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自分の人生なのだから
「自分の人生なんだから」
いつの日か友人から言われたこの一言を、私はいつになっても、いや、ずっと心の中で唱えてる。
この友人は特に意味をなさずに言ったかもしれない。
でも私は、だいぶ救われてる。
これから先もきっと、救われることだろう。
1.「なんで自分の意見を伝えないの」
私はずっと人の顔色を窺って生活してきた。
俗にいう、「イエスマン」である。
とにかく問題が起こらないようにするためには自分が我慢する。ただ、それだけなのだ。
私のイエスマンは当然生まれてから備わっていたわけではなく、理由がある。
ずっと人間関係を円満に構築していくのが苦手で、自分のせいで仲が悪くなるのを防ぐためである。
でもこんな生活を続けているうちに、自分の中でこれが普通になっていた。
むしろ、自分の意見を頑なに通す人を見ると腹立たしくなってしまうくらい。
このイエスマンに加えて、お人よしにもなってしまった。
自分で言うのもなんだが、正直人からの評価はそれなりに高い。優しい、と評判である。
ただ私も年を重ねていくごとに付き合いの長い友人が多くなってきて、今では親友の一人が私の嘘を見抜くようになったのだ。
「…それ、本当に思ってる?言ってくれないとわかんないよ」
焦った。今までバレてきたことのないこのイエスマンが。
…だが、慌てて否定しても無駄だった。
「ずっと思ってたんだけどさぁ。なんで自分の意見を伝えようと思わないわけ?苦しくないの?」
2.両親との喧嘩
私は厳しい親元で育った。
普通に、グーでもパーでも殴られたことあるし、プラスチックのハンガーでも、針金のハンガーでも、ベルトでも殴られたことあるし、まぁとにかく今の時代はすぐに「虐待」として訴えられるようなことをされて育った。(親は躾のつもりである)
私はいまだに親に抵抗することができない。
なんせ大学生。親のお金で学校に通っている以上、お金の話を持ち出されたらぐぅの音も出ないわけだ。
それに、よく考えると、怒られたときや口論になった時の親の主張は正しかったりする。わざわざそれに抵抗することはない。
これに関して、また親友が私に説教をする。
「いつまで親の言うこと聞いてるつもりなの…少しは自分は家を出ていく準備はできてるってとこ、見せないと。」
確かに、親にまでイエスマンになる必要はないのかと気づかされた言葉であった。
でも…まだ私には親に反抗する勇気はありません。
3.他人と比べる癖
これってみんなにもあるのだろうか。
私は物心ついた時からずっと、他人と自分を比べる癖がある。
比べるというか、他人が羨ましくて仕方ないのだ。
ずっと一番になりたかった。私は先頭に立っていたい人間だった。
けれどこれと言って継続している習い事も、し続けている趣味もない。何をしても中途半端で、毎回一番にはなれない。
悔しいのに、次も、またその次も。誰かに勝ったことがない。
生きている中で何かに秀でている誰かが羨ましくて、でも私にはできなくて。また自分に自信を無くす。こんな人生か…と。
予備校の卒業式。
クラスの担任は、この曲が大好きだった。
「主人公」/さだまさし
(一部抜粋)
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
主人公か…私の人生の中では、私が主人公…
なぜかこのフレーズだけが私の頭の中をぐるぐる回っていた。
音楽好きの私は声を大にして言いたい!!
はぁああああああ!!!!音楽って最高!!!!
4.映画のような人生じゃなくてもいい
「主人公」といっても、
朝起きて元気よくカーテンは開けれないし
思い描いていた青春ラブストーリーはないし
明日も頑張ろうなんて思えないし
悲しくて静かに涙を流す時間は夕日がきれいな時じゃないし
自分の助けになってくれる人はあんまりいないし
全然きれいな人生にはならない。
…けどそれもまた、面白みがあっていいじゃないか。
面白くないのが、面白い。
必死に生きている、その事実を忘れずに生きてほしい。
それだけであなたは人生を全うする素晴らしい人間なのだから。