制限をかける、ということは自分の眠っている「可能性」を広げることなのかもしれない。
私は、よく外でカフェ作業をする。
カフェで作業する時は車で移動するのだけど、行った後に「あ、これやりたいな!...でも持ってきてないじゃん!」と思ったりするのが嫌だから、とりあえず思ったものはカバンに入れて持っていく、というスタイルになることが多い。
カフェでやる作業を決めず「とりあえず家だと寝ちゃうから外に出る」というのが目的なので、荷物が増えちゃうんだろうな、と思う。
だけど、歩いてお出かけをする時はいつもと違い、持ち歩く量が少なくなるように小さめのリュックを選択する。そして、そのリュックに自分が散策する上で必要なものを「選ぶ」ことができる。
つまり、制限がないよりも、ある程度制限があった方が、その中で自分のやりたいことを遂行させようとするっていうのがある。
例えば、1日予定がない日の朝の身支度には1時間もかかるのに、予定があり、起きた瞬間に「え!あと1時間で出なくては!」となっている時は30分もかからずに身支度ができる。
例えば、ブログ記事のタイトルも35文字〜50文字以内で内容が伝わるようにタイトルを作る、という制約があるからキーワードを選び取れる。
終わらせる期限を決める
持ち運ぶ容量を決める
「制限」と言うものをある意味設ける方が、「何を優先させるべきか」という思考が働いて「選択」がしやすくなるのだなと思う。
そう考えたときに、自分の性格もある意味「制限」になるのかもしれないのかな?と思った。
*
最近、「君と宇宙を歩くため」という漫画を読んだ。(推しのゲーム実況者、うっしーが紹介していた漫画で、説明を聞くと面白そうだったので即ポチ)
その漫画に登場する「宇野」という少年(画像左側)は、すごく不器用な子で、アドリブに対して弱く、苦手なことがとっても多い。だから手帳にびっしりと「こうゆう時はこうする」という行動指針を書き記していて、いかなる時もそれに従うことを自分のルールにしている。
宇野くんはその不器用さから周りからは変人扱いされて、大事なノートを捨てられたり嫌がらせされたりと、友達みたいな人はできなかった。
けど彼は、そんな自分という「制限(キャパ)」を全て認めて受け入れて、そんな自分はどうやったら上手にこの世の中を生きていけるのかを考えて工夫した。
そんな宇野くんのテザーは手帳のこと。
自分のキャパを理解して悲観するわけでも諦めるわけでもなく、どうやったら上手く生きられるのかを考えて工夫して、前を向いている彼のことが、私の目から見ると本当にかっこよく感じた。
いまだに自分のキャパが認めきれていない私は、ある意味「制限」をかけれていないから、あれもこれもと目移りして色々と本当に自分にとって大事なものがまだ選べていないのかもしれないなぁ。なんて思ったり。
選ぶって頭を使う。「選ぶ」とはある意味「捨てる」ということだから。
今までは「制限」と聞くとなんだか窮屈なイメージがあったり、可能性を縛るイメージがあったのはそうゆう自分のイメージもあったのかもしれない。
だけど、ある意味制限をかけるというのは、可能性を広げることでもあるのかなと感じる。
だから、私も私なりのテザーを作ってみようかな、と思った。
可能性を広げるために。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?