私の夏休み、の話。
息子の夏休みが始まって2週間目。毎日タブレットでyoutubeを見ながらゲームをするというデジタル漬けの生活を送っていた息子が、私の母と一緒に北海道へ2泊3日の旅に出かけた。
母は息子が小学生になったあたりから毎年、夏休みと冬休みに「息子を連れてどこかに旅行に行く」というのをやっている。息子も今の所は毎回ノリノリで「ババと旅行」を楽しめているようなので、両者ともにwin-winで良い事である。
最初の頃、母は私も同行させようと色々言って来ていたが、正直行きたくないので毎回パスしていたら、その内何も言われなくなった。私としては、長い夏休み期間の中で、息子の「ねぇママ~」から解放される時間は貴重なのだ。逆に、息子の長話に加えて母の長話にまで付き合わされる2泊3日など勘弁して欲しい。
北海道に興味がないとは言わないが、行くなら私の一人旅か、息子を連れて二人旅にするのが私にとって最善である。
うーん、一人旅か。いいなぁ、一人旅。
一人旅というフレーズは何となくロマンを感じる。というか、一人旅なら……誰も同行者がいない前提でなら、出不精の私にも密かに行きたい場所はあったりするのだ。山梨の笛吹川フルーツ公園である。
――ならば行けばいいのでは?
という考えが湧いてきたのが、今年の夏の初めだった。
よくよく考えてみると、行けない理由はなかった。むしろ逆に、何故これまで無理だと思い込んでいたのか疑問が湧いて来るぐらいである。
猫たちは私がいようがいなかろうが、灼熱の日中はエアコンをかけた室内で寝ているだけのはずだ。夜は夫がいるのだし、私が1日ぐらい不在でも大した不都合はないだろう。夫の食事は自分で何とかしてもらえばいい。最近の夫は、「600Wで1分40秒」のようなテクニカルなレンチンもマスターしているし、食費さえ渡せば解決する問題だ。
残る課題があるとすれば、家族やゲーム内友人に「何故そんな所に、わざわざ一人で行くのか」の説明がつけられないことだが、でも待てよ、それって……
もしかして、別に説明する必要、なくね?
一般的に、どこかに行く理由なんて「行きたいから」で十分じゃなかろうか?むしろ、「それ以外の合理的な理由を述べて、他人を納得させる必要がある」なんて思考自体が不要なのでは?普通の人間関係なら、「息子が旅行に出かけるから、私も羽伸ばそうと思って」「そうなんだ、いってらっしゃい。気を付けてね」で終わる話……だな?そのはずだな??
うん、そうだ。「笛吹川フルーツ公園」が私にとってどんな場所で、だから出来るだけ一人で行きたい、なんて私の超個人的な理由は、別に誰にも話す必要はないな!
よし、行こう。是非行こう。私に行きたい場所があって、そのタイミングなら、他人に迷惑をかけずに行けるのだ。いやまぁ、夫と猫には多少の不都合はあるだろうが、少なくとも「息子に寂しい思いをさせずに一人旅が出来る」タイミングはそうそうない。いつ行くの?今でしょ!!
というわけで根回しを順当に済ませた私は、北海道へ旅立つ母と息子を見送るが早いか、超高速で準備をした。
といっても、ゲームをログアウトして、2匹の猫をエアコンのかかった部屋にそれぞれ格納し、にわか雨の予報に備えて洗濯物を室内に干し直したぐらいである。着る服なんぞ、いつものジーンズにユニクロのTシャツ(FFシリーズのコラボTシャツで、最近のお気に入り)で十分。運転中の日焼け防止にUVカットのパーカーを羽織り、財布とスマホと煙草と飲み物のペットボトルをいつものリュックに放り込み、長距離運転のお供に数枚のCDを持ち出せば、私の旅支度は完了だ。
いざゆかん!山梨へ!
車にナビとCDをセットして、出発。数年前に通った時にジェットコースターのようで超怖かった首都高を避け、圏央道を通るルートを選んだので、走行距離は往復でざっくり500キロ。スムーズにいけば片道約3時間半らしい。私にとっては人生で最長を記録することになるドライブだ。
なお、私の「笛吹川フルーツ公園に、出来るだけ一人で行きたい理由」は、去年書いたこの記事を読んで頂ければ多分伝わると思う。
お時間のない方のために超ざっくりまとめると、「独身時代、友達以上恋人未満だった彼に連れて行ってもらって、超感動した夜景だから」である。
純粋にあの夜景をもう一度見たい欲が6割、当時の場所が今もそのまま存在するのか確認したい気持ちが3割。残りの1割は、中途半端に終わったというか、何か間違えて始まり損ねたような20代の恋の、釈然としないまま残っているわだかまりに、今の私なら何らかの解決がつけられるかもしれない、という期待だ。
さて、車内BGMのトップバッターはLINKIN PARK。あの頃、よく気合いを入れるために聞いていた曲である。
くー!久々に聞いたけどやっぱりカッコ良いな!などと言っている間に最初の一時間は過ぎ去り、圏央道に入る。
常磐道(とたった一回だけ首都高)しか高速道路の経験がないので、片側一車線・対面通行の高速道路なんかあったのか!と変な所でワクワクしながら走り続け、しばらく経ってナビが「そろそろ休憩しましょう」と言い出したのでパーキングエリアに入って休憩すると共に、のぼり旗が目についたからという理由で「ラムネソフトクリーム」なんぞを食べてみる。
うーーーん、美味い。さっぱりした純粋なラムネ味で、「ソフトクリーム感」ではなくて「アイス感」を前面に出している所が、「ラムネ味」が昔から好きな私にはドンピシャである。水分とカロリーが不足気味だったのか、五臓六腑に染みわたる感じすらする。超美味い。灼熱の太陽と青空、クソ暑いけど「私は今夏を満喫してる」って感じするな!最高!!普段は夏嫌いだけど!!
ところで最近気づいたのだが、私はどうも最高に機嫌が良い時、「楽しい」とか「嬉しい」とかの感情を自覚するより前に、勝手に口角が上がる。自分の顔が笑顔になっていることに筋肉の感触から気付く方が、感情を自覚するより早いのだ。
感情の認識の遅れはまぁまぁ私の仕様だろうということで納得しやすいのだが、「最近」より前の私はどうだったのだろう?というのがちょっと気になる。私は元々、幼少期から無表情・無感動な人間だと言われ続けている訳だが、私のこの口角の上がり具合は、他の人から見ては気付けないレベルだったということなのか、そもそもここまで無防備に機嫌が最高な時が最近まで滅多になかったということなのか。
自分の感情や表情(の感触)に意識を向けていなかったから気付いていなかっただけかもしれないし、私を無表情と呼んでいたのは母とその周辺の家族・親戚系であって、それ以外の人に言われた記憶がある訳ではないから、「彼らが」私の表情に注意を向けていなかっただけか。どれだろうなぁ。まぁどうでもいいか。
そこまで考えてふと我に返ると、誰も座ってない屋外のテーブルに一人で座り、ソフトクリームを食べつつニヤニヤしている40代女性、という絵面はイマイチな気がしてきた。まぁ旅の恥は掻き捨てという言葉もあることだし、ソフトクリーム屋さんの売り上げに貢献する可能性もあるしという事で、気にしないことにしよう。
お、トラックから降りてきた運ちゃんがソフトクリーム屋に向かった。いいね兄ちゃん!このソフトクリーム美味いよ、おススメだよ!
……と、そんな感じで超ご機嫌にソフトクリームを完食した私は、神奈川の端で下道に降り、直前にアポを取った友人との遅めの昼食兼お茶を挟んで、予定通りに目的地である「笛吹川フルーツ公園」に到着した。
片道250km超の長距離を、高速の乗り間違えもなく予定通りに着いた、という時点で私にしては大快挙である。ちょっと運転が長すぎてお尻が痛くなった以外は疲労具合も問題ない。素晴らしい。
さて、である。
あれほどもう一度来たかったフルーツ公園には着いた。時刻は午後4時、これから夕暮れを見届けて夜景を眺めるのには最適な時間、全てがここまで順調に来たわけだが。
一点だけ、問題があった。
――ここ、どこ!?
数か所ある駐車場を全て回ったが、あの日の駐車場とは似ても似つかない風景ばかり。あの日は暗かったことを差し引いても、全然全く、同じ場所に来た感じがない。仕方がないので一番メジャーそうな駐車場に車を停め、一番オフィシャルそうな入り口から公園に入るが……
ここ、どこーーーーー!?
歩いても歩いても、全然、全く、見知らぬ場所だ!!
ちょっと待て、私は何か間違えたのか?私があの日来たのは「フルーツ公園」という名前の場所だったはずで、山梨の「フルーツ公園」で夜景が綺麗なのはこの「笛吹川フルーツ公園」に違いないと思ったけど、そもそもあの日見た夜景はここではなく、全然別のどこかだった……なんてことは……
えぇぇぇぇぇ……どうしよう……。
私は途方に暮れた。
10数年の時間が経過している以上、公園の中の造形物が無くなっていたり、新しい何かが作られていたり、というのは当然あるだろうと思っていたが、そもそもの地形は大きくは変わらないはずである。「駐車場で車を停め、そこから斜面を登れば、夜景が見えるポイントに到達できる」という要素ぐらいはまだ残っているだろうと思ったのに。夜景ポイントらしきものは地図にあるが、その付近の駐車場は「夜景ポイントより上」にしか存在しない。他の駐車場から夜景ポイントへと「登る」には、どう考えても高さというか距離というか、とにかく間があり過ぎる。
とりあえず公園内にひたすら続く坂道や階段を登り、夜景ポイントを目指してみるが、私の中には暗雲が立ち込めていた。既に時刻は午後6時、公園の外側の駐車場をぐるぐる巡った挙句、公園内で迷子になるなどして2時間が経過している状況である。もう汗だくで息切れで、日ごろの運動不足が祟って太ももの筋肉もプルプルしている。
道半ばであまりの暑さに嫌気が差した私は、噴水の前のベンチに座って水分補給をしながら、薄暗くなっていく街並みの風景を眺めた。辺りが完全に暗くなれば、夜景そのものはあの日と大きく変わらないだろうと思える見事な景色だ。だが、あの日あの夜中にリオンと歩き回った時、噴水っぽいものは確かにあったが、その近くにこんなに大きくて綺麗なホテルのような建物はなかった。
――いや。待てよ。
公園の地図を確認する。私の現在位置は「水の広場」と名前がついているようだ。水の広場……そのフレーズに、見覚えがある。無論よくあるネーミングではあるのだが、うっすらと覚えている……ような気がする。
そして、私の目指している夜景ポイントは「恋人の聖地」という名前で(随分とこっぱずかしい名前だ)、これもうっすら覚えているような気がするのだ。
他ならぬ私の――方向音痴であることにかけてはその道40年の大ベテランの私の記憶である。風景や地形に関する記憶より、文字に対する記憶の方が当てになるのではなかろうか?
「フルーツ公園」「水の広場」「恋人の聖地」、この3つの文字情報が合致しているのだから、やはり今私がいるこの公園が、「あの日見た夜景」で間違いないのでは?
どデカくて綺麗なホテルは、この10数年の間に新しく建てられたか――あるいは、間にあった木々が伐採されたり、公園の構造が変わったりして、「あの頃は見えなかったホテルの建物が、よく見えるようになった」のではないか?そして、それに連動する形で、「あの日リオンと来た駐車場」も無くなっているだけだったりするのでは……?
えぇい、分からん。分からんが、私はとにかく夜景の名所に来ていて、もうすぐ日が暮れる。とにかく「恋人の聖地」とやらに行って夜景を見よう。
しばらく座っていたお陰で少し汗が引くと共に腹が決まった私は、猛然と来た道を降りることにした。「駐車場から登って」の部分を諦めて「『恋人の聖地』に到達する」に絞るなら、このまま徒歩で上るより、駐車場に戻ってから車で、また別の駐車場に行った方が絶対に早いし、筋肉に優しい。
プルプルする太ももを叱咤激励しながら公園の入り口まで戻った私は、車で目的地の「上の」駐車場に到達し、そこから坂道を若干「下って」、とうとう「恋人の聖地」に着いた。
記憶とはまったく一致しない、綺麗に整備された広場。明るく光を放つ自動販売機。空っぽの溝に「足湯」の看板があり、その近くに「恋人の聖地」と書かれた記念撮影スポットっぽい空間があり、そして――
手すりの向こうに、間違いなくあの日と同じ夜景が広がっていた。
あーーーーー。
やっぱり、ここだ。ここだったわ。
しばらくそれしか考えられなくて、私は棒立ちのまま夜景を眺め、それから少しだけ我に返っていくつかあるベンチの一つに座り、再びぼんやり眺め続けた。火照った全身を少しずつ少しずつ、生ぬるい風が宥めてくれる。家族連れが現れて、賑やかに喋りながらしばらく佇み、立ち去っていった。
闇の中に宝石箱をぶちまけたような、光。
放心していた所から少しずつ思考が戻って来て、スマホを見ると数十分が経過していた。
眼下に広がる夜景は本当に本当に綺麗で、とはいえ流石に「あの日」のように、世界の全てを手に入れたかのような高揚感はなかった。
ただ、もっとずっと穏やかな幸福感が、じんわりと胸を満たしていた。
来られた。見られた。
良かった――――本当に、良かった。
ただそれだけを感じながら、無心で夜景を眺める。
ご夫婦だろうか、年配の男女が「恋人の聖地」の看板の近くに近付き、少し談笑してから立ち去っていった。しばらく経って、今度は若いカップルが登場し、夜景を眺め、私をチラリと一瞥してから去っていった。
一人でベンチに座ってぼんやりし続けている私は、もしかしてカップル達の邪魔になってしまっただろうか。まぁ会話の内容が聞こえるほど近くにいるわけじゃないし、私も遠くからはるばる、それも10数年越しに来ているのだから、申し訳ないがそこは何とか許して欲しい。若い君らは、どこか別の所でも愛を深めることが出来るはずである。私は再び往復500kmを走破してここに来ない限り、この夜景を見られないのだ。
若いカップルのお陰で少し意識が現実に戻ってきた私は、そんな事を考えて、ふと気付いた。
というか、何でこれまで気付かなかったのか分からない。
あの日、あの夜、リオンはわざわざ埼玉の実家から車を取ってきて、私を東京からここに――「恋人の聖地」という名前のついた新日本三大夜景に、連れてきたのである。恐らくは、あのカップルの彼氏のように。
都内から山梨までは結構な距離だし、あの仕事がめちゃくちゃ出来て、かなりの慎重派で理屈っぽいリオンが、下調べなしに突然思い付きで行動したとは考えづらい。リオンはあの日、「ボロボロに泣いていた私が、遠くに行きたいと言ったから」ではなく、「そもそもここに来るつもりで」私をドライブに連れ出したのではないか。
とすれば、どう考えても「純粋な友達同士」に収まる行動ではないだろう。むしろ「え、付き合ってなかったの?」レベルの話であって――お互いの彼氏彼女の状況がどうであれ、あの日あの夜の時点でリオンは、私がリオンに対して抱いていた恋愛感情あるいは依存と、同等かそれ以上の気持ちがあったと考えるのが自然だろう。
だったら、である。
私とリオンの関係があれ以上進展しなかったのは、「私が、また来たいと言わなかったから」だけが原因ではないはずだ。
リオンも随分と臆病だったか、プライドが高かったか、とにかく何らかの事情だと思うが、彼の方も私に向かって「好きだ」とか「付き合ってくれ」とかに類する発言を一切していないのだ。この夜景を見た私は十分に喜んで感謝を伝えていて、つまりあの日のドライブは「成功した」にもかかわらず、彼はそこから私に対する積極的なアプローチをしなかった。そればかりか、しばらく経ってから「彼女とヨリを戻そうと思う」と私に宣言し、私達の距離はそこで離れたわけで。
……もしかしてそれは、彼なりの恋愛の駆け引きだったのか。ってちょっと待てよ、そしたらもしかして、もしかすると、「彼女とヨリを戻そうと思う」という宣言は私に対する試し行為というか、「押した後に引く」的な何かで、私が「そんなの嫌!私じゃ駄目なの!?」となるのを期待してた、なんてことも……あり得る?え、そんなのある?あり得る気がするな!?
いやいやいやいやいや。相手を間違えてる、普通の人相手ならともかく、当時の私にそれは無理だぞリオン。それが言えるほど自己主張できるような私じゃないわ、そこ見抜けなかったのが君の敗因だ。もしそのつもりだったなら、だけど。
まぁ、それは考えすぎで、当時の彼は単に、彼女と私の間で揺れ動いていただけかもしれない。そればっかりは本人でなくては分からない。
ともあれ、私とリオンはきちんと付き合う関係にはならなかった。そしてそれは、私とリオンが二人とも、今でいう「両片想い」のような状況ですれ違った結果であって、私一人のせいではなかった。リオンへの感情を口に出来なかった私と同じように、彼の方も何も言わなかったし、言えなかった。だから、そこで終わったのだ。
なーんだ、そうか。
私だけのせいじゃなかったか。
夜景を見ている間にそこまで腑に落ちて、私はもう一度「来れて良かった」と思った。
ベンチから立ち上がって、誰もいなくなった「恋人の聖地」の看板に近付いて、カップル達が眺めていたのと同じ角度で夜景を見てみる。うん、綺麗である。流石だ。
――と、手すりのすぐ外側の急な斜面の「下に」駐車場が見えた。
あった!!あそこにあったじゃん駐車場!!!
「水の広場」からよく見えていたホテルに隣接する駐車場が、ほとんど足元の方向にあった。記憶よりも広い気がするし、今いる「恋人の聖地」までの斜面の角度が急すぎるが、間違いない。私があの日、リオンと降りた駐車場はあそこだ。
恐らく、この10年の間にあのデカいホテルが建てられたのだ。そして公園の駐車場はホテルの駐車場に変わり、斜面の下の方を削って、駐車場が拡張されたのだろう。あの日のように駆け上がるのは絶対不可能な、殆ど崖のような急斜面には、歩道と階段が整備されていて、一応はホテルの駐車場から「恋人の聖地」へ直接来られるようになっている。
そうかー、あったか駐車場!とテンションが上がった私は、プルプルする太腿に活を入れて、駐車場まで降りてみた。改めて見上げた「恋人の聖地」までの高低差と距離感に、うんうん、このぐらいだな!と納得し、再びプルプルしながら登ってベンチまで戻る。
全ての目的は達成した。
ミッションは完全にコンプリートである。
文句なしの夜景が見られた。
あの日あの夜の公園が、今どうなっているかよく分かった。
「何かを間違えて始まり損ねた恋」は――私一人が間違えたのではなかった。彼の方も間違えて、だから始まり損ねたというか、中途半端な感じに終わったのだ。友人としてのリオンと私の相性は凄まじく良かったように思っていたが、ある意味似たもの同士すぎて、そのせいで互いに恋愛感情が芽生えてなお、そうした関係に発展させることが出来なかったのだろう。多分、交際していたとしても上手くはいかなかったに違いない。そこを、物凄く納得出来た。
――よし。帰ろう。
いくらでも眺めていたい気がしたが、何しろ帰り道もまた3時間半、250kmを走破せねばならない。
どうしてもまた見たければ、また来よう。その気になれば、私はまた来られる。ありがとう、「恋人の聖地」。
あとごめんね、邪魔しちゃったかもしれないカップルさん方。君らの恋愛が上手くいくように、ひっそりと念を送っとこう。
晴れ晴れとした気分で私は車に戻り、途中で渋滞に引っかかったりしつつ、無事に深夜2時、自宅に着いた。
途中のパーキングのコンビニで買った、塩おにぎり+ファミチキによる「エセ唐揚げ定食」がめちゃくちゃ美味かった――という記憶を残して、私の冒険は終わった。
2024年7月末。以上が私の「夏休み」の話である。