和田合戦_03 千葉純胤の時空移動
千葉一族の館に一人、訪ねてくるものがいた。
安念法師という。千葉成胤に内密の話があるとのこと。
成胤は胡散らしい話とは思いつつも、泉親衡の郎党と名乗られた以上、無碍にできない。
泉親衡は信濃源氏の流れを汲む御家人である。
成胤は奥座敷で安念法師の二人きりで会った。
安念法師が云うには、泉親衡が源頼家の遺児である千寿丸を擁立し、北条家を誅殺するとのこと。
是非とも挙兵へ千葉家も賛同してほしいとのことだった。
泉親衡の理屈としては、これ以上源家の外戚でしかない北条家が牛耳る世を源氏の一派として許容できないということらしい。
成胤はあまりにも唐突で粗雑の話に躊躇なく安念法師を捕縛した。
成胤は捕縛後どうするか思案したが、素直に北条義時の元へ連行することに決めた。
安念法師の自白により今回の企ては御家人を多数含む総勢二百名も加担してることが発覚した。
その中には和田義盛の子である和田義直と和田義重、甥の和田胤長がいた。
彼らは真っ先に捕縛された。
和田義盛は即座に源実朝へ和田義直と和田義重の赦免を願い出て許された。
翌日、和田義盛は一族百名近くを引き連れ、和田胤長の赦免を願い出た。
しかし和田胤長は首謀者の一人として罪も重く、流石の実朝も赦免の決は出せなかった。
和田胤長は配流、屋敷は没収されることと決まった。
しかも配流先へ向かうに、両手を後ろ手にして頭を前に突き出してさらすという恥辱の様で歩かされることとなった。
これは和田胤長だけでなく、和田一族全てに対しての侮辱と和田義盛は捉え、和田一族はこの日より鎌倉への出仕をやめた。