばれない、私は理解されない」になっている。


・ボルティモアの保育所で、家庭訪問プログラムを開始した。それは母親が安全で刺激に満ちた環境を子どもに提供し、その過程で、自分自身にとってもよい良い未来を思い描くのを、熟練看護師たちが手伝うというものだった。

・トラウマ記憶は圧縮されない。トラウマ記憶とは、時の流れの中で凍結され、不変であり、常に孤独で屈辱的で、人を疎外する経験なのだ。こうしたトラウマを寄せ付けずにいるには多大な犠牲を払わざるを得ない。患者がトラウマ体験を解離させると、克服し難い障害物に縛り付けられる。彼らはトラウマ記憶を統合できないため、新たな経験を取り込む能力も失ってしまうらしい。それは、あたかも彼らの人格がある時点で完全に凝り固まり、新たな要素を加えたり取り込んだりしてそれ以上拡大することができなくなったかのようだ。彼らが分離された要素に気付き、過去に起こったものの今はもう終わった出来事としてそれらを一つの物語に統合しない限り、個人生活でも職業生活でも次第に正常に機能できなくなっていく。
→民泊試しに泊まりに行けなくなっているのも、豪華客船のクルーが厳しいかもって思ってるのも、JICA厳しいかもってのも、全部このトラウマがどうにかなったら次に進めるな。治療が先。お金かかるけど週一だな。

・ジュリアンの場合、トラウマの感覚や思考、情動が凍結され、ほとんど理解できない断片としてバラバラに保存されていた。もしPTSTに伴う問題が解離ならば、治療の目的は連合ということになる。切り離されたトラウマの構成要素を継続中の人生の物語に統合するのだ。「昔は昔、今は今」と脳が認識できるように。
→ここが、今回民泊いけないかもってのでまだ昔のことにできてないんだな。民泊オーナーに許可なくパーソナルスペースに侵入されたこともブレインスポッティングやった方がいいな。

・これらの記憶は、身体が通常の状態の時には、患者の記憶からすっぽりと抜け落ちているか、はなはだ簡略化されたかたちでしか存在しない。
→たしかに

・症状を誘発した出来事の記憶をはっきりと明るみに出し、それに伴う感情を喚起することに成功し、患者がその出来事をできうる限り詳しく説明して感情を言葉で表した時、個々のヒステリー症状が即座に、そして永久に消失することを発見した。感情を伴わない回想は、ほぼ例外なく成果が無い。トラウマを引き起こした出来事に対する「強力な反応」が無い限り、感情は「記憶に付随したまま」になり、患者は感情を吐き出すことができない。
→これだな。中学生のころスカートの中に頭を入れられた記憶をブレインスポッティングしてもらったとき、一言一句この通りにできたから、3回目で0にもっていくことができたんだ。
→民泊のオーナーに触られた時の記憶も、改めてブレインスポッティングをやった方がいい。


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