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芥川龍之介について[柄谷行人『日本精神分析』より]占領下の抵抗(注 ⅺ)

柄谷行人は『日本精神分析』[48]の中で、『神神の微笑』[15]を取り上げて、日本の文化受容の歴史について、詳細な分析と考察をしています。 [48]

その上で柄谷行人は、キリシタンの弾圧と背教を描いた「おぎん」という芥川の作品に触れながら、

キリシタンを滅ぼしたのは、「造り変える力」などではない。端的に、暴力なのです。なぜ芥川は、そんな自明の理を無視しようとしたのでしょうか。

『日本精神分析』[48]

と問いかけています。

そして

大正時代は、西洋列強の下で、近代国家として自己確立するために懸命であった日本人が、日露戦争後そうした軍事的経済的緊張から解放され、また、自ら列強の中に入ったという誇りから、日本の文化的独自性をいいはじめたじきです。しかし、それは日露戦争までの日本人のように、世界を規定している普遍的な「力」を忘れるということです。

『日本精神分析』[48]

と述べ 

更に

大正時代の日本社会が忘れてのは、「満州の戦場」だけではありません。大正時代の社会は日韓併合と大逆事件の後に成立したのですが、この二つの出来事が、この二つの出来事がこの時代の言説にまったく出てこないのです。大正デモクラシーと呼ばれた時代は、実際は、そのような暴力を隠すことにおいて形成されています。

『日本精神分析』[48]

と大正時代を規定した上で

しかし少なくとも芥川は、暴力が根底に存することを強く意識していました。彼が文化的な「造り変える力」を強調したのは、むしろそのためです。

『日本精神分析』[48]

と述べています。

柄谷行人のこの論に則するならば、芥川龍之介は志賀直哉とは違った意味で、暴力を感受していたのかもしれない。

この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xi)より、ここへ繋がるようになっています。

引用文献: 『日本精神分析』
著者: 柄谷行人, ,
発行所: 株式会社 文藝春秋,
2002.7.30第一刷発行

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