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和田合戦_01 千葉純胤の時空移動

千葉成胤が千葉純胤と会ったのはもう何年も前になる。その後は何度妙見様の前で願いを唱えてみるも現れない。

純胤が最期に言い残した言葉が成胤の脳裏には残っている。

「鎌倉で『合戦』が繰り広げられるのです」

成胤の中ではまたも鎌倉が荒れるのではと患うも一向に争乱が起こる気配はない。

この幾年か鎌倉は安定していた。

実朝様も年々成長し、征夷大将軍として相応しい差配ぶりである。

支える執権の北条義時殿も父上である北条時政殿の様な高姿勢な事はせず無難に施政を進めている。

北条家へ挑めれる様な他家もなく、辛うじて競れる三浦家も政子様と三浦家当主である三浦義村殿の信頼が強く、むしろ北条家を支持している節が見受けられる。

波風ない鎌倉の政情より、成胤としては頭が重い事があった。上総千葉家を束ねている弟、千葉常秀のことである。

成胤が千葉嫡家として下総を束ねるも、常秀の方が上総という豊穣な地を授かり、官位も高いときた。

更に先年の畠山騒動ではあろうことか分家の大須賀家らを従え、千葉家として参陣していた。

これではどちらが千葉嫡家かわからない。

成胤はどうにかせねばと少しばかり焦っていた。

そんな折に分家の東家の当主、東重胤より内密の話が知らされる。

どうも三浦家の重鎮である和田義盛殿が国司を所望しているという。それも最期の願いとしての力の入れようとのこと。

和田義盛殿は三浦家の分家とは云え、先の治承・寿永の乱で活躍した宿老の中ではいまも生きている最期の方である。

地域の実支配の多くは御家人が担っている世とはいえ、長である各国の国司に御家人はなれない。ほぼ朝廷の殿上人が就任している。

例外として源氏一門の幾人かと、北条義時殿が相模守に任じられているだけであった。

和田義盛殿が願っている国司。それは上総介であった。相模守より格が上の国司である。

成胤は不穏な兆しを覚えた。

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