【★★★】私はかわいそう
こんにちは。もとかんです。
今日は「私はかわいそう」という話をしようと思います。
心の負担を感じる可能性がありますので、閲覧の際はご自身の体調を考慮してお読みください。
母の死と周囲の目
私が20代の時、母を亡くしました。
母子家庭で育ち、結婚して2年ほどたったころのことでした。
正直なところ、結婚前は母との関係はあまり良くなかったんです。でも、結婚を機に少しずつ改善の兆しが見えて、「やっと普通の親子になれた」と感じていた時期でした。
その矢先母が亡くなり、私は一気に親なしになってしましました。
誰にも言われたことはなかったのですが、当時私は周囲の人から
かわいそう
と思われていると思っていました。
世間一般からすると、私の境遇は少ないことでそうに思われても仕方ないなと思っていました。
また、母が亡くなってから出会う人は私の過去を知りません。
もう母が亡くなっていることを知って、かわいそうと思われるのではないかと悲しい気持ちになることも多かったです。
もちろん母のなくなり方は誰彼構わず伝えられるわけではありません。
そんな心の葛藤を抱えていたように感じます。
母の死後、行政の自死遺族相談を受けていて不定期で心理さんとお話しをしてきました。
心理士さんとの話の中で、
心理士さんも私をかわいそうとおもっているのかな。
と思うことがありました。
心理士さんとは日常の困りごとを中心に話をし、たまに家族の話などしていました。
あるとき、どうにも不安や、悲しみが強く相談したとき
なんで自分がこのような辛いことを経験しなければいけないのか
と泣きながら話したとき
心理士さんが
かわいそう、本当にかわいそう…
と言ってくれました。
心理士さんは程よい距離感でいつも接してくれていて、いい意味で堅く、淡々と、穏やかな口調でかかわってくれる人でした。
かわいそう
と心理士さんが言ったとき、私は
そうか、この人もかわいそうと思ってくれていたんだ。
そうだよね。思うよね。
でもその言葉が聞きたかった。
と思いました。
周囲の人はきっとそうに思っても直接私には言えないと思います。
私も逆の立場なら言えないと思います。
でも、この相談の中で、心理士さんのおかげで私は事実を受け入れることができました。
この出来事は自分の中でもかなり印象的で、同時にありがたかったなと思っています。
私の経験は世の中的に言えば少ない境遇でしょう。
これからもきっとかわいそうと思われることもあるでしょう。
でも、過去の出来事は変えられません。
これは事実なのです。
今でも、母がいないということは仲良くなった人にしか話していません。
お盆や年末年始など、実家に帰るの?
と聞かれるときは「今年は帰らないんです」と誤魔化すこともあります。
誰にでも事実を伝える必要もないと思います。
必要な時に必要なことを伝えればいいと思います。
私はかわいそう
という思いは、完全に消えたわけではないし時折顔を見せていますが、そうかそう思うんだねと感情を眺めながら過ごしています。
今はそれでいいんじゃないかなと思います。