過去最高に貧乏で、過去最高に楽しい1年だった。そして、そんなにのんきじゃいられない毎日が始まる予感。
家族で「暮らしの延長のような旅をしてみよう」と思い立ったのは、1年前の11月。
翌12月に、茨城県鹿嶋市から私たち家族の旅が始まった。
たぶん、
過去最高に貧乏で
過去最高に豊かで
過去最高に楽しい1年だった。
今回は、1年のざっくりとした振り返りとともに新たな報告を。
最初の7カ月間
最初の7カ月間は、気が向いた地域にノープランで滞在し「あの場所に行くといいよ」「あの人に会うといいよ」とまちで出会った人からおすすめされるままに過ごした。
その土地で最初に出会った人の知り合いの知り合いの知り合いの知り合い…と繋がっていったら、最終的には一周して最初の人のもとへ戻ってきたという奇跡もあった。
8カ月目から
8カ月目からは、それまで旅先を決める際に参考にしていた、面白法人カヤックが運営する<地域への移住と関係人口のマッチングサービスSMOUT>の業務に携わるようになった。
これまでの私には大きく分けて2つの視点があったように思う。
今自分が住んでいる千葉県流山市で、家族向けフリーペーパーを発行している「地域の人」としての視点と、拠点を持ちながらも「他の地域にも関わりたい人、住んでみたい人」としての視点だ。
SMOUTに携わるようになってからは、この視点のほかに
自分の地域を盛り上げようと頑張っている「他の地域の人」の視点と
「地域と、地域に関わりたい人を繋ぐ人」の視点が加わった。
さまざまな視点に立ってみてあらためて思うのは
どの立場であっても、登り方やペースや大事にしたいことなどのマイルールが違うだけで、行きつきたいところや見ている先はみんな同じだということ。
そのためにお互いの知恵を拝借しながら、時にマイルールを少し破ってみるなど試行錯誤していく過程がなかなかに楽しいということ。
大きなゴールが同じだと分かっていれば、その過程にズレが大なり小なりあっても些末なことなんだということ。
そしてあらためて、
楽しんでいる人には敵わないということだ。
そんなこんなで旅を始めてからちょうど1年が経つ来月12月から、滋賀県庁で働く
そんなこんなで旅を始めてからちょうど1年が経つ12月から、縁をいただいて滋賀県庁職員になることになった。
期間は3年弱。滋賀県が目指すローカルDXに貢献できるようやれることは全てしたい。
この短い期間でどこまでできるか分からないから、どこまででもできることをしよう。
地域の人に学ばせてもらいながら、私の今までの縁や経験もフルに活かせればと思う。
というわけで、1週間や10日規模の旅はいったん休憩。
何がどうしてこうなるか分からないから出会いは面白い。
元来怖がりな私なので、怖がろうと思えばいくらでも怖がれる。けれど、面白いと思えばいくらでも面白くなることも知っている。
やはり、全ては心の決めたままに、だ。
今までは、「今日と明日はこうやって生きていこう」くらいの気持ちで「フリーランス妻と脱サラ主夫ののんきな毎日」を綴ってきたが、これからは「そんなにのん気じゃない毎日」を綴っていくことになるだろう。
夫は相変わらず「滋賀か、ええねぇ」とにこやかに言っている。
娘と息子は団地暮らしを楽しみにしている。
子どもたちのことが心配だったが
「琵琶湖最高じゃーーん!!」とのこと。
1年前まで
「できれば知らない場所にも行きたくないし、知らない人にも会いたくない」と言っていた子とは思えない。
それだけで、この1年旅をしてきてよかったなと思う。
行ってからのことは分からないが、今楽しそうなのはとにかく良かった。
本当に、この3年がどうなるか、3年後にどうなるかなんて全く分からない。
けれど久しぶりに感じる少しのピリッとした空気がなんだか楽しい。
何となくいい予感。
そしてM-1以来の緊張感。
頼むぞ、私。そして夫と娘とついでに息子。
そしてどうぞよろしくおねがいいたします、滋賀県のみなさま。
引き続き遊びにいきます、今まで遊びに行かせていただいた地域のみなさま。
戻ってきます、流山のみなさま。
いったんの締めくくりは、はじまりの地「鹿嶋」で
ということで、
今月は旅の始まりの地、茨城県鹿嶋市へ再び。
「すべての始まりの地」と呼ばれている鹿島神宮。
確かにここからはじまった。
そしてまたここからはじまりそうな予感がしている。
おわり。