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秋は私を見捨てていなかった、という話。【虎吉の交流部屋プチ企画】

お題:「最近ちょっとうれしかったこと」
こちらのプチ企画(9/12~9/23)に参加させて頂いています。


私は、夏が嫌いだ。
というか、暑いのがメタメタのギッタンギッタンに苦手だ。

気温が25℃を越えると、自分でハッキリと分かるほど脳味噌CPUのパフォーマンスが落ちていくし、28℃を越えると頭痛や倦怠感でボーっとし始めるし、30℃を越えるとイライラのあまり何もかも手につかなくなってしまう。機嫌が良い悪いの世界ではなく、本当にPCの前に座っていることも出来なくなってしまうのだ。
なので普段は28℃あたりでエアコンのスイッチを入れるのだが、寝起きだったりしてボサっとしていると、うっかりそれも忘れて「うわぁぁぁぁもうダメだぁぁ……」とゾンビのようになってから「今って気温何度……?あー30℃あるのか、そりゃ無理だわ……」となったりしている。

出来れば気温は常に24℃以下であって欲しい。欲を言えば18℃ぐらいの、長袖長ズボンで心地よくいられる状態が望ましい。最高気温が37℃なんて日が続く夏は、もう私の生息可能な範囲を逸脱しているのだ。

そんな私にとって、秋は喜びの季節である。

日に日に角度が付いていく日差し、訪れが早くなる夕暮れ。「9月」というフレーズだけでもう希望を感じられる。例え最高気温が変わらず30℃を越えていても、最低気温が25℃より下がらなくても――

……って、34℃!?

と、数週間前――9月に入って数日たった頃、私は週間天気予報を見て戦慄した。33℃、34℃、35℃といった、8月と寸分たがわぬ予想最高気温が、見渡す限りずらっと並んでいるのである。

いや、一応は知っていたはずだった。今年は残暑が厳しいと、夏が始まるよりも前から聞かされてゲンナリした記憶はある。
だが、その時の私はどこか無邪気に信じていたのだ。8月さえ終われば勝ったも同然だと。暑いとは言え所詮は9月だ、夏の残りカスのような微々たる暑さが、ちょっと未練がましくぶら下がって来るだけだろうと。

私は残暑を舐めていた。
令和の天気予報は、迫り来る無慈悲な未来を正確に予知していたのだ、と気付いた時にはもう遅かった。

スーパーの棚は、おさつスナックやチョコパイの和栗ケーキや、肉まん・あんまんや、おでんの特設コーナーまで作って、秋・冬の味覚を全力推しし始めているのに。
ユニクロにもGUにも、暑苦しいカラーリングの長袖の服が所狭しと並べられているのに。
100均に至ってはもうハロウィンの、オレンジのカボチャのアレ一色に染まっているというのに。

暑い!!!
何これ暑い!!!マジ勘弁して、エアコンないと死ぬーーーー!!!!

夏の真っ盛りと比較しても1ミリたりとも和らいでいない暑さ。
なんなら太陽が傾いたせいで、いつも居るリビングに差し込む日光の量が増えて、私の体感上は8月よりさらに暑いなんて事態にまでなっている。エアコンをかけるだけでなく、カーテンまで閉めなければ部屋の気温が下がらないのだ。

9月なのに。
9月なのに。
もう完全に夏は終わって、秋になっているはずなのに!!

これは呪いか。それとも罰か。

私の推しゲーム:Nier:Automata

せめてもの慰めにと買ってきた、毎年欠かさずこれだけは食べているおさつスナックをペリペリと齧りながら、私は絶望に打ちひしがれた。
9月の半ばに至ってもこんな日々が続くなら、もしかしたら10月まで、ずっとこんな風かもしれない。
私の愛する秋は、私を見捨ててどこかへ去ってしまったのだ。
こんな唐突な別れがあるなら、去年の秋の終わりをもっと全身に焼き付けておくべきだった。おさつスナックは相変わらず美味いけど。

もう、秋の訪れなど期待していてはいけないのだろう。
この先も、私はこの環境で――いつ終わるとも知れない永遠の夏の中で、エアコンだけを頼りに生き抜いていく必要があるのだ。消えてしまった秋を偲び、嘆いているだけでは前に進めない。

受け入れよう。秋が選んだ道を。
そして、私は私の道を生きよう。

そんな決意と覚悟を固めて、私は天気予報を見るのをやめた。
明日の最高気温は何度か、確認しては落胆することに疲れてしまったのだ。

もうエアコンなんて、常時つけっぱなしで良いじゃないか。
7月も8月もそうしてきた。今まで通りの日々を、冬が来るまでひたすら繰り返せば良いだけだ。
これはきっと、不幸なんかじゃない。ただ夏が続いているだけなのだから。秋が「来るはずなのに来ない」と思うから悲しいのであって、秋などもう二度と来ないのを前提にすれば、この日々は何でもないはずなのだ。
そうだ、私は秋が来なくても生きていける。秋への依存から脱却し、秋離れをする時が来ただけだ。きっとそうなのだ。

庭にコスモスが咲き始め、夜には秋の虫がうるさいほど鳴きまくっているのに暑い――という種類の理不尽を全て「そういうものだ」と諦めることにして、私はそれからの日々を過ごした。
長年愛し続けてきた秋への想いに、悲しみに、寂しさに蓋をして。


そして9月も下旬に入った、昨日の朝。
ポケモンスリープのアラーム音で目を覚ました私は、寝ぼけ眼でポケモン達から木の実を回収しつつ寝室を出て、リビングのカーテンを開けたところで「それ」に気付いた。

窓の外、灰色の雲に覆われた空、しとしとと降る雨。
だがそれ以上に重要な、空気感。

同じ「雨の日」でも、前日までのようなモワっと重ったるく、呼吸しにくいほどの高温多湿の空気とは違う。
まさかと思いつつ窓を開けて、疑念は確信に変わった。

秋だ。
秋が、帰ってきた。
帰ってきたのだ。――私の元へ!!

私の胸は喜びに満ち溢れた。もう二度と会えないのではないかと思っていた秋にもう一度会えたこの幸運を、思わず天に感謝する。
付けっぱなしだった寝室のエアコンを急いで止めて窓を開け、「涼しい外気」を余すところなく部屋の中まで行き渡らせる。

エアコンによって調整された空気とはまた違う、心地よい自然そのままの空気を吸い、そして吐く。
あぁ、これこそが私の待ち望んだ秋だ。私は秋に見捨てられていたわけではなかった。良かった。本当に……良かった。

期待して、裏切られて、傷ついて、諦めた。
もう二度と期待などしない、そう決意していたけれど、私はやはり秋を、心の底から愛していた。私の秋への想いは、消せてなどいなかった。

昨日の最高気温は25℃で、私は「一日中エアコンを付けないまま快適に過ごす」という幸福を噛みしめた。
そして今日も、昨日のように雨は降っていないけれど、外気温は23℃だ。
ハーフパンツのまま過ごすのが少し心もとなく感じて、スウェットの長ズボンを引っ張り出した私は、それを履いていられるという幸福を甘受している。

二日連続の「秋」についつい浮かれてマクドナルドまで車を走らせ、月見バーガーをテイクアウトして昼食に食べた。普段なら単品で済ませる所をわざわざセットで購入し、飲み物も期間限定・シャインマスカットのシェイクに変更した。「七味香る牛すき月見」は、辛いものが苦手な私にとってはかなりの冒険だったが、耐えられる辛さで助かった。ノーマルな月見バーガーとは別のふかふかバンズがまた一層美味しかった。
結局セットのポテトは食べ切れず、半分ぐらい夫の胃袋へと消えたが、カロリー過多を訴える胃袋の主張はさておき、今日の私はこの上なく、幸せだ。

秋。――私の最愛の季節。
冬も春も好きだけれど、私はやはり秋が一番好きだ。暑さに苦しめられる夏が終わり、これから冬と春が訪れるという希望を私にもたらしてくれる秋は、私の人生の光なのだ。

秋は、また私の事を幾度となく裏切るだろう。
来年の秋も、それどころか今年の秋すらも、また明日か明後日かその次あたりには姿を消し、最高気温が30℃を越えるような日々がまた戻って来てしまうかもしれない。

それでも、何度裏切られても。私は秋を愛し続けよう。
風来坊の亭主の帰りを待つおかみさんのように、秋がふらりと私の元に戻ってきて、またすぐいなくなるのを「全くしょうがないわねアイツは!!」と広い懐で受け止められるようになろう。
ほんの一時だったとしても、少なくとも「今日は秋だ」という幸福だけは、揺るぎなくここにあるのだから。

私の住む地域の週間天気予報によれば、この先二週間の最高気温は、最も暑い日で31℃。ただし、最低気温が20℃を下回る予報の日が多くなっている。
私が秋を味わえる日は、これから順調に増えるのか、それともまた消えてしまうのか――と少し心配しながらも、目の前の「今日は秋」という事実だけを愛して、9月の残りを、場合によっては10月も11月もそうなるかもしれないけれど、過ごしていきたいと思う。

愛してるぞ、秋!!


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