【毒親育ちの育児】「次はどこに行きたい?」と息子に聞くたび、あの日の私が救われる、という話。
子供時代の私にとって、「外出」とは常に、母が行きたい場所に私が追従するものだった。
行先も日時も、滅多に事前に知らされることはない。日曜の朝、さぁ本を読もうか、と思った瞬間に言い渡される「今日は○○行くよ」は、行き先が遊園地だろうが大型公園だろうがリンゴ狩りだろうが、私にとっては「横暴な上司の接待」あるいは「ハードな行軍演習」の宣告に等しかった。
といって、気乗りしない旨を答えれば引っ叩かれる上、道中がひたすら説教で埋まるだけで、外出先が変わったり、外出自体がなくなるわけでもない。仕方なく(笑顔は無理なので)無表情で快諾し、車酔いの吐き気に耐え、母のペースで歩き回る疲労と足の痛みに耐え、外出時にはいつも以上に噴火しやすい母の機嫌を1日中必死に読みながら付き従う。私にとって外出とは、いつもそんなイベントだった。
そのせいなのか、元からの性質なのかは定かでないが、私は非常に出不精だ。出かけたいところは、常に「ない」。いや、全くなくもないのだが、時間や労力や費用をすべて無視した上で一人でなら行きたい、という話であって、例えば休日に息子や夫を連れて出かけたい場所はあるか?というと、本当にどこにも「行きたくない」というのが正直な感想になってしまう。
それでも、母が毒だと気付く前は、母の「土日ぐらいどこか連れて行ってあげなさいよ、可哀想に」の台詞が「子供を連れて出かけないのは親失格」と聞こえるのに耐えられず、かなり無理やり出かけていた。
だが母との心理的距離を取れるようになってからは、「別に、行きたい所があったら息子だって言うでしょ」と開き直れるようになったので、現在我が家の「お出かけ」は、主に息子の「○○行きたい」に対して審議を行い、各種条件が許容範囲であれば承認する、という方式を取っている。
そして先日、息子が「これに行きたい」と指さしたのは、小学校で配られたらしい「歴史館まつり」なるイベントのチラシだった。地元の歴史館の敷地に色んな団体が出店して、ナントカ体験教室のようなものを色々やるらしい。息子が行きたいと主張するのは、水族館による「トラザメタッチング」のコーナーで、つまり小型のサメに手で触れるもののようだった。
多少の混雑はあるにせよ、費用は限りなくタダに近いと予想され、外出にも程よい季節。開催場所もそう遠くなく、全体の所要時間もそこまで長くなさそうで、小学生の外出先としてはこれ以上なく真っ当。というわけで、却下する理由も特に思いつかなかった私は、息子を連れてそのイベントへ出かけた。
少々遠すぎる駐車場に車を停める羽目になったが、息子は実に機嫌よく、「このぐらい全然歩けるよ!」と果敢に会場まで歩いた。現地につくと迷わずトラザメのブースへ突撃し、早速触らせてもらって、「ざらざらしてた!」とご満悦である。
「そしたら、次はどこに行きたい?」
会場到着からわずか5分で目的を達成した息子に、私はそう聞いてみた。
駐車場からの徒歩を含めれば片道45分はかけてここまで来ているのだし、流石にすぐ帰るというのも、何だか勿体ない気がしたのである。
息子は「うーん」と会場のマップを眺め、「思いつかないなぁ」と言う。文字情報だけではピンと来ないのかもしれないと思い、「じゃあ、ちょっと見ながら一回り歩いてみようか」と提案すると、「うん、見てみる!」と元気になって、周りをきょろきょろし始めた。しばらく歩き回って結局、消防車の見学、応急手当体験、地元のサッカークラブによるシュートゲーム、バルーンアート体験など、息子の「あれやりたい!」に従って合計2時間半ほど列に並んでは遊ぶ息子を見守るのを繰り返し、帰りにファミレスで食事をして、帰宅したのは午後3時を回っていた。
正直、疲れた。直射日光を浴びつつ人ごみの中を歩き回るというのは、普段引きこもりの私にとってはかなりハードな1日である。
でも、息子が選んだブースの列に並び、楽しそうに参加する息子の姿を見届け、「次はどこに行きたい?」と聞くのは、私自身にとって、とても――そう、幸せだった。
思えば、何であれ待つのを嫌う母と、行列に並んだ記憶は数えるほどだった。特に「私の希望を叶えるために」並ぶのはトイレがせいぜいで、それも並んでいる間中「外出中にトイレに行きたくなるほど飲み物を飲んだこと」を叱られるのが常だった。その飲み物を与えたのが、他ならぬ母だったにもかかわらず。
目の前の自販機から飲み物を選ぶこと、レストランで見せられたページから食べ物を選ぶこと、それ以外に選択する権利は、私には与えられなかった。
記憶する限りただの一度も聞かれたことのない「次はどこに行きたい?」を、私はきっと、ずっと渇望していたのだと思う。
子供時代の母との「外出」と同じように、行動自体は息子に付き従う形で1日過ごしたにもかかわらず、イベントの日の私は、幸福だった。
「次はどこに行きたい?」と息子に問い、私なら絶対に選ばないような答えが返って来るのを受け入れる。「それ本当に面白いのかな……まぁいいか」と内心思いつつ、「じゃあこっちだね」と列に並び、数十分を費やして、私なら楽しめないだろう「それ」を目いっぱい楽しむ息子を眺める。そんなことを何度も繰り返しながら、私は「あの日の私」を救い、慰め、甘やかしていたのだろう。
「缶バッジづくり体験」で、自分で選んだスパイダーマンの絵柄を真剣に色鉛筆で塗る息子を横目に、銀杏並木の鮮やかな新緑を眺めていた時間の幸福を、それを幸福だと思えた私自身を、忘れないようにしたい、と思う。
そして息子が望むなら、たまにはまた外出をしよう。
息子に「次はどこに行きたい?」と問いかけて、返ってくる答えを受け入れる幸福を、また私も味わうために。
あの日の私が知らなかった「選択する自由」が、息子にとっての「当然」になってくれますように――と祈りながら。
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