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(法政通信)とりあえず毎日勉強しています。

まずは社会学を勉強中。

大学指定のテキストをいきなり読むのは自分の教養レベルだと無理そうだと察した私は、
中高生向けの柔らかく、できれば大衆感漂う書籍から入って、徐々に専門的にしていくスタイルをとることにしました。(とりあえずの戦法)

進みはともかく、毎日勉強しています!

まず、社会学に関しては、前回紹介した

「古市くん、社会学を学び直しなさい!!:古市憲寿/著(光文社)」および

「14歳からの社会学:宮台真司/著(世界文化社)」の拝読に加え、

YouTubeで関西の大学の教員の方がアーカイブしてくれている

「社会学基礎講義」

というものを見つけ、大変楽しく拝見させていただきました。
本来学費を納めている方が受ける権利のある講義を、タダで見られるなんて、
本当にいい時代ですね(ありがたやありがたや)。
せめてものお礼に、チャンネル登録させてもらいました。
隙間時間に1.25倍速で、1から20までを全て見ました。

もちろん勉強ですので、大学の講義を受けているつもりでノートを取っています。とても楽しく飽きない講義なので、動画については苦痛なく最後まで見れました。

動画内で紹介されている書籍なども図書館で次々借りて、並行して読んでいます。時々指定テキスト「Do!ソシオロジー」を読んで、
うまく自分の中に取り込めない部分を補完する書籍をまた取り寄せる…
という感じ。少しずつ理解が進んでいはいます(ホント?)。

   並行して読んでいる本たちはこちら(他にも図書館で取り寄せ中)。
                ↓↓↓

何のために学ぶのか?忘れがちな勉強の本質


果たしていつになったらリポートを書けるのか
といった感じですが、単位を取れるか、を軸に考えすぎると、何のために学ぶのか分からなくなってしまいそうです…本来学びとは自分から進んで知らないことを知っていく過程にあります。

私のやっているこの寄り道も、学びそのものですし、
自分にとってためになることは間違いないです。

拝見したYouTubeの社会学の講義で仰っていたのですが、学校の教育には限界があり、カリキュラム的に机に一定時間座っていればそれが勉強なんだ、というような間違った刷り込みをされていってしまう。だから
そこに座っているのが嫌な子は、勉強=嫌なもの
と思ってしまうというようなお話が出てきて、その通りだなと思いました。

いつ、どこで、どんな学びをするかを自由に設計できるのであれば、
本当は誰もが勉強好きなはずなのです。
私もかつては勉強嫌いでしたし、次女が勉強嫌いでつまずきを得ているのをみて、学校教育の穴について考えさせられました。(次女は読書も嫌い、私の罪です…)

いっせーのせで、同じ進み方で、みんなが同じモチベーションで学べるはずがないですよね。そんなの怖いもん。

本当は能力があるのに、自分は勉強嫌いだと勘違いしたまま育っていく子どもたちのことを思うと、日本の教育は変化を求められているし、変わることで国家にとっての無形資産も大きく飛躍するだろうに、現実はなかなか厳しいですね。

学生になり、なぜか先生にもなってしまった


というのも、私自身仕事の関係で、今年度から小学校に定期的に出張することに
なったのです。そこで感じたのはやはり先生達のモーレツな忙しさ。

声をかける隙がないほど、先生達は働いている。
こんな毎日の中で、たとえ教育システムに問題を感じていても、
忙殺されるしかないのが現状でしょう。問題は根深いな、と思いました。

こういった社会的背景を考えることがまさに社会学
「社会学的視点」で自分の周辺を見るというだけでも、すでに学びの効果が
出ているようで嬉しいです。


小学校に行くと、私も子ども達に先生、先生と呼ばれます。

スゴイ違和感…。

「私、先生じゃないので他の呼び方はダメでしょうか」と言ってはみたのですが、

「学校では大人はみんな先生です。子どもたちが呼び慣れないと戸惑うので、先生でお願いします」
という答えでした。うーん。

私は今年度、学生になり、また、先生になってしまったのです。

勉強も大変だけど、仕事は仕事で今年は忙しくて目が回りそうな予感。
正直仕事に関しては、入社して初めて心が折れかけています。

仕事の中身というより、なぜ非正規雇用で時給契約の私が、こんな責任を?という矛盾に対してです。(学校はすごーく緊張するし気を使います、事前研修はなし)
会社に都合よく搾取されていると感じます。

学歴もキャリアもない女、そして主婦という非正規天国市場の内側にいる自分。
これもまた社会の中の問題が絡んでいます。

そしてすでに…


頭の中がいろんなタスクで混乱状態。


必要なことだけを見極め集中せよ、というエッセンシャル思考の真逆
いっているようですが、
間違いながらも突き進む、これが今の私の正解だと考えます。

夫との関係性に悩み、自分や夫や夫婦関係についての考察に時間を費やし、
その間に度々人格否定と罵倒をされ、無駄にエナジーを消耗するという
不毛な時間の使い方をしていた時より、
自分という個性を見つめ続ける、自分自身を高める「今」のジタバタの方が、
きっと今までのジタバタより未来をいいものにしてくれると信じています。

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