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週刊私自身

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サウダーヂなアーカイブ。
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2018年11月の記事一覧

敵わない。

なんていうか、実家の新米が美味しかったのだ。お米ってそれぞれ味が全然違うから、久しぶりに美咲の水を飲んだって感じだった。近頃の私はようやく美咲町から足を洗い、正々堂々と岡山の地を踏んでいる。(要するに住民票を移した。)というのも、住民税、選挙、アンケート、年金、うんたかんたら、あらゆるものが実家に届き、その度に母の携帯からおぼつかないメッセージが届くのが疎ましくて仕方なかったから。とはいえ、そんな事態を引き起こしているのは怠惰でずさんな私であることは間違いなく、アラサーにもな

猪突猛進な生活スタイル。

自転車を漕いでると、冷たい風がコートとニットの隙間にす〜〜っと入ってきて無防備な二の腕を撫でてくるから、おお〜さぶ!ってびっくりして、今日は手袋買おって決めた。 そして本日ようやく恥ずかしいことだと気がついたのでこっそりとカミングアウトするのだけど、去年の私は軍手で寒い冬を乗り切っていた。だっていつも自分の車に転がっていたし(なぜか)、私のルイガノ太郎に(なぜか)つけてたドリンクホルダーにぴったし収納できたし、とにかく寒さをしのげていた。しかし、車を手放し、あらゆる田舎に通

マイネーム問題

話せば長くなるのだが、ついに書くべき時がやってきた。マイネーム問題、正確にはマイ苗字。「鑓屋翔子」と漢字で書けば、まるで80年代のレディース総長。テストの時間、一斉に鉛筆がけたたましく騒ぎ出すと、画数の多い自分の名前を書いてる時間さえ惜しくなる。プレッシャーで焦ってひらがなで書いて、先生に怒られた。 私の苗字をすんなり読める人は一体どれほど存在するのだろうか。そしてさらに正しく書ける人といったら一体。30年近くマイネームと付き合ってきたが、間違えられること数限りなしだし、え

カワイイpart.2。

いきなりだけど、今年一年は自分のカワイイを盛大にアピールし、あざとく生き抜くことをここに誓う。 そんな新年の契りを胸に、この度イメチェンに大成功しましたこと、ワタクシ皆さまにご報告いたしますね。 20代最後の1年にもなれば、自分がどんな風にイメチェンすれば「可愛い」と言われるのかくらい知っているんですよね、実は。「雰囲気が違う〜」とか言われたら「え〜本当ですか?嬉しい〜」なんて謙遜しているけど。だけど、知ってる。その反応が返ってくることくらい想定内よ。私が可愛いって事実を

それは突然やってくる。

「英語を勉強する」 今年の目標のひとつ、というよりもわりと長いこと掲げているけど上達する気配を全く感じさせないもののひとつ、と言った方が正しい。パン屋を始めたフランス人のステファンにロゼッタストーンという英語の学習アプリを勧められ、昔付き合った中国人の彼女はそれでフランス語を三ヶ月で喋れるようになったと聞いた。そこで私も意気込んで始めたものの、習熟度レベルは1のまま今でも止まっている。私にもpower of loveさえあれば…と心の中で言い訳をしながら。 ヒバリにはゲス

ふいないとま。

アンナチュラルを観る日が一番元気の出る日。世の中に引っかかり続けることが私のカンフル剤、だからちょっとだけでも日々を進めたい。後退した気分になる日もあるけれど。 自分の暮らしくらいはワガママに好きに作れるように、自分が果たせる役割をきちっと果たそう。そんな気概を胸に帰路へ着く。 打ちひしがれてる暇はないけれど、ふいな暇にそんなことを思えた私は、さっきまでの未熟な私をちょっとは笑って流せるようになる。 それでまた、残りの人生に立ち向かえるだけの英気を養い、その中で人を愛せ

愛犬花子にみる盲目についての考察。

うちの花子は雑種だ。全長50cm、体重はおよそ15kg、毛色は茶色。母犬は、うちの田んぼの畦道で拾った元捨て犬ヨネである。父犬は野良犬で、発情期のたびにヨネを狙ってどこからともなく湧いては、散歩する私たちの後をつけていた。そして、我が家が油断した一瞬を狙われて、オーマイガ!な感じで誕生してしまった子犬の一匹が花子なので、いわば花子は雑種界のサラブレットである。 一流の雑種であるからして、見知らぬ人にはとにかく吠える。野山を我が物顔で駆け回るけど、ドッグランへ行くと尻尾を落と

まさみになりたい。

大学生になった春にオープンしたなんばパークスへ、山本のおばちゃんと買い物へ行った時のことを今でもはっきり覚えている。自分が長澤まさみに似ていると初めて自覚したからだ。私は、おばちゃんから和歌山弁で「しょうこちゃんさあ、あのセカチューの子と似てるってゆわれへん?」と尋ねられた時、「初めて言われた〜」とまあ実際のところ初めて言われたのだけれど、謙遜しながらも確かな快感を得た。「そうか、私はまさみに似てるのか!」 それからというもの、私の生活にはいつもまさみがいた。バイト先の更衣

距離の作用。

日々の生活を続けていると、だんだんと毎日に予想がつくことが増える。朝起きて、仕事に行って、大体顔を合わせる人は決まっていて、そんな人たちとのリアクションもなんとなく想像がついて、家に帰ってひとりの時間を過ごす。そして大体同じ時間に眠って、また明日を迎えて、私は着々と30歳へと近づいてる。平成も終わるというのに、30歳は重みがあるよと言われてるのに、特に節目めいたものなど感じることなく日々が過ぎる。 そんな毎日に対して、私の行動パターンにも傾向と対策めいたものが登録されている

包丁の思い出。

すっ、と包丁を入れて一枚、また一枚と包丁をスライドさせる速度をはやめていく。均等な厚みに切れていくキュウリを眺めながら、野菜を切るのが随分と上手になったなと我ながら思う。先日、某料理教室にて包丁の使い方を学んだ。先生が言う「押して切る」のフォームは、いつもの自分のフォームだったことを知り、ニヤっとする。私のさらなる自信となったのは言うまでもない。 野菜を切りながら夢中になる時、未だに思い出すことがある。家庭科の授業でやったキュウリの小口切りテストだ。 技術の時間にノコギリ

生活上のずる。

私はねずみを殺せない。ゴキブリとムカデまでは殺せるけれど、触感のリアリティを感じるともうダメだ。それは私のNGゾーンなのである…。自分の胸を圧迫するようなやるせなさに襲われるから。子供の頃に飼っていた鶏を絞める時と同じ感覚。自分の手を汚すリアリティ。 大人になったらお金を払えば、見たくないものは見ないことができるようになったし、役割分担すれば苦手なことは解消する。でも、本当にそれで私は納得しているのだろうか。 私にとって、それはずるなのだ。役割とかではなくて、ずるなのだ。

バランスの問題。

貧乏人ほどエンゲル係数が高いと言われているけれど、正にその通りだなあとつくづく思うわけです。 大した収入もないのに食費にお金を充てると、日々固定費として出ていく経費に圧迫されて通帳残高が「おうおう…」となるし、少し節約しようかとなると、日々の酒代やお茶代を切り詰めていくのが手っ取り早い。 最近の私は「妥協しない」をスローガンに掲げている。何をかというと食事についてで、どうしてかというと、今学んでみたいことがあるから。「妥協しない」に対して私のやる気はみなぎっている。普段は

獣道のイルミネーション。

動く歩道みたいな私たちの社会は、どんな時だって動く速度も方向も簡単に変えることはできない。国だったり地方だったり、もっと小さな地域だったり、それから経済ってやつも存分に作用していて、いつの間にか私たちはそういう大きなものが作り出す流れの中を流されながら歩いている。 ヒバリのトークイベントで文化人類学者の松村さんが言っていた。大雨でいつ帰れるかわからない緊急時にもかかわらず、新幹線の車内では満員の自由席で律儀に立ち続ける乗客たちがいて、キャンセルなど相次いでいるだろう指定席は

ランドスケイプ。

いつもの通り道、私の大好きなサルスベリが咲いていた。あんなに可愛く咲くのにサルスベリって呼ばれるギャップが愛くるしい。照れ隠しするみたいに枝をくねらせてるところがいかにも捻くれ者っぽくてよい。大雨があがった日は朝からセミが大きな声で鳴き始めて、あっという間に夏が来た。 いつもの通り道、京橋の中洲には、真っ黒なサギたちと渡るタイミングを逃してしまったのであろうカモちゃんがいつもいる。等間隔で羽を広げて乾かしていて、それを眺めるのが好きだ。カモちゃんは座ってぼーっとしてたり、川