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思い出の場所の、記憶の上書き保存
先日、伊豆の城ヶ崎海岸に行ってきました。サスペンスドラマでよく犯人が追い詰められている、あの崖が連なる海岸です。
以前訪れたのは、もう10年も前のこと。行きたいなぁと思いながらもなかなか行けず、記憶もおぼろげになっていました。展望台(新型コロナウイルス感染症対策のため、上までは登れませんでしたが)の中段まで登って広大な海を眺め、「揺れる」「危ない」「スマホ落としそう」「揺らすな」などとギャーギャー言いながら吊り橋を渡り、海岸沿いの散策路を歩きながら、岩や絶壁にぶち当たってしぶきを上げる波音に心洗われるような気がしていました。思い出の中のあの景色よりも、はるかに鮮明な眼前の景色を見つめながら、それでも、「あぁ、前回来た時も吊り橋が揺れて怖かったな」「前回来たときはウミガメが見えたの、今日はいないかしら」などと記憶をたどっていました。
過去のつらかった経験や、挫折してしまったこと、どうしてもできなくて悔しかったこと、トラウマのようになってしまって会えなくなった人、触れたくないもの、怖くて近づけなかった場所——そういうものも、時間が経過するにつれ、もう一度アクセスできるようになることがあります。何年も経った今なら関われるかもしれないと、現在の自分なりの仕方で、もう一度会ってみる、やってみる、行ってみる…こともできます。アプローチしてみたものの、「やっぱりダメだった」という結果になるときもありますし、その日までに過ごしてきた年月や、その頃とは異なる現在の環境が、自分に新しい体験を用意してくれることもあります。そして、その「人・もの・場所」に新たな記憶が木の年輪のように重ねられ、自分にとってのその「人・もの・場所」をめぐる体験の意味が変容し、深さや豊かささえ感じられることもあります。
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城ヶ崎海岸にもう一度行きたいと思ったのは、いい思い出と、そうではない記憶が混在する場所をそのままにしておきたくなかったからかもしれない―—そんな気もしました。過去は変えられなくても、生きている限り上書きしていけるということに、希望を感じます。
静かで過ごしやすい旅館、心地よい温泉、美味しくて感動する食事を満喫しながら、過去の「落ち着かない」記憶を包み込んで上書き保存するような、そんな旅の時間となりました。(ほんま)
*ほんま:当事者経験をいろいろ抱えるソーシャルワーカー。社会福祉士・精神保健福祉士。主に障害者就労支援に従事。おしゃべり。趣味はころころ変わるが、コーヒーと旅行はずっと好き。