東京国立博物館<やまと絵>展:「やまと絵」展なのに「水墨山水」の本質を体得したかも?
はじめに
先月、国立博物館の「やまと絵」展が始まった次の日に訪問してきました。本格の感想記事を書く前に、この「よもやま話」シリーズを使って、その時に気がついたことを裏付けなしに書いて行きます(長文になります)。
まず、表題をご覧ください。読者は「やまと絵」展なのに、なぜ「水墨画」? と疑問に思われることでしょう。背景を少し説明します。
私は、今年初めから8月にかけて、下記の一連の記事を書いてきました。
(1)島尾新著「水墨画入門」岩波新書(2019):身体・五感で見る水墨。日本の独自性が分かった(気がする?)。その1、その2、その3,その4
(2)「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015):西洋の知は日本美術の独自性をトポロジカル空間にあると見た! その1、その2、その3、その4,その5
記事を書いた理由は以下の通りです:
私は学校で学んだ日本の水墨画(如拙、周文や雪舟)がこれまで何がよいのか分からず、ましてや本家の中国の水墨画との違いなど分からないまま生きてきました。
ところが「線スケッチ」を始めて「ペン画」における線の表情、すなわちその源流は「水墨画」にあるのですが、生徒さんにその重要性を話すには、私自身が「水墨画」をきちんと理解しなければならないと思ったのです。
上に示した一連の記事の中で、水墨画の専門家の島尾新氏や室町以降江戸時代の水墨画のコレクターであるピーター・ドラッカー氏の主張を読んだ結果、「とにかく実物の水墨画と対峙して、頭だけでなく五感を使って水墨画とは何かを感得するしかない」という結論に達しました。
その第一弾として、「木島櫻谷ー山水夢中展」において、始めて「水墨山水」の実物と対面し、これまでのように漠然と見ていたのと違い、多くの気づきを得ることが出来ました(下記)。
今回の「やまと絵」展ですが、その題名から当然ながら「水墨画」の展示はまったくないと思っていました。ところが会場に踏み入れた途端、巨大な二つの屏風絵が並列に展示され、その一つが水墨山水であることに意表を突かれました。
一つは、やまと絵の代表として《浜松図屏風》、もう一つは周文の《四季山水図屏風》です。 後者は、典型的な室町の水墨山水で、両者を対比することで鑑賞者に「やまと絵」の理解を深めようとしたのが主催者の狙いであることは明らかです。
逆に私にとっては、これらの対比が「水墨山水」を理解する上でまたとない機会となったので、記事にしようと思いました。
それでは、対比された二つの屏風の紹介から始めます。
やまと絵の代表:《浜松図屏風》、《紙本日月四季山水図屏風》
まず、やまと絵の代表としての《浜松図屏風》ですが、展示期間が前期に限定されており、後期は《紙本日月四季山水図屏風》が代わりに展示される予定なので併せて紹介します。
1)《浜松図屏風》(重要文化財)
《日月四季山水図屏風》(国宝)
どちらも、「やまと絵」の紹介としてふさわしい大作です。この記事では、「水墨画」に焦点をあてているので、これらについては詳しく述べませんが、描写としては次のような特徴が読み取れます。
このような観点で眺めると、この二つの屏風絵においてやまと絵(日本の絵)の表現様式が室町時代にすでに完成されていることがわかります。
明治以降の日本画を見ても、すやり霞を除けば、近現代に至っても変わらず踏襲されています。誤解を恐れず言えば、500年近く、日本画はほとんど進化していないことになります。
よほど日本人の感性に合っているのでしょう。
謎だった中国絵画史:唐代の見事な彩色画が、宋代になってなぜ白黒の水墨画? 退歩ではないのか?
さて周文の《四季山水図屏風》の紹介の前に、島尾新氏の「水墨画入門」を読んで以来、ずーっと謎だったことについて述べます。
一般に中国の美術と云えば、「水墨山水」が連想されますが、むしろ水墨山水は唐末以降、特に宋代に完成されました。それ以前は着色絵画が描かれていたとの島尾氏の記述を読んだ時に「あれっ? おかしいぞ」と思いました。
島尾氏の「水墨画入門」で示された写真は、新書なので画像サイズが小さく解像度も悪いので、wikimedia commons で探すと次のような例がでてきました。それを使って説明します。
いかがでしょうか。最初の図に示した人物画では、人物や馬の描写は緻密で見事ですし、2枚目の李思訓の彩色風景画も、樹種の違いの描き分け、樹冠の立体的な描写など、樹木の描写は若干線が硬めですが見事です。
これらの着色画は7世紀という時代に描かれたことを考えると、当時の西欧の初期中世社会のキリスト教絵画と比較しても高水準の絵画のように思えます。
ですから、宋代に入って華やかな彩色を捨て去り、モノトーンの絵(水墨山水)が現れたのは、むしろ退歩ではないのかと個人的に感じたのです。
まさに謎としか言いようがないではありませんか。
水墨山水、初見の衝撃:《四季山水図屏風》(伝周文)
それではやまと絵の対比として展示された、2枚目の伝周文作《四季山水図屏風》に移りましょう(下図)。
やまと絵展の会場に足を踏み入れてまず目に入ったのは、冒頭に紹介した《浜松図屏風》です。
私はまずそのスケールの大きさに驚き、いつもなら展覧会の全貌を把握するために足早に立ち去るのに、細部まで時間をかけて観察してしまいました。
観察を終えそのまま隣接する次の絵が眼に入った瞬間、虚を突かれました。極彩色のやまと絵が現れると思ったら、目の前から色彩が消え、白と黒の世界が眼前に広がったのです。まさに不意打ちです。
それは、巨大な水墨山水画でした。
もし、訪れた美術展が水墨画展や、木島櫻谷展のように日本画、水墨画が入り混じるタイプであったなら、心の準備が出来ており「ああ水墨画だね」とか「いつもの定型の水墨山水だな」とやり過ごしたでしょう。
事実この《四季山水図屏風》の道具立ては、典型的な水墨山水と云えます。具体的にリストアップすると以下になります。
しかし、今回はいつもと違い、不意打ちを食らった瞬間、「あっ、水墨山水の本質はこうだったのか」と体感したのです。
それは大げさに言えば宗教的啓示に近い感覚で、言葉では説明しにくいのです。以下理由を何とか説明してみます。
おそらく極彩色の《浜松図屏風》を直前に見て、その残像が残ったまま急に水墨山水が現れたので、脳内で次のような感覚が交錯したのが原因でしょう。
すなわち片方(浜松図屏風)は絵画というよりも何か豪勢なタペストリーを見た感じを受け、一方(四季山水図)は、深い精神性を持った、いわゆる絵画だと。
言い換えれば、《四季山水図》では、周文のというよりも、水墨表現自身に精神性を感じさせる何者かがあると感じたのです。西洋がいう「美術」「芸術」の観点での「絵画」に近い感覚です。反対に、《浜松図屏風》は水墨画を見た後は、絵画よりは装飾的、工芸品に近い感覚が際立ちます。
加えて言えば、《四季山水図》は一見すれば風景画、具象画なのに受ける感じは写実ではなく抽象性です。水墨画でそう感じたのは今回が初めてです。
先に紹介した島尾新氏や、ピーター・ドラッカー氏の本の中で、筆墨による描写自身に抽象表現が備わっていることが指摘されていますが、そのときは理解できませんでした。
ところが《浜松図屏風》と並列で比較することになったので瞬間的に感じたのではないかと思います。
やまと絵の場合は、色面による形の表現であり、色が主体なので見る人の感情、感性、情緒に強く訴えることになります。しかも造形は様式化され、装飾的なので「タペストリー」のようだと思ったのでしょう。
以下、着色画と水墨山水を比較して、その原因をもう少し考えてみたいと思います。
線と陰影、モノクロームの世界:抽象による認識と絵画の時代性
一つは「抽象性」はどこから来るかですが、私はひとえに線による描写から来ているのだと思います。
(1)「線」による形の認識
先史時代のラスコーの壁画で見られるように、彼らは線描で動物の形を表しています。また輪郭線を否定したルネサンス期の西欧の画家達も、素描は線で描いていることから分かるように、人は写真と違い、目を通したあと、脳内に「線」を設定して「形」を認識していると思います。
その脳内の「線」を手(筆、ペン)を使って二次元の面に描き映すことで「絵」を作成しているとみることができます。
すなわち「線」(輪郭線)は実在しないのに脳内に線を設定することは、その脳内の線は「抽象化」の結果に他なりません。ですからそれをもとに二次元に描かれた絵画の線は、見た人にとっても自ずと抽象性を帯びることになるはずです。
一方、物には固有色が存在するので、線描に色を付けたい欲求が出るのは人情です。唐代以前の絵が、絵具を使って彩色するのは自然の流れです。
「色」は人の心に直接訴えるので、極彩色にすればするほどインパクトがあり、絵画のパトロンである権力者(貴族、王族、皇帝)が好むのも無理がありません。
しかし色は物の本質を把握するのに必ずしも必要ではないと思います。
太陽光、月光、いろんな光源で、物の色は変わりますし、暗いところ明るいところでも違う色に見えます。ですから人が物を認識する場合、主には形で行っているはずです。
すなわち実空間に置かれた物体は物理的には線は無いけれど、人は脳内で線を想定して、形を認識していると考えられます。
さて絵の話に戻ります。中国において筆墨による水墨技法が見いだされた結果、絵画表現が劇的に変化しました。
すなわち筆による線の肥痩の制御と墨の諧調変化を用いることで立体表現を含む様々な絵画表現が可能となったのです。
それがモノクロームの絵であっても、これまでにない絵画であることを当時の人びとは実感したことでしょう。
実際、周文の《四季山水図屏風》の樹木と山の描写を《浜松図屏風》や唐の着色画と比べれば、その差はよりはっきりします。
上の図で、樹木を見ると、各枝の樹冠の描写は明らかに立体的です。すなわち主幹の左右方向だけではなく手前に飛び出ている葉もしっかり描写されています。
一方《浜松図屏風》の樹木は、例えば松の木の枝ごとの樹冠は、確かに幹を隠すように前面にあるように描いていますが、幹から分かれている枝は、左右の横の枝のみで、手前に突き出た枝はまったく描かれていません。(これは、絵の初心者の描き方と同じです。) 松以外の柳や広葉樹についても同じです(下図)。
山(岩)の描き方を見ても、水墨山水では墨の諧調を変えることで立体描写することに成功しています。すなわち、これに霞(雲)の効果も入れれば、水墨山水では空気(空間)も絵画的に表現することができるのです。
このような樹木表現や岩山の立体表現は、西欧の絵画手法を思わせるほど写実的で立体感にあふれており、水墨山水を見た当時の人々は、これまでの着色画と全く印象が違うと感じたに違いありません。
このような変化が何故起こったのか、社会と人間の精神について考えてみます。
(2)絵画の精神性について:社会がその時代の精神を映し出す
水墨山水が宋代になって大きく発展したのは、科挙の制度が強化され、一代限りの高級官僚(士大夫)が支配層を形成する新しい社会体制が出現したことにあることが知られています。
従って水墨山水には彼らの生き方の理想や精神が反映され、以降1000年以上に渡って中国絵画の中心として描かれ続けるのですが、科挙制度を導入しなかった日本の水墨山水にもそれは受け継がれます。
事実、今回取り上げた日本の画家、周文の《四季山水図》においても先に述べた様に、リストアップした道具立ては、宋代の水墨山水の道具立てを継承しています。
ですから、室町時代に描かれた《四季山水図》にも、宋代の士大夫の精神が込められているはずです。そのことは知識として頭で理解はいても実感はありませんでした。
今回、やまと絵の《浜松図屏風》と並列対比することで、《四季山水図》にやまと絵にはない精神性を実感したのです。
西洋の芸術観に慣れた私たちは、絵画に画家の創作のあとや精神を汲み取ろうとしますが、水墨山水はそれに近いものかもしれません。
西欧知識人の一人であるドラッカーがなぜあれほど室町水墨画の精神性に言及しているのか分かるような気がしました。
最後に
やまと絵展なのに、水墨山水画についてメインに述べてきました。
やまと絵については今後記事にしますが、下記に印象を述べます。
本展覧会のやまと絵からは、その絵画表現からか精神性は感じ取れません。しかしせまってくるのは高度で洗練された美意識です(今回の展覧会では絵画どころか料紙のデザインですら、その洗練された美に圧倒されました)
私は、戦後の西欧美術一辺倒の教育を受けたせいもあって、明治以降制作された日本画にまったく興味がありませんでした。線スケッチを始めてから、逆に近現代の日本画にも魅力を感じています。
ただ、やまと絵の流れを組む、日本画が世界(といっても西洋)基準としては評価されていないと思います。その辺も意識して鑑賞したので、次回以降記事にしていきます。
(おしまい)
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