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⑥私がやりたいのは、育児ではなく仕事!皮肉にも味わった感情は?
①「アドラー心理学」と「呼吸法」を伝えたい!!この道に進んだきっかけは・・・
②背に腹は変えられない、仕事を続けるために決断したこと
③疲労、イライラ、ダメ出し、自分なんてと思う日々
の続きです。
・・・・・・・・
子どものお世話は誰かにしてもらって
自分の思ったように働きたい!!
と常々思っていた私。
その願いを叶えるべく、
私は夫に育休を取ってもらうことに
したのです。
子どものことと家事は夫に任せ、
時間のことも気にすること無く
思う存分働ける!!
と張り切っていた矢先の
育休も終わりに近づいた
3月11日。
東日本大震災が起こりました。
もう、何もかもが崩壊して
しまっているのではないかと思うほどの
すさまじい揺れ。
そして原発事故によって
予定していた生活がガラガラと
音を立てて崩れさりました。
そんな中、何をおいても
気持ちのど真ん中にあったのは、
「何が何でも放射能から子どもを守る」
という思い。
原子力発電所の状態を常に
気にしながら過ごしました。
何かあったらすぐに避難できるように
夜もパジャマではなく、普段着で、
靴下も履いたまま寝ていました。
たびたび起こる余震に
恐怖を感じながら、
子どもたちのことは
絶対に守らなければ!という
気持ちがピンと張り詰めている状態でした。
そして、原子力発電所が
爆発したというニュースを聞き、
今避難しないと
大変なことになってしまうかも
しれないという恐怖の中、
2才と4才の子どもを連れて
実家のある秋田へ
慌てて車で避難したのでした。
夫は仕事があるため避難できず、
福島に残したまま。
この先、どうなってしまうのか
ものすごく不安でした。
そこから避難生活が始まったのですが、
私は4月1日から
職場復帰が決まっていたので、
育休が始まる夫と交代し、
(一人福島に戻る車の中で
子どもと離れる辛さで涙涙でした)
子どもたちとも夫とも離れて
暮らす生活が始まったのでした。
そして、
我が子と一緒に生活できない
寂しさ、無念さを感じる生活。
仕事をバリバリとしたい!と
思って子どもを大切に
しきれていなかった自分が、
何よりも我が子が大切、
毎日の当たり前の生活を
もっと慈しんでいきたい!
と、はっきりと思える自分を
発見したのでした。
そして、その生活は、
当たり前の生活がどれほど幸せだったか、
心底感じさせられた体験でもありました。
⑦体も心もカチカチだったなんて、知らなかった!疲れてばかりの自分を卒業 「呼吸法」との出会い
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