持病について語ります(ポジティブ)part2
こんにちは。
前回の記事に目を通してくれた方、ありがとうございます。今回の記事は、その前回の続きです。
前回の記事はこちらから→https://note.com/watashigano1/n/n1a3c6a077efc
1.外出の恐怖、学校での自分
パニック障害を発症してから何よりも怖かったもの、それは外に出ることでした。
もう一回死ぬような経験をしたくなかったんです。それも助けてくれる人が誰もいないところで。
急に学校もいけなくなりました。朝も起きれません。憂鬱でした。
でも私の親は本当に厳しく、どんな手段を使ってでも学校に行かせようとしたんです。今考えたら笑い話なんですけど、当時は学校の制服やカバンを外に投げ出されたりして強制登校、みたいな。
もう私居場所ないじゃん、こんな家庭に生まれなければよかったくっそ、と号泣しながら学校に行く日々。親も共働きだったので私の世話は本当に大変だったと思います。
学校に行っても私はこれと言って仲のいい友達はいませんでした。
親友はクラスが遠くてあまり会えませんでした。
そこで、保健室に通うようになったんです。いわゆる「保健室登校」です。
まあそんなことしたらもちろん担任や学年主任は怒るわけで。
「授業も出ないで何がしたいんだ」「病院に行けばいいじゃないか」「とにかく教室に戻りなさい」「スクールカウンセラーと話しできればいいんじゃないのか」
こんなに苦しそうなマアヤちゃんにそんなこと言うなんてひどい(怒)と思ってくれた方いますか?あぁ、ありがとうございます。お駄賃あげちゃう。
でもね、たしかに分かるんですよ。精神疾患なんてまだ世に浸透していない時代でした。病院に行って診断されてるならまだしも、息が苦しくなる、教室に行きたくない。なんて言ったらそりゃあ自分勝手すぎるわがまま問題児ですよね。頭抱えますわ。
唯一保健室の先生は私をすっごくかばってくれてたんです、でも上からのお怒りが来たのか、一回だけ「もう来ないで、教室に行きなさい」って言われたことがあります。その時、あぁ申し訳ないことしたなあって実感しましたね。
なんやかんやしているうちに中学生活は終わりました。
なんとなく内申点が人並みにあったのでちょっと受験界隈では有名な私立高校に推薦で進学できました(一応塾も通い続けたので公立高校前期後期受けましたが普通に頭が足りませんでした)。あ、そうそう。高校受験は別室会場で受けたり、勇気を出して手を挙げてトイレで息を整えたりしたり、保健室受験しました。きつかった。でも無事(?)高校生活の始まりです。
2.通院と診断結果
正直、高校生になってからはあまり発作も出ず、出たとしても講堂のような閉鎖的空間に行ったとき、あとは朝の通勤通学ラッシュの電車に乗った時など。これでも多いほうですが。元気な時は、やっぱあの時のは受験が苦しかったからなんだろうなあーと思っていました。
ここでなぜ、通院することになったのかをお話いたします。
「「「学校の先生に言われたから」」」
とはいっても、紹介された、程度の勧めではないです。診断書もないくせに何回も保健室着て休まないで。何回もこういうことあるんだったら病院行きなさい(行けよオオオオォォォォォ)という感じです。(こう言ってくる保健室のすっごい怖いお局がいらっしゃったんですね…今となっては笑い話にできるほど仲良しですが)
今までずっと自分は「パニック障害」と言ってきましたが、ここまでの話の段階では私は通院していなかったので正確な診断名がもらえていなかったんですね。それも悪いです。行きましょう。
でも近くの心療内科はどこも2~3か月待ち。親と探して、ため息をつくばかりでした。
結局見つかったのは、予約はいらないけど待ち時間長いですよみたいな病院。もうなんか特に覚えていないんですけど、最初にびっくりしたのが「マアヤさん未成年なのでカウンセリング親同伴です」って、えっ、えっ、言いたいことも言えねええええ!診断中後ろに親いるんですよ(笑)(笑)(失笑)
まあ言いたいことはいろいろありますが、診断名は
「広場恐怖を伴うパニック障害」
でした。高校1年生の時でした。「治る病気ですが、少なくとも3年間は付き合っていこうね」と言われました。
!?!?!?!?!?!?!??!?!?!?!!
3年!?!?!?!?!?!?!!?!?!!
いやいや3年もあったら何ができるんだよ。と。まあ絶望というか驚きというか本当に治るん?という疑心暗鬼状態でした。
そして!抗不安薬という神お薬を出され、私の症状は一気に改善していくのです。
3.せっかく治ったと思ったのに
1年間くらい病院に通いました。先ほども書きましたが、待ち時間がない病院、要するに予約をしない病院だったんです。
病院との相性、よくなかったです。行くのをやめました。(カウンセリングで親同伴って言いたいことも言えんわ)
すると、お薬切れますよね。飲むのをやめました。
だって絶大な効果があったんですもん。
電車にも乗れるようになった。前より保健室に行かなくてよくなった。いえーいって感じ。
最っ高な青春ライフを過ごしていたんです!パニック障害を患っていたとは思えないくらいの!息、苦しくない^^
ですがその時は突然に訪れます。
高校3年生の春。いつも通り朝の通学時に電車に乗っていると、何やら先の電車で人身事故が起こったらしく、線路の中間で電車が止まったんです。「運転再開までお待ちください」と聞こえるアナウンス。一瞬、心臓がドキンとしました。もうそれに気づいてしまったら終わりです。
ドアが開いてない、いつ開くのかわからない、いっぱい人がいる、空気がまずい。一緒に通学している友達もいないので助けてくれる人もいません。
パニック障害の再発です。
4.そして、どう向き合ったのか
治療を再開しようと思い、病院に行くのは、大学1年生の時になります。だいぶ時間が離れますね。大学受験、どうしたのお!?と思ったそこのあなた、勘が鋭いですね。
大学受験に関してはまた別に記事にするつもりですが、実は真剣にやっていませんでした。だから何とか乗り越えました。大学もピンキリあるのでね。(笑)もちろんセンター試験は受けに行きましたよ。何回も途中退室しました。
九州の大学に行くことになり、母の実家に暮らすことになりました。家から車で15分くらいの場所にある心療内科に行くことになります。
初診では、身長や体重などを測られて。医師と面談です。初めての発症からそれまでのこと、全部話しました。私が飲んでいた抗不安薬は、とても作用が強い薬の分類だったそうで、「そりゃあ一瞬で症状消えて治ったように感じるかもしれないけど勝手にお薬をやめたらだめだよ」と言われました。
毎晩就寝前に飲む抗不安薬と、発作が出たときに飲む頓服薬を処方され、大学生活を過ごすことになります。
また長々と書いてしまいました!
次の記事でパニック障害に関しては最後にしたいと思います。
毎回終わり方が最高に唐突ですが、また次回お会いいたしましょう。