見出し画像

占領下の抵抗(注xxi)三島由紀夫・坂口安吾・志賀直哉(2025.1.5.加筆)

三島由紀夫志賀直哉と結ぶ線で理解しようとする時、その補助となるのは坂口安吾ではないかと思います。

三島は戦後の無頼派と呼ばれた作家達の中で、太宰治よりも坂口安吾を高く評価していました。

坂口安吾全集の推薦文で三島は

何たる悪い世相だ。太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮かんで、木の葉が沈むようなものだ。

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

と述べた後、

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐた

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

と述べています。

坂口安吾は何をどのように洞察し見透かしたのだろうか?

有名な「堕落論」の中で坂口安吾は述べています。

元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。

「堕落論」

だからこそ

いにしえの武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。

「堕落論」

のであり、その必要によって生まれた武士道は

人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。

「堕落論」

これが三島由紀夫がこだわった武士道に関する坂口安吾の既定だとすると、

もう一つの三島の思想の鍵である天皇については
どうだろうか?

天皇陛下にさゝぐる言葉」の中で坂口安吾は述べています。

天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすゝめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。

「天皇陛下にさゝぐる言葉」

私とても、銀座の散歩の人波の中に、もし天皇とすれ違う時があるなら、私はオジギなどはしないであろうけれども、道はゆずってあげるであろう。天皇家というものが、人間として、日本人から受ける尊敬は、それが限度であり、又、この尊敬の限度が、元来、尊敬というものゝ全ての限度ではないか。

「天皇陛下にさゝぐる言葉」

このような武士道と天皇に関する坂口安吾の洞察を三島由紀夫は受け入れていたのだろうか?

受け入れていたと考えると、三島の武士道と天皇に関する発言と思想も、だいぶ違って響いて来ます。

それは本文中で取り上げた志賀直哉の

「天子様のご意志を無視し、少数の馬鹿者がこんな戦争を起す事のできる天皇制」には反対でも「天子様と国民との古い関係をこの際捨て去つて了う事は淋しい」

「 」内『天皇制』より[12]

と云う朴訥ぼくとつな認識とも更に近づいて感じられて来ます。

とはいえ、坂口安吾の豪放な言葉には、志賀直哉の素朴さとは異質なものがありますし、
三島由紀夫の認識も、素朴なものにとどまっていたわけではありません。

1968年の石原慎太郎との対談で三島由紀夫は

「つまり日本をね、日本以外の国から、何が日本かということを弁別する最終的なメルクマールとして、天皇しかないんだよ。はっきりしていることだ。ぼくはね、それ以外にはあまり日本的なものというのを信じないな。そういう意味では天皇しかないんだ。」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と言い切り

「日本の国から外へ、天皇を信じさせようとするのは、僕は無理だと思うし、大東亜共栄圏なんていう考えは持たないね。日本を外国から弁別するメルクマール、日本人を他国人から弁別するのはメルクマールというのは天皇しかない。他をいくらさがしてもないんだ。いろいろ考えてみたんだが。」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と繰り返した後

「ぼくは、日本文化の特殊性というものをずい分長く考えてきた。ほとんどそれは、非常に特殊なもんであるけれども、結局普遍的なものになりうることが、文化というものの一つの宿命みたいなものだよ。それは文化の長所であるとはいえないが、普遍的になりうることが文化の宿命なんだ。しかし一方、文化の中核には絶対に普遍化されぬものがあるはずだ。その中で絶対に普遍化されないものというのは、天皇みたいなものしかないんだ。
お能なんか解りにくいというけれども、僕はお能の中にあるロジックは、西洋人にも絶対解るものだと信じいる。」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と述べています。

これは志賀直哉の朴訥な認識とは、随分と遠く隔たっています。

そして、このような考察に三島由紀夫を向かわせた契機も、坂口安吾にあるのではないかと、私は思います。

前述の石原慎太郎との対談で三島由紀夫は

「日本人というのは、権力というものの構造を抽象的なものと考えないね。どうも、自分の権力意志を具体的なものにぶつけて、はね返ってきた手ごたえが自分の権力だという感じを持つんです。野球の球を壁にぶつけて、はね返ってきてはじめて、わが手に握ったんだと思うでしょう。それと同じで、天皇というのは、そういう生きた壁なんですよ。あれに一度ぶつけないと、権力というものは、絶対になりたたない。日本人というのは、なにか、ああいうクッションというか、そういうものにぶつけてみないと、全くわからない。そのクッションというものが抽象的なものであってはいけないんですよ。どうしても」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と述べています。

これは坂口安吾が「堕落論」の中で述べている。

藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。
それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。 それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。

「堕落論」

という言葉と殆ど同じ事について述べているように思えます。

日本歴史と文化・武士道・天皇について、明確に自身の見解を示し

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐた

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

とまで三島由紀夫に言わしめた坂口安吾。

最終的な三島由紀夫の認識は、坂口安吾のものとはだいぶ異なるものを含むとしても、それは坂口安吾の洞察を一度は受け入れた上でのものであったのだろうと思います。

坂口安吾の認識から、更に自分の論を進めた三島由紀夫ですが

1969年の東大全共闘との対話の中では

「こんな事を言うとね、あげ足をとられるから言いたくないのだけれどもね、ひとつ個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらはつまり戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が立ってて、まぁ坐っておられたが、3時間全然微動だにしない姿を見ている。
とにかく3時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんな事言いたくないよ、俺は。言いたくないけれどもだね、人間の一人の個人的な歴史の中で、そういう事はあるんだ。そしてそういう事はどうしても否定できないんだ、俺ん中でね。それはとても立派だった、その時の天皇は。」

豊島圭介監督『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』[37]

という個人的な回顧を述べています。

これは志賀直哉の

「天子様と国民との古い関係をこの際捨て去つて了う事は淋しい」

『天皇制』[12]

という素朴な言葉を再び思い起こさせます。
そして志賀直哉と三島由紀夫が時期は違っても共に学習院に在籍していたことを想起させます。

しかし同時にこの発言には奇異な印象を私は受けます。

この東大全共闘との討論が行われた時点で、三島由紀夫は既にこのような個人的な感慨とは異質な地点にいたように思われるからです。
先に取り上げた石原慎太郎との対談での発言からも、その事は明らかです。

そのような三島由紀夫がなぜ今更

あげ足をとられるから言いたくないのだけれども

豊島圭介監督『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』[37]

と断りつつも

天皇から私は時計をもらった

豊島圭介監督『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』[37]

という個人的感懐を敢えて述べたのだろうか?

そこには何か意図があるのだろうか?
それとも文化的・歴史的な考察・見解とは別に、このような素朴な敬愛の念も、隠しきれぬほどに強く持ち続けていたのだろうか?

三島さん、これからの日本の天皇だけど天皇はもう少し国民と話をすべきじゃあないですか。(後略)

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

という石原慎太郎の問いかけに

三島由紀夫は

「ぼくは全然そう思わないね。
つまり日本が、小さいコミュニティーであり、そういう中では多少そういう可能性はあったかも知れない。だけど今、一億の国民に伝達するのは、いろんなマスコミュニケーションでもって伝達しているでしょう。
天皇というものは伝達から断絶しなけりゃあならないですよ。ぼくは伝達に天皇が阿諛あゆするというか、伝達というものに天皇が負けたならば、天皇制はなくなるとも思っている。」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と言い

「どうしても伝達できないところを一つ作っておかなきゃあならないね。今日本人は、つまりどんなことも伝達できるという妄想をもってるよ。(中略)
陛下というものは、絶対にそういう伝達の仕方から断絶しなきゃならないと思う。」

『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』所収「天皇と現代日本の風土」

と述べています。

このような考えは
志賀直哉の素朴さとはもちろん

坂口安吾の

天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすゝめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。

『堕落論』

という発想とも、全く異質なものであるように思います。
何か天皇に対して冷淡なようにさえ、私は感じます。

志賀直哉・坂口安吾・三島由紀夫の3人をこのように簡単に比較しただけでも、興味深い論点が浮かび上がってきます。

三島由紀夫の思想についは多く論じられて来たが、この2人との比較は、管見の限りでは殆ど見受けない。

特に三島由紀夫が

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐた

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

とまでいう坂口安吾との比較は、三島由紀夫を論じる際には必須ではないかとすら、私は思うのだけれども。

引用文献・映画:  

① 決定版三島由紀夫全集34
著者 三島由紀夫
発行 2003.9.10. 2刷2012.10.5.
発行所 株式会社新潮社
所収 無題(「坂口安吾全集」推薦文)
〈初出〉坂口安吾全集 内容見本・冬樹社・昭和42年11月 
〈初刊〉三島由紀夫全集33・新潮社・昭和51年1月


②「堕落論」青空文庫 
2006年1月11日作成 2012年5月19日修正
著者: 坂口安吾
底本:「坂口安吾全集14」ちくま文庫、筑摩書房1990(平成2)年6月26日第1刷発行
底本の親本:「堕落論」銀座出版社 1947(昭和22)年6月25日発行
初出:「新潮 第四十三巻第四号」1946(昭和21)年4月1日発行

③「天皇陛下にさゝぐる言葉
青空文庫 2007年2月18日作成
著者: 坂口安吾
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房   1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「風報 第二巻第一号」
1948(昭和23)年1月5日発行
初出:「風報 第二巻第一号」1948(昭和23)年1月5日発行

④志賀直哉, 志賀直哉全集 第七巻, 岩波書店, 1999.6.7. [12]
「天皇制」1946.4.1.「婦人公論」]

⑤『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』
2020.7.25.初版発行
著者: 三島由紀夫 石原慎太郎
発行所: 中央公論社
引用した「天皇と現代日本の風土」は、初出『論争ジャーナル』昭和43年2月号 底本:『中央公論特別編集 三島由紀夫と戦後』

⑥監督 豊島圭介, 『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』[37]
1969.5.13.東京駒場キャンパスでの三島由紀夫と全共闘学生の討論会のドキュメンタリー, 2020.3.20.公開.



この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxi)より、ここへ繋がるようになっています。

いいなと思ったら応援しよう!