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<新版画展>千葉市美術館 その1. なぜ「新版画」?、なぜ異国の作家なの?「新版画」と私

 表題の美術展に先月末、駆け込みで行ってきました。「新版画」の美術展は可能な限り見ることにしているのですが、この美術展は、チラシにエリザベス・キースの作品が取り上げられていることから、日本人画家だけでなく外国人作家を意識しているように見えたからです。
 事実、本展と並んで、ヘレン・ハイドバーサ・ラムの特別展が併設されていました。
 ですから、これは出かけなければと思ったのです。

 参考までに、チラシのエリザベス・キースの作品を下に示します。

エリザベス・キース 藍と白
出典:wikimedeia commons, public domain

 なぜ、外国人作家なのか? それについては次回書いていきたいと思います。まずは「新版画」と「私(線スケッチ)」について前置きを書きます。(長文になりますがお許しください)

「新版画」と私

 今でこそ「新版画」とあたりまえのように書いている私ですが、その名前を知ったのは20年以上前のことです。
 入手源は「線スケッチ」の私の師、永沢まことさんです。

 当時は大手のマスコミではまったく取り上げられない状況でした。記憶する限り林望氏の下記の著書が1998年に出版されて新聞の書評に載ったときぐらいだと思います。

  これとても、おそらく一部の文化人が川瀬巴水の名前を頭に留めた程度でしょう。大半の日本人は「新版画」という名称すら知らない状態だったと思います(今もまだ同じ状況だと思います)。

 それは私もまったく同じで、そもそも「線スケッチ」と出会わなければ知ることすらなかったでしょう。おそらく現在でも。

 「線スケッチ」を始めてからは「新版画」の実物を見たいものだと思いがつのり調べたところ愕然としました。どこにも実物を展示していないのです(今思うと当時でも、㈱渡邊木版美術舗がデパートで小規模の新版画展を地方を巡回していた可能性がありますが)。

 しかしもっと愕然とした事実があります。インターネットで日本語の「新版画」ではなく英語「SHIN HANGA」で検索したところ、何と全世界(特に欧米)で次々と専門画廊のHPや熱狂的なファンのサイトが見つかるではありませんか!

 画廊のサイトには何百枚(いや千枚以上?)の売り物の新版画作品が掲載されていて、私はその画像でやっと新版画作家の作品全貌を見ることが出来ました。例を下に示します。

SHIN HANGA 各国のWEBSITE例

 ここでも驚いたのは、作品の値段の高いこと、にもかかわらず次々と "sold" の文字が入っていく状況です。
 特に高い値の作家は「吉田博」「川瀬巴水」で、それまでは全く知るよしの無い日本人画家です。加えて「新版画」の作家として多くの外国人作家の作家の作品が掲載され、チャールズ・バートレットなどは戦後遅くの作品まで人気な状況を発見したのです。

 これはいったいどうしたのだ!? あの時代、外国人がわざわざ日本に来て日本画を習い日本人版元の指導下、現代浮世絵「新版画」を創った? ありえない。それは衝撃でした。

 大体、日本の近代画家の作品は、国内でどんなに有名でもおそらく世界では値段もつかないでしょう。事実、海外の美術館で明治後期大正以降の近代油絵、日本画の作品を美術館の意思で購入し所蔵している例は残念ながら聞いたことがありません。
 (厳密に言えば、洋画では黒田清輝以降、日本画では横山大観以降の作家。洋画、日本画問わず日本画壇が認めた人たちといった方が良いでしょう。ですから藤田嗣治のように海外デビューの人は除きます。日本画でいえば、印象派との交流があった渡辺省亭コンドルを弟子にした河鍋暁斎の作品は、もしかすると所蔵されている可能性があります。両者とも戦後急速に忘れられたことが共通しているのが印象的です。同じく新版画の作家たちが忘れられたことも)

 しかも、新版画の日本人作家は現在も売れに売れている!

 世界ではこんな状況なのにいったい日本はどうしたのだ。これまで教科書でも一切習ったことはないぞ・・・?。

 その理由は後になって分かるのですが、私は「日本人なのに、この年になるまで全く知らなかった」という事実をなかなか受け入れられませんでした。失った年月に対して悔しい思いがするからです。

 例えが政治的な表現になって恐縮ですが、丁度独裁国家において小さいころから大人になるまで洗脳教育を受けた人が、大人になって何かのきっかで洗脳から覚めたといった気持ちでしょうか。

 ”洗脳”から解けた私は、「線スケッチ」の教室で、生徒さんに次のような謎々を投げて「新版画」を知ってもらおうとしています。

「新版画」を知ってもらうための質問

 少し嘘も入っています。北斎だけでなく広重歌麿など他の浮世絵師も有名なはずです。しかしそれらは北斎で代表させました。
 問題は2番手です。私がインターネットで検索した時の実感は、近代の日本人作家では新版画の作家たち、なかでも吉田博川瀬巴水しかいません。
 私が感じた同じ衝撃を感じてもらうよう上記質問を生徒の皆さんにすることにしたのです。

 さて実物を見たいと思い立ってから10年近く経ち、ようやくその機会がやってきました。2009年に江戸東京博物館で行われた「よみがえる浮世絵 ーうるわしき大正新版画展」です。

 この展覧会は、日本の各地の美術館所蔵の作品と米国のロバート・ムラーコレクションを併せたもので、新版画の全貌を一挙に見ることが出来る画期的な美術展でした。

 私の長年の望みが一気に実現したのです。帰りに図録を購入したのは言うまでもありません。今でも飽かずに眺めています。

 今気が付きましたが、上に示した中古本の価格が私が買った値段の3倍近くに跳ね上がっています。ということは現在明らかに高い需要があるということです。最近の日本での人気の高まりをこのようなところからも窺えます。

 なお、この展覧会での収穫は、個々の作家の実物を目にして、印刷物では得られない木版画の質感のすばらしさに感動したことです。 しかしこの感動は充分予想の範囲です。
 一方予想外の大きな収穫は、版元の渡邊庄三郎その人と、「新版画」を世の中に出す過程で生まれた作家たちとの軋轢ドラマを知ったことです。

 私は永らく製造業で働いてきたので、最初にモノを生み出してから、商品として市場に出し、収益を出すまでの長くもつらい過程のマネジメント(技術経営)に関心があり、美術展すらもその目で見る傾向があります。

 私は渡邊庄三郎その人に明治のベンチャー起業家の姿を見ました。

 その仮説を裏付けるため渡邊の生涯をもっと知りたいと思っていたところ、丁度4年後に渡邊庄三郎の生涯についての下記の本が出版されたのです。

 著者の高木凛氏はノンフィクション作家で、丁寧な取材をもとに渡邊庄三郎の生涯を本にまとめました。

 私と同様、2009年の「よみがえる浮世絵 ーうるわしき大正新版画展」を見て渡邊庄三郎の生涯に興味を持ったのが執筆の動機だそうです。

 この本により、私の渡邊庄三郎、ベンチャー起業家説の裏付けを得ることが出来ました。2013年当時、ブログに長い記事を書きましたので、いずれnoteでも再録記事を投稿したいと思います。

 さて、この版画展をきっかけに世の中の潮目が変わったようです。
 主催者はこれからは人が入ると思ったのか、毎年とはいわないまでも以後新版画の美術展が開かれるようになりました。

 例えば、2013年から2014年にかけて千葉市美術館で開催された「生誕130年 川瀬巴水展 —郷愁の日本風景」があります写生帖も含めると作品は300点近く、かなりの規模です。

 私も出かけたのは云うまでもありません。

 特筆したいのは、もはや「新版画」という全体の括りで紹介するのではなく、「川瀬巴水」個人に焦点を当てた美術展であることです。

 そしてこの美術展は、千葉を皮切りに大阪→横浜→山口→川越→京都→東京と、丸2年をかけて各地を巡回しました。ですからいよいよこの頃日本の新版画の受容も本格的になったと思うのです。

 事実、この美術展については、私は見ていませんがNHKの「日曜美術館」で紹介されました。それをきっかけにその後人が押し寄せたそうです。

 やはりNHKは全国区だけあります。「日曜美術館」に取り上げられれば多くの人に知られることになります。
 加えて一般受けするおまけまでありました。アップル創業者のスティーブ・ジョブズが新版画のファンで何枚も購入していたとの情報が番組で紹介されたことが、さらに人が押し寄せる要因になったというのです。

 昨年SOMPO美術館で開催された「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展では、スティーブジョブズのコーナーが設けられ、NHK国際放送局の佐伯健太郎氏の紹介文が展示されました。

出典:川瀬巴水展(SOMPO美術館)
出典:川瀬巴水展(SOMPO美術館)

 それに先立ち昨年7月に佐伯氏は詳しいweb記事を書いています。

 このように海外の有名人の名前が出ると一般の人により関心が強まりますね。今や「新版画」の展覧会では枕詞と云ってよいほど次の著名人の名前が紹介されます。

・フロイト
・マッカーサー元帥および夫人
・ダイアナ妃
・スティーブ・ジョブズ

 これらの事実は最近急に知られたように思われるかもしれませんが、実は海外の多くの著名人が「新版画」のファンであったことは以前から知られていました。なぜなら、当時でも「吉田博」を検索すると海外の著名人の名前が出てきましたから。
 しかし日本できちんと紹介されたのは2009年に出版された安永幸一氏の本、「山と水の画家吉田博」でしょう。

 この本の中で、吉田博が戦前から海外で人気であったこと、敗戦後マッカーサー吉田博の安否を尋ね、夫人が吉田を訪れたこと、ダイアナ妃が執務室に購入した吉田博の絵を彼女が座る椅子の背後の壁に飾っていたことが写真入りで紹介されています。

 マッカーサーは現代の若い人には歴史上の人となり馴染みがないと思いますが、ダイアナ妃はインパクトが強いので、最近の吉田博の美術展では、ダイアナ妃を執務室で撮影した写真が展示されるようになりました。

 在りし日の執務室のダイアナ妃の写真(背後に吉田博の版画)は下記からご覧ください。

 ところで海外人気では川瀬巴水と双璧の吉田博ですが、私は2009年の「よみがえる浮世絵 ーうるわしき大正新版画展」で実物を見て虜になりました。しかしもっと見たいと思っても、なかなか吉田博単独の美術展が開催されません。

 やっと、川瀬巴水展に遅れること3年、SOMPO美術館で「吉田博展 山と水の風景」が開催されました。

 昨年は没後70年を記念して、東京都美術館で「没後70年 吉田博展」が行われています。

 ようやく川瀬巴水に追いついたように見えます。

 実は吉田博の総合的な作品集は今から35年前、1987年に「吉田博 全木版画集」として阿部出版から初版が世に出ています。下に昨年出た増補新版本を示します。

  私は旧本の第2版4刷本を2008年か2009年に購入しました。

 ですから、全作品集という意味では、川瀬巴水よりもかなり先行していたといえます。ところがここで注意したいのは、1987年当時日本で買う人がいたのかという問題です。

 実際、中身を見ると日本語の解説文はすべて英訳が載っていますし、キャプションも英文併記です。このことは、最初から日本人ではなく海外マーケットを意識して作られたことを示します。

 時は移り34年後の昨年増補新版が出たということは、いよいよ日本のマーケットも頃や良しと判断されたのかもしれません。

閑話休題:「マッキントッシュと私」

 ここで、スティーブ・ジョブズの名前が出たところで昔話をします。私が20代後半30代始めの1970年代後半から1980年代始めはパソコンの揺籃期でした。

 いろんな機種が次々発表されたなかで、スティーブ・ジョブズが自ら発表したMacのパソコンに惹かれました。なぜなら画面に写された日本の絵とお絵かきソフトの印象が強く残ったからです。

 当時はその絵が橋口五葉の新版画だったとは知る由もありません。

参考までに、スティーブ・ジョブズが新製品発売のために行ったプレゼンが You Tubeに残っているので下にお示しします。橋口五葉の新版画は、2分16秒のところで現れます。

 結局、Macのパソコンを私が手に入れたのはその数年後Macintosh II だった気がします。値段は当時70万円強、秋葉原まで車で買いに行ったことが思い出されます。

 一方、橋口五葉の名前は昔から夏目漱石の本の装丁家および三越呉服店のポスターの作者として記憶していました。

 夏目漱石は、西洋と日本の文化の間で苦しんだ人物として意識してその著作を読んでおり、その意味でもnoteの記事として最近漱石の俳句を取り上げました。

 「新版画」を知ることで、私の中で1)「新版画」の「橋口五葉」と2)「夏目漱石」の「橋口五葉」、そして3)「マッキントッシュ」の「橋口五葉」、三つの「橋口五葉」がつながったのです。

 これは私にとって全く予期していなかった関係性で長い時間を通して知ることになりました。何か縁を感じあえてここで紹介することにしました。

もっともっと多くの人に知ってほしい「新版画」

 さて以上私の実感を通して最近の「新版画」の認知の高まりを紹介してきました。

 実は今回の千葉市立美術館の「新版画展」で気が付いたことがあります。それは、観客に20歳代と思われる若い人が増えたことです。

 最初に紹介した2009年の江戸東京博物館の「よみがえる浮世絵 ーうるわしき大正新版画展」では、観客数も少なく混んでいませんでしたし、年配の層が中心で若者は少なかった記憶があります。

 この変化は、次の世代に受け継ぐために大変好ましいことだと思います。「新版画」に限らず、全般に江戸絵画の美術展も同じ傾向にあると思います。

 私が知らないところで、若者向けのメディアが大きく取り上げているのかもしれません。

 それに関連して、「線スケッチ」の恩師、永沢まことさんから5年前に教えてもらったことがあります。それは平成29年度から文部科学省検定済み教科書、「高校生の美術1」の内容がガラッと変ったことです。

 すなわち、これまでの西洋美術中心の内容から、日本美術が対等に記述されるようになったこと、それに伴い、ご自身の「線スケッチ」の作品が載ったというだけでなく、川瀬巴水の「新版画」が大きく掲載されたということです。

 これについては、別の記事で詳しく書く予定ですが、ついに次世代の教育のための検定教科書に「新版画」が載ったということは象徴的な出来事ではないでしょうか?

 今後も各種メディアや教科書を通じてより多くの人に「新版画」の魅力を知ってほしい、そしてできれば多くの人に実際に絵を描くきっかけになってほしいと願います。

(この章をおわります)

次回より、本題の「新版画」展の感想に移ります。


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