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呪いをかけた元彼の結婚。私は自分の声を探す。
私は、私の頬を拳で思い切り殴った当時の彼に言った。
「あなたは絶対子どもを虐待する。虐待されて育ったから私にこんなことをするんだ。あなたは絶対誰とも結婚するべきではないし、子どもを持つべきではない」
殴られた後、そうヒステリックに怒鳴る私の前で下を向いたまま、彼は心臓辺りのTシャツの生地を強く握りしめながら聞こえないくらいの声で謝った。
私が放ったそれは呪いの言葉だった。
朝セットした前髪がほんのちょっとズレることも許せないほど若い頃から付き合っている彼が、何を言ったら激怒し、ひどく悲しみ、喜ぶか。
彼の全ての感情の引き金の引き方は分かっていたつもりだ。
殴られる覚悟はできていた。
彼が私を殴ればいいと思ったのだ。
そしたら私は一気に被害者となり、彼は彼自身のことを許せなくなるだろうと、そんなことすら思った。
そんな一時的な、「勝ち負け」で負けたくない、くらいのセコイ感情で、私は彼に呪いをかけたのだ。
彼が親族から暴力を受けているという事実をまだ知らなかった頃、
「親が嫌いだ。早く死んでほしいとさえ思う」
そう言う彼に対し
「家族のことをそんな風に言うのはどうなんだろう。ちゃんと話したら分かり合えるんじゃない?努力してみようよ」
などと、今振り返ると反吐が出そうな説教を垂れていた。
当時のこの説教は、彼をどれだけ絶望させただろう。
こんなセリフを言えるのは、私が恐ろしく無知で、毎日がつまらないなどと堂々と言えるほど平和だったから。
世の中色々あるよね、なんて知ったかぶりをしながら、腹の中では「とはいえ、最終的に分かり合えない家族なんかいない」と信じて疑わなかったのだ。
付き合いが長くなるにつれ、彼がそう思う原因は親からの一方的な暴力があったからだという事実を知った。
怒りに震えた私は、当たり前のように自分の正義感を暴走させた。
彼の親を通報したら解決するはずだ、そう思った。
暴力を振るう親にも、暴力を受ける彼の姿を黙って見ていて、後から謝る他の親族にもひどく腹を立てていた。
そしてそんな親や親族を庇い「通報は絶対に止めてほしい、そんなことをされるくらいなら言わなければよかった」と止める彼に対しても苛立っていた。
私は絶対に正しいことをしているはずだと信じて疑わなかった私は、通報するのが叶わぬなら本人に抗議しようと思い、彼の親に電話をかけた。
「あなたがしていることは間違っている。大事になる前にやめるべきだ」
そうきっぱりと伝えようと強く決心しての電話だった。
しかし、想像よりも低く、腹の奥にズンと重く響く電話向こうの声を聞いた瞬間
「あの…」から先の言葉が続かなかった。
名乗りもしない、目的の分からない気味の悪い電話に、当然相手は苛立ち声を荒げる。
「お前、○○か?」という言葉が聞こえた後、「違います」と言って私は電話を切った。
「○○」が、私の名前ではなかったことにホッとしていた。
そんな私に「気が済んだ?」と彼は聞いた。そして、何も言わないでくれてありがとうね、と付け加えた。
私の気が済んだのか、どうか。
これが全てだ。
私は、私のためだけに、その後誰がどうなるかなどは考えずに、自分の正義感を満たすためだけにこんな行動に出たのだ。
そして自分が少し怖い思いをすると名乗ることもなくすぐに逃げた。結局は正義感からなんかじゃなく、自分事じゃないからできたことなのだ。
そんな自分を、まだ学生だったんだからしょうがない、という若さを理由にして無理やり許したのに、大人になった今も変われた自信はさほどない。
その後彼は進学し、昼は託児のバイトをして夜は学校に通い、将来は子どもに関わる仕事に就きたいと言っていた。
「虐待を受けた子どもは虐待を繰り返す」
そんな風には絶対に言われたくないし、言わせない人生を歩みたいと言っていた。
そんな彼に、私は呪いをかけたのだ。
彼の地雷がどこにあるか知っているからこそ避け続けて守ってきたのに、彼を傷つけるためだけにわざと踏みにいったのだ。
喧嘩の理由は、思い出せないほど些細なことだったように思う。
小さなイライラが積もりに積もって、些細なことがきっかけで私が爆発した。
見た目には、殴られた私はDV被害者だっただろう。
その裏には、限界を超えるであろう私からの核心的な挑発があった。
今でいうモラハラだ。
いらない補足かもしれないが、ここでは必要な気がするので補足させてほしい。
もちろん殴られてただ泣いている私ではなかった。
柔道部だったので受け身は得意だったし、小学校の時の相撲大会ではいつも優勝していたので立合いには自信すらあった。
何だったら、隙あらば正当防衛として勝ってやる、くらいの気持ちで挑んでいた。そんな喧嘩だった。
とにかく、いつもの喧嘩のようにみせかけて、関係は元に戻ったようにも思った。
私はこの呪いの言葉をかけた罪悪感から解放されたく、折を見ては
「あんなことは全く思っていない。あなたを深く傷つけたかっただけだ」
と謝った。
彼はいいよいいよ、と言っていたが、いつからか、いいよ、のあとに「本当のことだから」と付け加えるようになった。
この呪いの言葉は、その後解けることはなかった。
彼とは、そういった喧嘩とは別なタイミングでお別れをした。
私は当時の自分を許せずにいた。
呪いが解けますように、と心のどこかでずっと思ってきた。
そんな彼が、結婚をした。
今は子どもに関わる仕事をしているようだ。
彼の念願だった仕事だ。
虐待、DV、モラハラ、いじめ、そんなワードを耳にすると、私はいつも、過去の出来事を2つ、3つ思い出し、心が乱れる。
そのうちの一つが今回の元彼との出来事だ。
これらについて持論を展開したいわけではない。
100の事例があれば、100通りの事情があるのだと思う。
それらのワードをニュース、あるいは人伝で見聞きしては、
ひどい、許せない、家族はどんな気持ちだろうと怒りに震えることも沢山ある。
同時に、自分はどの立場からこの感情を発しているのか分からなくなることも多々ある。
彼の件だけでなくとも、私は過去、誰かをひどく追い詰めたこともあるし、追い詰められたこともある。
そして私は、人の痛みを知ったうえで、知っているからこそ、誰かの痛みの一番深い部分をえぐることができてしまう人間だということを、身をもって知っている。
また、自分がしていることは良いことだと信じて疑わずに、自分の気づかないところで何かが破壊されようがおかまいなしに、自分の気が済むためだけに薄っぺらい正義感を暴走させてしまうこともある。
母親になって、汚い床に寝そべりながら大声で泣き続ける我が子を、このままスーパーに置いていってしまおうか、と本気で考えたことも一度や二度ではない。
実際に我が子の頭を小突いたこともあるし、実際に手が出なくとも、手を出しそうになることを必死で我慢したことも沢山ある。
そんな自分がいることを認めて反省している今だって、DVやモラハラ、いじめ、差別などに関連するニュースなどを見聞きしては、自分にも心当たりがあるけれど、ここまでひどいことはしてきていないなどと、「程度の差」だけで安心して、誰かを非難することもある。
「自分と重なるところがある、自分よりも非道な誰か」を断罪しても、自分が救われることも許されることもないのに、贖罪のつもりなのだろうか。
どの立場で、どの部分をどのように記憶して、それを誰がどのように見せて、話すのか。
「私はここまでじゃない」は、どこまでか。
今年立ち上げた、ありの幅を広げる企画オフィス「ある意味」。
そのコンセプトは、「ありなし」でいう「あり」の幅を広げる、というものだ。
しかし「あり」の幅は、「なし」がしっかりあってこそ広がる。
見方を変えたら全部あり、じゃだめなのだ。
私の「なし」はどこにあるのだろうか。
誰かの「ありなし」と比べることなく、
自分の中で、自分に対して「今のは、なしだよ」と言えるだろうか。
答えが出ない中で、私は、私の声を探している。
彼が結婚すると聞いて泣いてしまいそうになったのは、ずっと誰かに許されたかった自分のためだ。
「虐待を受けた子どもは虐待を繰り返す」
と同じように、何か事件ががあると
「家庭環境が○○だったから甘やかされて育った」
「家庭環境が○○だったから愛情に飢えていた」
「家庭環境が○○だったから○○だ」
と言われる。
これらは全て後付けだと思う。
自戒を込めて、虐待は連鎖しない、と言い切り続けたい。私は二度と誰にも呪いをかけないし、かけられない自分でいたい。
そんなことを思った、呪いをかけた元彼の結婚や、オリンピック関連の色々とか、ニュースの色々。
そして、このことを書くことを快くOKしてくれたことに感謝。
そんな聞き飽きただろう私の話を聞きながら、いつものように珈琲とプリンを用意してくれる夫にも感謝。
おわり