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2020.03.19 権威と理性

 接客していると心ない愚痴や文句を言われることもある。こっちの落ち度はほとんどないのでクレームでもない。無茶苦茶な要求に対して文句を言われることもあるし、そっちの理解不足で文句を言われる。自分の非を認めずに、その不満をこっちにぶつけられる訳だ。自分は寛容な人間なので、非寛容な人間に出会うと悲しくなってしまう。

 今、読んでいるピュアリの『思想の自由の歴史』の序盤を読み進めているが、そこでも寛容が取り上げられている。ローマ時代の最初は、信仰に関して寛容であった。つまり個人の信仰に関して自由があった。しかし、東方からキリスト教がやってきた。信仰者が増え、帝国として信仰が認められると、異端を認めず弾圧するようになる。これが拷問など非人道的な刑の起源とされている。

 この時代から、有無を言わさず非論理的な教理が権威となり、理性が影を潜める時代が千年続くことになった。

 当人とって非論理的なこと(実際は論理的)は、権威という脅威となり、非寛容を引き起こし、こっちに攻撃を仕掛けてくる。こっちの寛容側が講じる手段は、説得か自己反省。だからこうして、私は省みているのだ。納得。

 ちょっとしたイライラもちょっと晴れたかも。

以上


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