人生は螺旋になって続いていく
信じられないくらい貧乏で、時間を持て余していた二十歳のころ。
僕は月に2回ほど、夜10時を回ったくらいに下北沢のバーに一人で通っていた。飲んでいたのはいつも、安くて薬草の香りがするズブロッカのソーダ割だった。
そのころの下北沢は僕にとって文化の中心であり、根源だった。
夜は飲み屋になる古着屋も、アジアンテイストの雑貨屋も、朝まで居られるタバコ臭いビリヤード場も、ちょっと斜視の女性店員が作ってくれるクレープも、怪し気な店が何軒も連なっていた本多劇場も。
全てのモノが確かな意味を持っている様に見えて、僕に新しい感情を与えてくれた。
どんどん自分の世界が輝いて行く感覚。
「誰にでもなれる、何でもやれる」という根拠の無い確信。
そんなことをこの本を読んでふと思い出した。
特に心が動いたテキストをピックアップする。
たとえハリボテの夢だったとしても、人間は背中のリュックに何か入っていないと前に足が進まないようにできているのだ。
自分がすみかにしている場所以外に、別の顔をして別の自分を演じられる居場所を持つことが人生にはひつようなんだ。
人は「今より悪くなる事」と同じくらい、「今より良くなる事」に対して恐怖心を抱く生き物なんじゃないかと思う。
恋愛とは、から騒ぎだ。つまり中心には何もない。どんなにお手軽な恋愛だろうが、どんなに運命的な恋愛だろうが、それは、すべてから騒ぎだ。
本当のさよならの時、人はさよならとは言わない。
そこにはただ、どこにもつながっていない、おしまいがあるだけだ。
誰かが自分の夢を語る言葉を、最近久しく聞いていなかった気がする。
忘れていた感覚。
あのころは、取るにならないモノほど大きな意味を持っていた。ユニークであることが大切だった。人生の根源的な意味などには目もくれず、ただ新しい感覚を積み重ねていくこと、世界が広くなっていくことがこの上なく楽しかった。
そういう人間だった時期が確かにある。
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多分転機は、哲学科に進学したときと、その後働き始めたとき。
Whyを常に問い続ける。
目標から逆算する。
やるべきことをやる。
世界には何らかの意味や目的があって、それをつかみ取るために生きる合目的な時間の使い方。
ロジカルにモノを考える習慣。
メリットデメリットの洗い出し。
優先順位付け。
最短距離で目的を達成するプロセス。
自分はなぜこれをやるのかを常に意識する生活。
自分が正しいと思うことを周囲に求める潔癖さ。
今振り返ってみると、そこではいろんなものを手に入れた。これらのスキルは、明らかに僕の時間とコミュニティを豊かにしてくれた。
でもこの本を読んで、その中で忘れてしまったこと、失ってしまったことがあるんだと気づいた。
人生もラクロスの成長と同じように、一直線の階段ではなく、なんども繰り返す螺旋なんだと思う。
あるものに価値を感じて注力しているといつか成長は停滞するけど、ちょっと視点を引いてみると新しい課題や価値が見えてくる。そこで、注力したがゆえに固執したくなる気持ちをぐっと抑えて、全く違った価値を正しいと信じてやってみる。その繰り返しが、人生を豊かにする。
多分、僕は人生の螺旋の2周目に入った。
感覚の世界に生きたあと、合目的であることが何より大切だと信じて進み、そして今また感覚に従って生きることを大切にしようと考え始めている。
でも、僕が20歳の時に感じていたものとは違うものなんだと思う。
ロジックは重要だけど、それはどこまで行っても「手段」であって、その先に意味はない。意味は、感覚の中に宿る。
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正直に言うと、僕は今までやりたい放題好きなことだけやってきたという自覚があった。その点には変な自信があった。
でも今は、まだまだその先があることを知ってしまった。
人間は、つくづく何かに集中すると途端に視野が狭くなる生き物だ。頑張れば頑張るほど囚われていく。
それが間違っているということではない。
人間のそういう性質を正しく理解して定期的に疑い、折に触れて自分の感情に真っ直ぐ向き合うことが大事なんだろう。
その時、「人生を豊かにするためには、自分の感覚を大事にするべきだ」という思考は、すでに感覚を大事にしていない。
ロジックと感情を独立してフラットに取り扱い、その対話を億劫がらずとことんつき詰めてみることが大事。
そんな、人生の2週目に突入しよう。
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