もがき続けるファッションデザイナー
高校の同級生で、ファッションデザイナーになった友人がいる。
昔から引っ込み思案で照れ屋だったのに、好みはかなり独特で、ガチャガチャの中に「臓器アクセサリー」のシリーズを見つけて大興奮していた。「目玉のピアスが可愛いから欲しい!」と、何ヶ所かガチャ巡りをしていたのを強烈に覚えている。
彼女の父親はファッションの理解が全くなく、残念ながら服飾の学校ではなく一般的な文系大学に進学した(頭は良かった)。
就職で保険会社に入るが、テレアポ業務だったので彼女には退屈だったと思う。
結局その会社でお金を貯めて、改めて服飾の専門学校に入り直した。彼女の熱意や、自力で次のステップに踏み出す姿を見て、こちらも非常に刺激を受けた。
本当に服が好きで、大好きで大好きで仕方ない子だった。心底応援しようと決めた。
そしてお互い30歳になった。
彼女はいま仕事をしていない。恋人もいないので、実家で母と父と愛猫を撫でて暮らしている。情けない、と彼女は漏らしていた。
本当は結婚もしたいし、子どもも欲しいという。でも、彼女はまだ仕事を諦めていない。
彼女は専門卒業後、ニットの製作会社にデザイナーとして就職した。
横浜出身だったが、わざわざ新潟の会社を選んでIターンしている。社内唯一のデザイナーだった。
デザインした服は百貨店などの婦人服売り場で数万円の値が付き、富裕層のミドル層から高齢者が購入するブランドに卸されていたという。
彼女の感性はかなりぶっ飛んでいて、デザインを見せても採用されないことが多かったらしい。
ならばもっとチャレンジしたい。彼女は3年半勤めた会社を退職し、イッセイミヤケのアシスタントとして働いた。
アシスタントと言っても、宅配の荷物の受け取りや書類の整理などで、服のことは一切関われなかった。
ある時、デザイナーの募集が運良く出た。しかもニット部門とのこと。
周りの先輩スタッフからも「いきなよ!」「頑張って応募しなよ!」と背中を押してもらい、二次面接まで進んだ。
最終面接は、不合格。
合格者は1人もいなかった。
誰もブランドに気に入られなかったのだ。
イッセイミヤケともなると、アシスタントでも働きたい人は大勢いる。1年契約の期限が迫るなか、また宅配の判子押しをするモチベーションは無かった。
前から海外でチャレンジしたいと思っていた彼女は、この機会にワーカーホリックで3ヶ月間ドイツに飛んだ。
学びは多かったが期限付きのプロジェクトで、特に今後の就職口に繋がることはなかった。結局クリスマスをドイツで過ごして帰国した。
ただ、ドイツのベルリンはとても気に入ったという。
若いクリエイターが多く、活気があったらしい。
またデザイナーはみんなパリを目指してドイツを離れるので、ベルリンに残っているデザイナーは上昇志向よりも個性や独自性を追求しているクレイジーな人材が豊富だという。
私も彼女も、クレイジーでオルタナティブな人たちは大好きだ。
次の夏には、またドイツに行こうとしているらしい。
ただその前に、彼女が大好きだったロックバンド・Yeah Yeah Yeahsが7月末のフジロックフェスティバル2023で13年ぶりに来日する。
ワーホリの時期を遅らせてフジロックに行くのであれば、私も久しぶりにフジロックでテント生活をするのも悪くないかもしれない。
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