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488*悔いのない人生を生きる

多崎礼さんの『レーエンデ国物語』のセリフ。
何度読んでもこの言葉は心に響く。

「取るに足らない、おおよそ無価値な人生でも、僕にとって価値があるなら、それはとても幸せなこと」

領主の家に生まれ、英雄と呼ばれる父をもつ誇りを守って生きることが自分の価値なのだと言い張る少女に、青年は語る。

「僕の望みは、何物にも縛られることはく自由に生きること。自分が正しいと思う道を進むこと。悔いのない人生を生き尽くし、満足して笑って死ぬこと。それだけです」

夢半ばで諦めなければならなかった悔しさ。どうして自分だけが辛い思いをしなければならないのか、と思いたくなるほどの理不尽だらけの人生。何のために生きていけばいいのかも分からない。どこに怒りをぶつけていいのかも分からない。

そんな絶望感を経験した人物だからこそ、この言葉に込められた思いが切ない。どんなに不自由な思いをしたとしても、たとえ身体が動かなくなったとしても、心の自由だけは自分のもの。何を思い、何を愛し、何を目的に生きるかは自分で決める。そんな決意を感じるセリフ。

心から愛する人と出会い、命をかけても守りたいと思えるものを見つけたとき、人はどんな境遇にあっても幸せであれるのかもしれない。

守り抜いて逝った者の想いを、生き残った者が引き継いでいく。そうして、長い時をかけてその理想や希望を形にしていく。歴史はそうして作られていくし、これからの未来もそうやって繋がっていく。

私にとっての悔いのない人生とは何だろう。

どんな人生なら、最期に笑って幕を閉じられるのだろう。

自分の価値、自分の役目、自分が生まれてきた意味、それを自分の頭で考えて答えを出したい。レーエンデを愛した少女のように。少女を守り抜き、名もなき英雄となった青年のように。

この後の時代を紡いでいった主人公たちも、同じように自分の生まれてきた意味を自分なりに考えて答えを出す。人から見たら幸せとは言い難いような悲惨な生涯だとしても、彼らは戦い抜いた最期に安らかな顔をしていたのだと思う。

苦しみから逃げ続けても、結局は苦しいだけ。楽を求めたとしても、たぶん本当の意味で楽になることはない。楽になったとしても楽しくはない。与えられた幸せは制限つきの自由でしかない。そんなものは本当の自由とは言わない。

悔いのない人生を生きるために、今ここで何をすればいいのか。

物語に飢えた魔物のように、最近は小説を読み漁っているけれど、今はそれでもいいのかもしれない。睡眠不足はほどほどにします(笑)




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