【アニメ感想】名探偵コナン 第1057話「わるいやつら」
紺色ベストに蝶ネクタイで、前回よりも正装に近いコナンくん! そして、“とある理由”から靴がいつもと違います。
そしてなんと、今回の脚本は浦沢義雄御大! ……驚きの登板率だ! 登場キャラはコナン、元太、光彦、歩美、高木刑事。ゲスト声優は中友子さん、河原木志穂さん、三瓶雄樹さん、高野憲太朗さん、鈴木千尋さん、富樫美鈴さん。
今回、コナン推しオタクのキモさ全開です。
▼今回の犯人とゲスト声優について
今回もまたお金持ちの家の話! アニオリだと3話連続じゃないですか! 米花町って白金とかなんか? 恐るべし。
「婿殿」こと平沢良二は、妻・香と姑・聖子に「召使いのようにこき使われて」いる。そのためなのか、探偵団らにも「すみません、すみません」と低姿勢を見せる。
……かと思えば、事件の真相を知ったコナンを執拗に追いかけたり、屋上から落とそうとするなど、狂気的な面を発動。探偵団への低姿勢は素であるはずなので、「元々二面性を持っていた」のか、「犯罪をきっかけに何かがぱちんと弾けてしまった」のか……。
婿殿を演じた鈴木千尋さんは、もはや常連! 前回の『愛しすぎた男』(1013話)も、『高木刑事、手錠で逃走』(791話)でも「豹変系」の犯人を演じていた。すっかり型にはまってる感じ。
肩書「美女」(笑)の長谷川絹江 役は富樫美鈴さん! コナンは初出演。富樫さんといえば『未来日記』の天野雪輝! 見てたなぁ~。久しぶりにお声聞いた!
▼松本清張『わるいやつら』と「わるいやつら」
今回の「わるいやつら」のタイトルは、松本清張が1960年~61年に発表した同名小説『わるいやつら』が由来になっている……、のかも!
と思って読んでみました。上下巻あったのでだいぶ読み応えはあったけど、なんとか読破!
さて、結論から言うと、内容のリンクとしては希薄。強いてあげるとしたら、「財産目当ての犯罪」「病院での密かな犯行」ぐらいだった。あまりにも共通点が無さすぎるので、単にタイトルを拝借しただけっぽい。
ただ面白いことに、両作品の主人公の性質は「正反対」のようで、「共通」する点もある。
まず松本清張『わるいやつら』から。(ガッツリネタバレなので未読の方は注意!)
この作品の裏テーマは、「物質主義・ハードボイルドからの脱皮」ではないかと感じた。
物語は大病院の院長・戸谷信一の一人称視点で綴られている。彼は大変な好色家だが、といっても関係を持っている女性の財産が目当てで、彼女たちを籠絡して金を巻き上げていた。また、骨董蒐集を趣味としている。
戸谷は金を求めるあまり、幾多の殺人を犯してしまう。それも淡々と冷酷に。そして籠絡した女性たちをうまく利用し、犯罪に加担させたり、金を巻き上げたりしていた。ここまでは「物質のスペックにこだわる(女から巻き上げる金・骨董品)」、「女性の客体化」といったハードボイルド的要素のある物語だが……。
物語の結末はこうだった。戸谷は籠絡していたと思っていた女性たちに、悉く裏切られていたのだ。さらに、骨董品もみな偽物だということが判明し、彼の自信は崩れ落ちる。そして犯罪が露見した彼は警察に逮捕される。戸谷は、「物質」と「女性」からしっぺ返しを喰らい、凋落した。
そう。『わるいやつら』は最終的に、ハードボイルドの反転で幕を閉じるのだ。
いっぽう、今回のコナンアニオリ回「わるいやつら」の「犯人役」である「婿殿」は、妻と姑の尻に敷かれる情けない男だ。小学生相手にも腰が低いし、つまづいて買い物袋をぶちまけてしまうし。ハードボイルドとは程遠い。
しかし、「財産目当てで犯行に及ぶ」という、戸谷の「物質主義」的な要素だけが生き残っている。戸谷が女性を客体化していたのも、根源にあるのは金のため。そういう意味では、戸谷も婿殿も同じ穴の狢かもしれない。
(参考……「ハードボイルド」「フェミニズム」(Wikipediaより))
▼浦沢義雄氏とコナン
冒頭でも書いたように、浦沢義雄氏の登板率には驚きだ。
『東京婆ールズコレクション』(943話)に始まり、今回で7回目の担当。その脚本のカオスっぷりから賛否両論だが、実は回を重ねるごとに、浦沢氏がコナンワールドにチューニングを合わせていると思う。
『スマイルの里の陰謀』(997話)あたりまでは、「キャラクター崩壊」と「不条理なストーリー」が全開で、いかにも「浦沢節」だった。
それが、『笑顔を消したアイドル』(1010話)ぐらいから、キャラクターの動きがなだらかになっていて、ストーリーの不条理さも薄らいでいる気がする。「ミステリーをやろう」という意思を(勝手に)感じた。
そして今回。
相変わらずツッコミどころは満載だが、確実に「名探偵コナン」としてブラッシュアップが成されていることに感動した。
変声機を使って告白させちゃうのはさすがに身も蓋もなさすぎる気がするけど、コナンは「探偵としてのフェアさ」よりも「正義の遂行」をモットーとする作品だからギリ許せる……の、か……? う~ん。
何はともあれ、コナクラにとって「ある意味で」目を離せない存在、浦沢義雄氏の次回作が楽しみになりました。
▼江戸川コナンを助けるのは誰か(1)――命の優先度
前述したように、江戸川コナンという「探偵」は、「探偵のフェアさ」よりも「正義の遂行」を優先する。
初期の新一=コナンは「事件を解決するワクワク感」や「推理を披露する時に目立つこと」を好んでいたきらいがある。
それが、いつからか(個人的に決定的なボーダーラインになったのは「月影島」だと思っている)、「正義の遂行」「人命絶対救助」のヒロイックさが全面に押し出されるようになった(特に劇場版)。
コナンの魅力といえば、まさしくこの「ヒロイックさ(ヒーロー性)」。
人がたくさん死ぬ作品だからこそ、その主人公であるコナンは人の命の尊さを誰よりも知っている。そしてその「人の命」には、紛れもなく「コナン自身の命」も含まれている。たとえ憎むべき犯罪者だろうが、すべからく人命は平等に尊い、ということの表れだ。
ただし、上の画像にあるように、コナンは「自分の命」と「他人の命」の二者択一があった場合に迷わず後者を優先する。
それが、コナンのヒーロー性を高めていると思う。だからこそコナンはカッコイイのだ。
▼江戸川コナンを助けるのは誰か(2)――『緋色の弾丸』の絶望感
いやなんで浦沢脚本回の感想が『緋色の弾丸』の話になるのよ!
と思うかもしれないが、コナン推しクソ重オタクの話を聞いて欲しい。
もはやコナンは「探偵」よりも「正義のヒーロー」に昇華したキャラクターだ。
「探偵」ならば相棒がいるが、「ヒーロー」には孤独はつきもの。
というのも、コナンのヒーロー性が高すぎるが故に、コナンを助けてくれるキャラがほぼいないのだ。
劇場版作品の初期~中期は、コナンが蘭をはじめとする多くの人を助けるのが魅力的な「ヒーロー映画」だといえる。
しかし、『沈黙の15分』ではコナンがピンチに陥る。『天空の難破船』でも、赤いシャムネコに飛行船から落とされる。これらのシーン(結果的に蘭やキッドらに助けられるのだが)、コナン推しとしてはどちらも絶望感がハンパない。
そして、絶望感パない極めつけが、『緋色の弾丸』だ。
ほんっとにさ~~~~、『緋色の弾丸』、まともに見るとクライマックスの絶望感でどっと疲れるんすよね……。
リニアが無残な姿になり、狼狽しながらも、必死でモニターからコナンたちを探す蘭・灰原・モブたち。もう、この時のこの人たちの気持ちがまんま視聴者の僕らですよね……。マジで胸が締め付けられる。この時、モブの中に僕居たわ。ってぐらいの臨場感と緊張感。心臓がひゅっと下がる感じ。
これまでは、蘭はじめ誰かがピンチになったら、「コナンくんが助けてくれる」という安心感があった。
じゃあ、コナンくんがピンチになったら、誰が助けてくれるのか……?
『緋色の弾丸』の絶望感は、その不安感に依拠するものだろう。
▼江戸川コナンを助けるのは誰か(3)――傷だらけの手を労わる
やっと「わるいやつら」の話に戻ります!
……多分、今回の話を見た人全員が抱いたであろう感想だが……、
ED後のCパートが良すぎる!!!!!……って思いませんでした???
ヒーロー性が高すぎるが故、孤高の存在なってしまったコナン。
コナンが生命の危機に瀕した時、助ける為には、コナンのスペックを上回る必要がある。コナンに無い「蘭の腕っぷし」、コナンに無い「キッドの飛行能力」、コナンに無い「赤井の狙撃技術」、コナンに無い「萩原千速のバイクテク」……。
しかし、今回は彼らは登場せず、頼れるのは探偵団と高木刑事のみ。さて、どうする!?
……なので、結局コナンは「自分で自分を助ける」ことになってしまうわけです。
持ち前の「人命絶対救助」の信念でもって、自分の命を救助することに全身全霊をかけ、屋上から落とされても咄嗟にシーツをパラシュートにして、何が何でも自分の命を救おうと藻掻く。(足にどうやって結んだん?)
目を潤ませて「……そっか……、俺助かったんだ……」のセリフ、涙を流さないコナンが、これほどまでに感極まった。諦めかけていた。それほどまでに今回はピンチで、そして「命がある」ことに対する感謝・尊さを嚙みしめている。
結果的に助かったのは消防隊のお陰だが、その手は傷だらけ。コナンは自分の手を見て「頑張ったなぁ俺の手、ほんと大変だったな」と自らを労わる。
このシーンの何が良いって、コナンが自分自身を労わるのが貴重だからだ。今まで、コナンが自らの頑張りを振り返るシーンやセリフってなかったような気がする。(だからこそコナンの「最強ヒーロー性」が保たれていた訳だが)
本当に彼のセリフどおりで、本当に本当に本当に頑張ったよアンタ。コナンが「生きよう」と頑張らなければ、恐らくマットは間に合わなかった。頑張ってくれて、生きててくれてありがとうだよ。
▼江戸川コナンを助けるのは誰か(4)――「ホワイトアウト」と探偵団
今回、「コナンは自分自身を助けた」と書いたが、もちろんそれだけではなく、高木刑事・消防隊と探偵団の協力があったから助かった。
探偵団のピンチと絶望感のハンパなさだと、直近で思い出されるのは「ホワイトアウト(前・後編)」(1036、1037話)ではないだろうか。
(ちなみに、「ホワイトアウト」脚本の大和屋暁氏と今回の浦沢義雄氏は師弟関係だ)
この回では、犯人から逃れる内に雪山で遭難し、猛吹雪のせいで探偵団が散り散りになってしまう。コナンは「俺1人ならなんとかなるだろうが、あいつらは……!」と探偵団を心配する。しかし当のコナンも眼鏡をなくし、足を痛めて絶体絶命と思われたが……。
なんとこの窮地の解決方法は「コナンがとにかく頑張って助ける」という、非常にゴリ押しコナンの負担が大きいもの。
探偵団は、最後にぶっ倒れたコナンをベッドまで運んだだけ。博士の「吹雪の中、よく頑張ったのぉ」のセリフだけでは、コナンの頑張りが報われない気がしていたが……。
その前提で「わるいやつら」を見ると、今回はまるで「ホワイトアウト」のアンサー回であるような気もしてくる。
「生きよう」という自分自身の頑張りと、探偵団の頑張りで助かったコナン。そんな彼に「コナンくん。屋上から落ちるの、どんな気分でした?」と聞けちゃう探偵団のフラットさ。コナンと同じようにマットに寝っ転がる探偵団の3人。
コナンが自分自身を生きさせようとしたのと同じくらいに、探偵団もコナンを生きさせようとしていた。
蘭やキッドや赤井や千速のように「コナンに無いものを補う」のではなく、あくまでも「コナンと同じ目線」でコナンを案じ、助ける。これが探偵団の、仲間としての無二な存在理由なんだろうな、と改めて思った。
あ~~~~~、『天国へのカウントダウン』見返したくなったぁーーーーーー!!!!!
▼まとめ
今回、完っ全に浦沢義雄氏にやられました。正直、ナメてました。本当にすみませんでした。
ただ、本当にコナンが死にかける回は心臓に悪い! このnote書くために何回も再生してたけど、も~~~~辛いよぉ~~~~。とにかく生きててくれて良かったけど……。心臓キュッてなるよ~~~。う~~~~。
……気を取り直して、次回もアニオリ。正直興奮すごくて次回予告ちゃんと見れてませんでした。またも目暮・高木・千葉の「コナン界のトリオ・ザ・捜一」。小五郎は出るのかしら? ……そして蘭ねーちゃんは?
♪ cali≠gari / 「わるいやつら」
https://www.youtube.com/watch?v=0V0nzHJasPs
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