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きやがれ三十路。
自分はどう生きたいんだろうって時々考える。時々だけど、そんなことをずーっと考えて三十路を迎えた。29歳が終わるまでにちゃんとわかるのかなって焦っていたけど、今年が終わろうとして「ちゃんとわかったな」って思っている。
29歳の私にとってビックリするほどのヒントになったのが『うしろめたさの人類学』だ。社会に放たれて「ハイ貴方は自由です」って選択を迫られて、自由を選ぶほどに不自由と不甲斐なさを感じる私にとって、松村さんが言ってる「スキマ」は得体の知れない希望のようだった。だけど、思った。じゃあ一体どう暮らせばいいの?
だから思い切って松村さんに対談をお願いしてみたらあっさりオーケーをくれたので、私は対談相手を3人選んだ。POTTOの山本さんに石川硝子工藝舎の石川さん、それからsakanaの西脇さん、なぜかみんな「表現者」だった。今、振り返って考えてみると「表現」を飄々と生活の一部に組み込んでいるように見えていたからだと思う。きっと私はそれがうらやましいのだ。だから松村さんに彼らの生活をあぶり出してほしかった。
ヒバリ人類学が終わって、なんとなく答えが見えた。答えっていうより「わかった」って感覚の方が近い。暮らしの比重は自分で決めるってことだ。みんな自分に「できる」ことを続けているだけ、ただそれだけみたい。私は色んなことを大げさに考えすぎてたのかも。自分ができることを続けていけば、自然と生活は作れるらしい。
だから私は、後回しにしてたり、隅っこに追いやってたものをもう一度、自分の生活の中心にかき集めてみることにした。そしたら意外とシンプルで、割と削ぎ落とされていて、頭抱えて悩み込むのも馬鹿らしいほどだった。私の世界は私が中心だ。
2018年12月08日
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