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私にとって「インスタグラム落単」は、自分を再履修することだった


インスタグラムについて。私は知人や友人、リアルで関わる人をフォローするアカウントは持っていません。2年前にやめました。理由は、めんどくさいから。息が詰まるから。自分が自分の知らないところで、どこまでも地続きになっているみたいだから、大して関わりのない他人の間で。

インスタグラムは現代必修科目、落単なんてありえない。


今、若い世代でインスタグラムを持っていない人なんて、いないんじゃないかと思う。その人がどんな人か、インスタグラムというツールがまるで「履歴書」のような、そういった個人の人となりを示すものの一種に成り代わっている気さえする。

そういう意味で、「顔見知りになったらとりあえずインスタフォローする」というコミュニケーションのあり方は、あまりに自然だった。みんなそれを当たり前のように受け入れているし、かく言う私だって、それを受け入れていた。でも、居心地は悪かった。

何故ならインスタグラムは私にとって、自分の「好き」を集めたメディアだったからです。自分の「好き」を思うままに、自分のやりたいように積み上げて蓄積させたメディアだった。でも「とりあえずインスタフォローする文化」に則ると、必然的にそれが大して仲の良くない人にまで、当たり前のようにどんどん広まっていく。そして、そのアカウント上の自分に対して、勝手なイメージを抱かれたり、とやかく言われたりする。それがほんとに、何なん?と思っていた。

高校生の時、クラスの男子にフォローされたときはガン萎えした。勝手にフォローして、勝手にこちらのアカウントに乗りあがってきたくせに、「なんかインスタグラマーみたいや~ん」とか言ってくるの、マジでうんざり。それでも私は「とりあえずインスタフォローする文化」に抗えるほどの勇気も持てず、周囲にいい顔をしながら、多くの他人のプライベートを常に自分のテリトリーへ取り込んでいった。それが、小さなストレスとして日々積み重なった。

それでも、簡単にはやめられなかった。インスタグラムは、私の「好き」が蓄積された、言い換えれば一種のアイデンティティでもあったから。それに私は、他人と親しくそれなりに話せるくせに、初対面の人とも物おじせず喋れるくせに、友達と思えるような人がいないことがコンプレックスだった。だから、やめられなかったのだ。インスタグラム上に存在する私を、簡単に消してしまいたくなかった。自分という存在、フォローという関係で結びつく他者との関係性を、馬鹿みたいに浅はかなのに、切りたくなかったんだ。

でも、意外となくても大丈夫らしい。それに気が付いたのは、アカウントを消してからものの数秒後でした。

私にとって「インスタ落単」は、自分を再履修することだった

削除したきっかけはあまり覚えていないのです。その理由は大したものじゃなくて、ふとした何かに憤り、不満がふいに限界に達し、深夜に軽い気持ちで「あー、消そうかな」みたいな感じで、アカウントを消してしまいました(いきなり軽くてごめんなさい、でも本当にそのくらいの軽さだったのです)

インスタグラムを消した瞬間、私はとてもすがすがしかった。決してインスタをフォローしたり、されたりしていた人たちのことが、嫌いだったわけではないのです。でも、それでも、とてもすがすがしかった。

SNS時代に逆流する自分が面白かった、というのも、きっとあります。でもそれ以上に、みんなが思う「私」という人間、その呪縛から解き放たれて、オンライン上でいつでもアクセスできる「私」が消えたことが、嬉しかった。生身の私だけがようやく生き始める、そんな気がして、嬉しかった。当たり障りのない言葉になるけれど、でも本当に、自分が自分でいられるような、この世界に地に足をつけて、あー、ちゃんと「私」が、生きているんだな、なんて、そんなふうに思えた瞬間でした。

好きなものを載せるメディアとして始めたインスタグラムが、いつの間にか他人の行状の波に溺れる手段になっていた。途中で風向きが変わり、自分の心が変わり、疲弊し、それをやり続けることは私にとって、何らかの我慢を自らに課すこととなっていた。

そんな隠れ我慢をやめてから、SNSなんかなくたって全然平気じゃん、と気づけたのが心底嬉しかった。本当に大切にしたい人だけに集中できるようになったし、自分の好きなものを、他人にとやかく言われることなく、自分のペースで好きでいられるようになった。私はそれが一番嬉しくて、そして、そんな自分が私は一番好きだと思う。

他人の目線を断ち切った今、私はずっと、行方不明の人でいたい、と願う。今どこにいるのか、何してんのか、それがわからない人でいたい。常に旧友と Keep in Touch したいなんてお世辞でも思えず、たまに会うくらいでちょうどいい、と思っている。そういえばあいつ何してんだっけ?って、ふいに聞いてみたら訳わかんないところで畑やってますみたいな、そういう奴でいたい。常にネットに自分の行状をさらすのも、他人の行状の波に溺れるのも、全然したくない、だって窒息で死ぬんだもん。

だから、ずっとずっと行方不明の人でいよう。基本は忘れ去られてて、でも、会ったら変わんなくて楽しいねって笑って酔っぱらえるような、自分を今まで構成してくれた人たちにとって、私はそういう存在でありたい。

#我慢に代わる私の選択肢

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