【インタビュー】先天的な難病による痛み経験から、ライフステージを通じた支援と尊厳を守る支援をつくりたいと動き始めた作業療法士Aさん
わたころメンバーの田島です。今日は当事者×セラピストと位置付けられると思われる難病を持ち、作業療法士として働いておられるAさんの紹介をします。
Aさんは、消化器官の難病を持って生まれましたが、なかなか原因が発見されず、たびたび激しい腹痛、発熱、嘔吐を経験しました。エコーでたまたま発見されたそうですが、発見されるまで10年くらいかかりました。
子供の頃にはよく入院をしていました。兄弟がベットに置き忘れた黄色の通学帽は忘れずに残っている光景で、その黄色は「からっぽな黄色」として思い出に残っています。黄色の通学帽がおかれたベットは、4人部屋のなかで使われていないベットだったからそう思ったのかなと言います。また黄色の帽子はたんぽぽを想起させたそうです。兄弟と歌い合ったたんぽぽの歌の歌詞にある「嵐の空を見つめ続ける あなたの胸の思いのような」というフレーズも強く記憶に残っています。一人でいることに寂しさを感じることはなく、毎日見舞いにきてくれる母親には逆に申し訳ない思いがしたと言います。
そのころ病名は明らかになっておらず、周囲から仮病と思われていました。家族でさえも自身の苦しみを信じてくれず、それを言外から感じ、周囲のすべてが敵に思えてしまったと言います。そのころ画用紙に真っ黒に描いていたそうです。幼稚園のとき家出をしようと思い立ち、荷物を詰めながら、「今の私は一人で生きていけない、今詰めているものだって誰かが作ったものだ…すべてそうだ…」と、人間一人で生きていけない絶望感、失望感を強く感じたのだそうです。そして自立した人間になろうと心にとめながら生きてきたそうです。
大学受験のタイミングで、たまたま作業療法士養成校を見つけ、作業療法士になりました。作業療法士として働き15年。その間、医療機関、子どもの施設、就労支援施設などを経験しています。
子どもの施設では、専門性を積み上げたいと思っていましたが、なかなか職場環境的にそれがかなわず、勤め続けることに限界を感じていたところ、たまたま発見した東京藝術大学で行うDOOR履修プログラム(アート×福祉を学ぶプログラム)が目についたのだそです。自身の思いや経験、仕事のことを整理し、見つめなおすためにDOORを受講しました。小さいころから絵画教室に通い、美術鑑賞が趣味だったこと、作業療法はアートアンドサイエンスだと言われていたことがDOORの受講を後押ししました。そのなかで、作業療法の視点だけでなく、もっと広く深い視野で働きたいことに気づき、今、社会福祉を学び始めています。これから先、ライフサイクル、ライフステージに合わせた支援をしていきたいと思っています。
子ども時代に入院が多く、自分が不在だったときに泣いていた友達がいたことを知り、深い友人関係を作ることで誰かを傷つけてしまうと感じたり、手術後に、「頑張ったね」という学校からの手紙を受け取り、「頑張ったのは私ではない」、「かわいそうな私にしないでほしい」と感じもしたそうです。綺麗なお姉さん医師が「なんでも話してね」と気軽に言ってくれるけれども、「あなたは勤務時間が終わればここを離れるんですよね」と感じたりもしたそうです。小さい頃の複雑な感情の経験は、自分を方向づける意志に影響を与えているようでした。
自分が理解されなかった経験は反転して、自分が理想とする支援の在り方を明確化してくれると言います。痛みや苦しみは個人の感覚であるのだから、他者がそれを決めつけないでほしい、それはとても危険なことであることを理解してほしいと強く感じています。よかれと思ってのことだとなおさら、人は誰かに思いを押し付けてしまうことが少なからずあるけれども、言葉にならない子どもたちに対して、あなたの思いを押し付けないでほしい、患者の尊厳をないがしろにしないでほしいことを強調していました。
これまでの仕事人生は作業療法士としてニッチなところにいると思う、それは多くの人にとって理想やスタンダードではないけれども、自分が選んできた結果の積み重ねであり、決して不幸と思っていないと最後に語って下さいました。(田島)