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あれから8年

津久井やまゆり園での殺傷事件から8年経った。
事件を知ったときの衝撃はいまでも忘れることはない。

「能力主義」「生産性」「できるか/できないか」(事件の場合は“喋れるか/喋れないか”)に徹底的にこだわった植松死刑囚の殺人の基準は、決して他人事ではなく、日常のあらゆる思考に深く根付いている。

「できるか/できないか」という基準は、スポーツでも、アートでも、なんでも「障害者なのにすごい」という感動ポルノ的な捉え方や、
「障害者だからすごい」という超人的な捉え方を生み、
それらは結局、どこまでいっても能力主義の範疇で人の価値を測り合う世界から抜け出せない。

その人がありのままに存在することを全力で肯定すること。
大切だと思いながら、すごく難しい。
肯定したいけど、揺り戻される自分がいる。
相手を評価しないといけない自分がいるし、自分も人から常に評価されてしまう。

こうして測り合う私たちは、あくまでそれぞれの私の中の「ごく一部の私」であり、そのことをしつこいくらいに点検して、「別のその人」にも出会おうとするように心がけたい。無邪気に「ありのまま」も信じずに、多様で訳のわからないその人の「そのいろいろあり得さ」を肯定したいし、自分もそう捉えてもらえたら生きやすいと思う。

世界が詰まるところ「できるか/できないか」だけに囚われる状況がずっとずっと続いてしまうなら、必ずや同じような事件が起きてしまうだろう。

このたったひとつしかない世界に棲みながらも、パラレルにまなざし合い、パラレルに生き存える術を身につけるためにできることを、仲間たちと探りたい。

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