【和食ランゲージ通信Vol.18】 アイヌの食文化
日本の先住民族と食の源流
和食ランゲージ コラム
和食ランゲージで紹介している和食の概念の多くは、近代以前の日本、それも江戸や京都を中心とした地域で発達したものです。アイヌ民族が暮らしている現在の北海道地域、また琉球王国が繁栄していた現在の沖縄県地域では、ひと味違った料理が食べられていました。
アイヌと琉球の民族は、それぞれ独自の源流や食文化を持った民族として日本の土地に暮らしてきました。弥生時代以降、日本では広域的に稲作が普及したり肉食忌避が広まったりしましたが、日本列島の北端と南端の地はその影響を直に受けませんでした。これら地域では、狩猟、漁労、採集、畜産などに依拠した食生活が行われていました。
北の大地に暮らしていたのは、アイヌ民族の人々です。北海道の豊かな自然から日々の食事を調達していました。
アイヌの人々は、あらゆるものにカムイ(神)が宿ると考えます。生活に欠かせないものや、人間の力が及ばない現象などは、どれもカムイの化身です。カムイは普段は神々の世界(カムイモシㇼ)で暮らしていますが、時々人間の世界(アイヌモシㇼ)に遊びに訪れます。カムイは本来人間と変わらない姿をしていますが、人間界を訪れる際には様々なものや現象に扮して現れます。
動物や魚もカムイの化身とされており、それらの肉や毛皮はアイヌの人々へのお土産としてもたらされます。恵みを授かったアイヌは「ホプニレ」や「イオマンテ」と呼ばれる儀礼・儀式を通じて感謝を示し、カムイモシㇼに送り返します。
日本の肉食忌避と無縁だったアイヌは、多くの食料を狩猟を通じて得ていました。主な獲物は頭数の多かったエゾシカです。その他にもヒグマやウサギ、キツネ、スズメ、カラスなど幅広く狩って食べていました。矢の先に毒を塗って射る他、仕掛け弓や罠など様々な方法で狩っていました。
狩猟と並んで漁労も盛んに行われました。魚の中で最も重要とされたのは鮭で、漁獲量の多い時期は主食として食べていました。海での漁労も盛んで、カジキマグロやマンボウなどの大型魚に加え、シャチ、クジラ、オットセイ等の海獣も狩って食べます。こうした魚や獣は、肉はもちろん、脂も食用として使用しました。油分をほとんど使用しない和食と比較して、アイヌ料理ではこうした脂を多用することが特徴です。
味付けに関しても昆布出汁や発酵調味料を中心とする和食に比べ、塩だけを使ったシンプルな味付けが多く、獣や魚の脂を調味に使用します。また精進料理では避けれられていた香りの強いギョウジャニンニクなども風味付けに使用します。
採集も重要な食料の調達方法で、様々な山菜に始まり、木の実や根など食用の植物は何でも採集しました。特に旧暦の四月頃から採れる野生のトゥレプ(ウバユリ)の鱗茎は、重要な食料でした。トゥレㇷ゚は主に澱粉を抽出して使用しましたが、その残りかすを集め乾燥・発酵させる「オントゥレㇷ゚」も重要な食品です。オントゥレプは一年を通して団子にしてゆでたり、粥にいれて食べたりします。魚や獣肉も乾燥保存しており、厳しい冬が訪れ食料がとれる時期にムラがある北の大地では、こうした保存食が重要な食料源でした。
食事は一般的に朝夕の二回。稲作が発達していなかったアイヌ料理では、米は日常食ではなく、獣肉や魚肉、野生植物を一緒に煮た「オハウ」という汁物が主な主食でした。オハウを食したあとに、や粟のサヨ(粥)を口直しとして食べました。
こうした自然と共生する生活が伝統的に続きますが、一三世紀頃になるとしだいに和人(日本人)との交易が活発になっていきます。豊穣の地で採れる様々な食材や海産物と引き換えに、米や金属器などの物品を手にします。特に昆布は和食において出汁をとるのに不可欠であったため、大量の昆布が日本各地にもたらされました。
その後、北海道が日本に組み込まれるにあたって、伝統的なアイヌ社会の多くは残念ながら解体されていくことになります。統合後も和人の間でアイヌに対する差別意識も根強く残り、アイヌの人々は長らく抑圧される生活を余儀なくされてきました。
近年、ようやくアイヌ民族の尊厳回復に対する気運が高まってきています。国連が主導し、先住民族の権利を尊重する世界的なムーブメントが発足します。日本でも、アイヌに対して先住民族としての尊厳や権利を尊重するとともに、不当な扱いがあったことが認められました。
アイヌ語、アイヌ音楽・舞踊、工芸技術、食文化といったアイヌの文化への注目も高まっています。漫画やアニメ作品でも多くのアイヌ文化が取り上げれたことが後押しし、新たにアイヌに興味を持つ人も増えています。今後も、アイヌ文化の伝承とさらなる発展が期待されます。
おすずのひとこと
次回もお楽しみに!
★「和食ランゲージ」商品情報★
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?