死ぬんじゃねえぞ、お互いにな!
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※この記事に自殺や殺人を推奨する意図はありません。※
「死にたい」という気持ちについて、皆さんはどこまでご存じですか。
筆者はこの「死にたい」という気持ちと、長い付き合いになる。
今日はそのことについて書いていく。
はじまり
人生で初めて「死にたい」と思ったのは、小学生の頃。
きっかけは些細なものだった。
学年が変わり、クラス替えによってそれまでとても仲良くしていたクラスメイトたちと離れて新しいクラスメイトと毎日を過ごすようになった。
しかし、このクラスにはなかなかなじめず、徐々に嫌がらせのようなものを受けるようになっていった。
当然学校には行きたくなくなってくる、昔に戻りたいと願うようになる。
だがそうも行かない、朝が来ればまた学校に行かなくてはならない。
親に相談も出来ず、学校に行かないという抵抗を取ることも出来ず、ただ目の前の現実を否認しながら歯を食いしばって学校に通い続けた。
ちょうどその時期から勉強も分からなくなり成績も落ち始め、親からは叱責を受ける回数が増える。
家も安心できず、学校にも居場所はない。
当時の小学生の居場所なんて家と学校くらいしかなく、習い事にも友達はおらず、ただ毎日が楽しくない。
そんな中でだんだんと頭をもたげ始める。
「死にたい」という気持ちが。
「殺意」と「希死」
「死にたい」という気持ちはそのうちエスカレートし、「みんな死ね」「私は死ね」「お前ら全員殺して私も死ぬ」「世界滅亡しろ」「人類は滅亡しろ」といったアグレッションの高いものに変わっていく。
実際、本当にクラスメイト全員殺して自分も死ぬことを真剣に考えていた。
だが、その矢先、世間を揺るがした事件が起こる。
自分と同世代もしくはそれ以上の年代の方なら記憶にあると思うが、とある小学校で、小学生の女の子が同級生で友達だった女の子をカッターナイフで殺してしまったという事件だ。
それを知った時、冗談抜きで「他人事じゃない」と思った。
その事件の被害者も加害者も、当時の自分と同じ学年だったことも手伝った。
一歩間違ったら、自分もこの女の子のように大変なことをしでかしていたかもしれない。
人を一人殺してしまっただけで、これだけの人たちが翻弄され悲しむことになるのだ。
殺しは、やめよう。
はっきりとそう思った。
本気で死を考えたこと
殺しはやめよう、と決心したはいいが、それで希死念慮が消えるわけでもない。
誰かが言っていたが、一度「死にたい」と思ったものは二度となかったことには出来ないのだ。
それから小学校を卒業して、中学、高校、大学、波はあれどずーっと希死念慮に翻弄され続けた。
大抵勉強ができないとか落ちこぼれの自分とか未来が見えないとかそういったことで死にたい死にたいとくよくよしながらみっともなく生き続けてきた。
だが、25歳の時、初めて本気で死を考えた。
今まで自分の心を作り、支えてくれていたもの、またこれからも支えてくれそうだったもの、全てが今はもうここにない、二度と戻ってはこない、そういうことに直面化させられ、はっきりと「もうだめだ」と感じた。
今まで死にたい死にたい言いながらもなんとかギリギリのところで踏みとどまって頑張ってきたが、今回ばかりはもうダメだ。
ああ終わった、私の心終わったわ。もうこの先良くなることはない。このまま冷えて固まって乾いてひび割れて静かに消えていくだけだ。
そう思った時、生きる理由を見失った。
このまま生きていても仕方がない。100%何にもならない。
それなら、もうここで死んだ方がいいだろう。そう思ってカッターナイフを手首に当て、いや違うなと思い直し首に当てた。
死ぬなら、一撃必殺。ためらいはなしだ。
だがそうやってナイフを首に当てて、このまま力を込めて引けば血と一緒に全生活史が飛び散って私の人生は終わってそこで救われるんだと思ってもなお「もったいないな」「せっかくここまで生きてきたのに」という思いが邪魔をした。
そうやって一週間、悩み続けた。
そうして一週間たったある日、いつものように日々の活動をしていて、自分の席だけ空調が効きすぎて寒いことがあった。
周囲を見渡しても誰も寒がっていない。隣に座っていた人が心配してくれた。
ふと、甘えの気持ちを冗談めかして口走ってしまった。「こんなに寒いなんて、もしかしたらもうすぐ死ぬのかもしれない」。
すると隣の人はすぐにこう返してくれた。
「死なせない」。
私は、家に帰ってから号泣した。
今まで何度となく死にたい死にたいと口にしてきて、誰が今まで「死なせない」なんて言ってくれたか。
大抵返ってくるのは「死ぬなよ~(笑)」「死んだら寂しいよ~(笑)」「じゃあ死ねよ~(笑)」とかばかりで、誰も私の気持ちを真剣に汲んでくれたことはなかった。
誰も私の命について真剣に考えてくれたことはなかった。
「死なせない」。
私の気持ちを掬い上げ、真剣に受け止めた上で、それでも生きてほしいと、願われているように聞こえた。
あまりにも眩しすぎた。それは長い間捨てられて放置されていた炭鉱に突如差し出された松明のようで、眩しすぎて目がくらみ、折に触れて思い出しては布団で号泣し続けた。
たった5文字の言葉が、恐らく軽い気持ちで放たれたであろうその言葉が、大げさでなく私の心を照らし、命を救った。
この世界の誰か1人でも、私を死なせないと強く望むなら、生きるしかない。
そしていつか、誰かにその灯火を分け与えられるような人になりたいと思った。
希死念慮歴20年
今も「死にたい」気持ちは消えていない。
子どもの時の希死念慮と大人になってからの希死念慮は質が違う。子どもの頃はとにかく目の前の苦痛から逃げ出したい故だったが、大人になってからは未来を見渡すようになり、とにかく未来に希望が見えないことを悲観している。この先も良くなる気配ないし、じゃあ今か直近で死んじゃった方がよくね?なる早で死にたいよね?
そんな気持ちを抱えながら、やはりみっともなく生き続けている。
今20歳や21歳の人たちを見ると、ああ私はこの人たちの生きてきたまるごとの年数、希死念慮と共に生きてきたんだなあと実感する。
何と長い時間、死を思い続けてきたのか。
あの時赤ちゃんだった子たちは、皆大人になってしまった。
それだけの時間を、私は希死念慮と共に過ごしてきてしまった。
だが、同時に思う。
あの時。「みんな殺して自分も死ぬ」と思い詰めていたあの時、何とか我慢して、誰も殺さなかったから。
本気で死を考えた時、死を選ばずに生きてきたから。
私は今、20歳や21歳の人たちと無事対峙できている。
希死念慮と共に歩んだ20年は、とてもつらかった。だけどそれを耐え抜いて、私の目の前に現れた君という「命」は、間違いなく私にとっては祝福であり、希望の光だった。
私の勝手な独りよがりかもしれないけど。
これからも一生希死念慮に縛られて生きていくんだろうけど、とりあえずcobaltを描き切るまでは死にませんよ。あれは遺書ですからね。
私の世代がもろバレしてしまったであろうところで、今回はおしまい。
死にたかねえのはお互い様!!