畠山重忠〈転生記外伝〉
かって畠山氏は武蔵を拠点としていた。
源頼朝が挙兵した折、当主の畠山重能は京での務めに就いていた。
いまこの地で畠山氏の進退を決めるのは嫡男の畠山重忠であった。
畠山重忠は源頼朝と闘うことを決意し、石橋山へと馳せ参じた。
畠山重忠は隠居とはいえ三浦家のかつて当主である三浦義明を討ち取る活躍を遂げた。
源頼朝の挙兵は鎮圧されるかと思いきや、わずかな手勢で安房まで海路で落ちのび、上総広常や千葉常胤など上総下総の勢力を一挙に源頼朝軍として束ねるまでになった。
源頼朝軍が数万と膨れ上がり武蔵まで迫ってきた。
闘うか…臣従するか...
畠山重忠は河越重頼・江戸重長と談義し、頼朝に帰伏することを選んだ。
頼朝は大いに武蔵勢の帰順を喜んでいた。
しかし三浦一党はそうはいかない。
三浦義明を殺された恨みは頼朝が迎えたからといってすんなり受け入れれるものではない。
初めて頼朝の面前で三浦一党と対面した折は、皆睨んできた。
特に和田義盛という若武者の眼は尋常ではなかった。
それから数日かけて頼朝は滾々と三浦一党に武蔵勢が加わることの大事さを説き明かしたようだ。
ある日、三浦一党の当主である三浦義澄の方から「畠山殿!」と笑顔で我らの邸を訊ねてきた。
以降、畠山氏も三浦一党も頼朝様の元で一丸となり闘いに明け暮れ、遂には平家は滅んでいった。
あれから二十年弱の歳月を経た。
頼朝様から頼家様へ更に実朝様と世も移り、その間に謀略に巻き込まれ一命を取り留めたことなど災難は続いたりするも生き延びてきた。
気づけば晩年を迎える歳となっていた。
そんな折に嫡男の重保と平賀朝雅と酒席でいざこざを起こした。
それが何故か膨らみに膨らみ、謀反として扱われ、遂に実朝様は我らに討伐を命じたようだ。
討伐令を畠山重忠が知った時には既に重保はこの世になく、周りには数十の手勢しかいなかった。
対して北条時房・和田義盛を大将として、有力御家人達が大軍で迫ってきていた。
この場は退くことを進言した部下はいたが、畠山重忠の心は決まっていた。
ー潔く闘うが武士の本懐-
畠山重忠は迎え撃つという人生最期の決断を下した。